それから二階へと上がった三人はそこで二つに分かれるのだと思っていたが、三人とも浩輔の部屋の前まで来た。
「お前も来るのか」
当然のように入ろうとしている片割れに気づき、目を半眼にする浩輔に彼はにっこりと笑ってうなずいた。
「だって自分の部屋に戻っても暇だし。それなら浩輔といっしょにいるほうがいいでしょ?」
そう言って彼は部屋の主より先に中に入っていった。
何がいいでしょだよ、とは思った浩輔だが、口には出さずに部屋に入った。
中は普通に綺麗だった。さすが人付き合いは苦手だが、手先は器用でしっかりしているだけのことはある。
入り口から左手にベッドがあり、正面には窓が設けられている。右隅には勉強机、その隣には四段の本棚があり、学校の教科書や参考書、小説などが並べられている。その一番上の段にはなぜかウサギとクマのぬいぐるみがちょこんと座っていた。
そしてベッドの手前には腰くらいの高さの収納引き出しが添えられ、その上にも写真立てやお菓子のおまけなど、細々したものが並べられている。これはおそらく洋輔が勝手に置いたものだろう。
「ねぇ、セノト呼んでくるんだよね。わたし行ってくる」
「うん、お願い」
名乗り出たフィアナに洋輔は笑って頷いてやると、彼女はいそいそとバルコニーに出て行った。
その後ろ姿見ていた双子はとりあえず腰を下ろし、戻ってくるのを待つ。
紫がかってきた東の空を見上げていたセノトは少女の気配に気づくと、視線を投げかけてきた。
言葉にはしないが、彼の瞳がどうしたんだと言っているようで、フィアナは短く用件を伝えた。
「今ね、浩輔たち部屋にいるからセノトもおいで」
そう言ってフィアナはくいっとセノトの腕を引っ張ると、彼は肩をすくめた。
別段中に入る必要はないのだが、彼女は一度言ったら自分の意思は基本的には曲げない。本気で嫌がっている相手に無理を通すことはしないが。
ならここは素直に従ったほうが賢明なのは確かだ。
「わかった」
うなずいて二人は部屋に入った。
「セノト連れてきたよ」
先に入ったフィアナはうれしそうに笑いながら浩輔の隣に正座をすると、続いてセノトも入ってくる。
彼は適当に片胡坐をかいて座って壁にもたれかかると、ふと気づいたことに浩輔を見た。
「その様子だと許してもらえたんだな」
彼の表情を見れば、大まかな状況は把握できる。
セノトの言葉の意味を理解した浩輔はしかし曖昧な返事を返した。
「………まぁ、一応」
確かに何日も家を空けていたことに関してはちゃんと話し合って許してもらえた。そのことはいいのだが。
問題はその次に起こったことだ。
「…………?」
その場にいなかったセノトには想像できないだろう。洋輔がどういう理由をしてフィアナの居候が決まったのか。
微かに首を傾げるファイネルの少年に洋輔は不敵な笑みを浮かべた。
「フィアナちゃんをね、浩輔の彼女ってことにしたんだよ。それだったらいろいろと言い訳作りやすいし」
その返答にはさすがのセノトも予期できなかった。
よくも「彼女」という発想が出てくるものだが、洋輔ならそれも考えられるか。
「……気をつけろよ、浩輔」
今回ばかりは浩輔に同情してしまう。洋輔も後先考えずに言ったものだ。
真面目な表情で言われて浩輔は真っ先にユアの顔を思い浮かべる。
バレたら絶対殺される。しかも絶対バレるだろう。洋輔がいるんだから。
苦労が絶えない少年は深いため息を吐き出した。
「ま、彼女ってことにしたのはいいけど、問題あるしね」
弟の行動を面白そうに見ていた洋輔はけろっとした様子で、普通に呟く。
うっかり聞き逃しそうなほどあっさりと。
「お前、じゃあ何でそんな設定にしたんだよっ」
「まぁまぁ、そんなたいしたことじゃないって。ただね、制服どうしよっかなぁって」
怒る浩輔をいつもの感じでなだめると、指を口許に当てる。
しかし浩輔にはまったく意味が掴めない。なぜ制服が必要なのだろう。
話についていけていない弟に洋輔は噛み砕いて説明をする。
「だって彼女だったら学校に行ってるし、そもそもフィアナちゃんの着替えもないよ?」
今はまだ家にあると言えば乗り切れるが、それもずっと通用することではない。
見ればフィアナは手ぶらだし、この人界と呼ばれる世界には彼女の家はない。
