≫ No.2

09 : 第九話




そしてやがて分かれ道に差し掛かると、藤とクロカがそこで抜け、その次に島崎とユアとも別れる。ユアは名残惜しそうにしていたが、フィアナの満面の笑みを見ると満足げに帰っていった。
最終的に四人となり、それから数分で家に着いた。
浩輔にとっては一週間ぶりの我が家だが、入るのはとても怖い。
「俺は上にいるから。……覚悟を決めることだな」
最後に放たれた言葉は間違いなく浩輔に向けられたものだ。それに苦笑いを返すと、薄く微笑を浮かべてセノトは軽く跳躍した。
彼は目的のために日昼夜空けていることが多いため、居候ではなく外で待機することを選んだ。たまに夜いるときは洋輔が部屋にいれてやっている。
「さ、ここにいてもしょうがないし、僕らも中に入ろっか」
そう言って玄関前で固まったまま動かない弟の背中を半ば強引に押すと、扉を開ける。
「ただいまぁ」
明るい声で洋輔は帰ってきたことを知らせると、台所から母親の声が聞こえてきた。
浩輔の表情が一瞬にして険しくなる。
「おかえり、洋輔……!……浩輔」
玄関にいる洋輔と並んで、一週間前から家を空けていたもう一人の息子の姿を認めて彼女の表情が歪んだ。
「浩輔……。どうして何も言ってくれなかったの。すごく心配したんだから」
今までこんなこと、一度もなかった。いくら洋輔に、友達の家にいるからと聞いていても心配しないわけはない。
真弓(まゆみ)は優しく浩輔を抱きしめると、彼の肩口に額を当てる。
母親の肩が小刻みに震えていることに気づいた浩輔は申し訳なさそうに目を伏せ、彼女の思うようにさせる。
「……ごめんね、母さん」
謝罪の言葉はたくさんあるが、肝心なところでその一言しか言えず沈黙してしまう。
本当にたくさん心配をかけてしまった。
そして再び目を開けて、前を見た浩輔の身体が硬直した。
目の前に父親がいる。
黒を混ぜた赤い髪は襟足よりやや長めで、若干吊り上った瞳は息子たちと同じエメラルドグリーンをしている。
整った輪郭で、二十代だと言われれば納得してしまうほどだ。
今日は休日なので、薄い黄色のシャツにジーンズといった身軽な格好である。
父親の薫(かおる)の整った顔が息子を見て険しいものに変わる。それを浩輔は見逃さない。
「やっと帰ったか。浩輔、来なさい」
薫は険しい表情のまま浩輔に手招きをする。
どくんどくんと心臓が早鐘を打っていて、妙に息が上がる。
真弓は浩輔を見ると、ふわりと微笑んだ。
「父さんもね、本当に心配していたのよ」
その言葉の裏には安心させる気持ちが含まれている。
わかっている。二人ともどれほど自分のことを想っていてくれているかなんて、知らないはずがない。
浩輔はこくりと小さく頷き、髪を後ろ手に引かれる思いで薫と共に居間に入