「…………」
確かに。前のインパクトが大きすぎてすっかり忘れていた。
浩輔はゆっくりとフィアナを振り返る。
首を傾げてきょとんとしている彼女はわけもわからずに、ただ笑っているだけだった。
「お前、着替えもなしに野宿とかだったらどうするつもりだったんだ?」
初めてフィアナと出会ってから大分日は経つ。白界にいたのがほとんどだったが、それでも二、三日は外での生活だったはずだ。
それともどこかに泊めてもらっていたのだろうか。
しかしその考えはすぐに否定された。
少女は中に着ているワンピースのポケットから三、四センチほどの小さな小瓶を取り出し、二人の人間の少年に見せる。
「これがあるから大丈夫だよ」
彼女の手に置かれた小瓶の中には淡く透き通った水が入っていた。
見た目ではただの水のようだが、感じる気は神々しい。
「白界にある泉の水だ。神気が宿っているから持っているだけども少しの穢れなら浄化できる」
二人の少年の表情が明らかに疑問を抱いているので、代わりにセノトが説明を付け加える。
基本的に白界では風呂という習慣がなく、その泉の水で穢れを浄化している。
フィアナたちのような中枢建物で生活している子どもたちは何日かに一度泉に身を浸し、清めているが、大部分のひとたちは各家に水を溜めて使用している。
「泉は”霊泉(れいせん)”と呼ばれている。昔、白界に宿っていた微弱な精霊が寄り集まってできたものらしい」
精霊は死ねば、次の精霊が前の精霊の意思を受け継いで誕生する。
精霊と守護神の神気が転生することによって自然界のバランスを保ってきたが、その中でも力の弱いものは必ず存在する。微弱な神気しか持たない精霊では時代とともに変わった環境では生きていくのに困難だった。
だから眠りについたのだ。少しでも生き残るために。世界のバランスを壊さないために。
それから徐々に自然に溶け込み、最終的には泉と化した。
「俺たちも生きてない、何千年も前のことだ」
おそらく今自分たちと契約し、宿っている精霊たちはそれを見届けたのだろう。
そうすることしか、方法はなかったから。
洋輔と浩輔は先日見た桜の精霊の姿を思い起こしながら、そっかとうなずく。
そうしてふと何かを思いついた赤髪の少年は隣に座った片割れの肩をうれしそうに叩く。
「いいこと思いついたよ」
「却下だ」
「まだ何も言ってないのに………」
「どうせまた俺が損するような話なんだろ」
いつもそうだ。自分の損するようなことは絶対にしない。
そう言って浩輔は目を半眼にすると、言いたくて目を輝かせていた洋輔は見事に一瞬にして落ち込んだ。
「浩輔、わたし明日着替え持ってくる」
二人のやり取りを面白そうに見ていたフィアナは浩輔に提案をする。
何も二人が真剣に考えずとも、自分がそれらを白界から持ってくればいいだけの話なのだ。
これから世話になる以上、こちらの習慣にも合わせないといけない。
「それにね、忘れてきたものもあるから」
もしかしたら必要になるかもしれない。これ以上仲間に迷惑がかからないようにするためには。
「明日浩輔たちが学校に行ってる間に取って来る」
行って帰ってくるまでにそれほど時間はかからない。昨日の今日で戻れば蓮呪が驚くかもしれないが。
驚いた顔をした仲間を思い浮かべ、フィアナはくすりと笑った。
「まぁ、たしかにその方がありがたいかな」
できる限りは疑われないように気をつけないといけない。
少女は任せて、と微笑んだ。
「……。じゃあ、俺は外にいるから」
話がまとまったのを見届け、窓辺に腰を下ろしていたセノトはふいに人の気配を感じ取ると、音もなく立ち上がって返答を待たずに外に出た。
彼の行動をいぶかしんでいた三人だが、その理由は瞬時にわかった。
彼の姿が闇に消えたと同時に部屋の扉が叩かれる音がし、真弓が顔を出した。
驚いた様子の息子たちに小さく首を傾げていたが、彼女はあえて何も聞かずに優しく微笑む。
「おなか空いたでしょ。ごはんにしましょう」
その瞬間、洋輔の表情がぱあっと明るくなり、三人は声を揃えて返事をした。
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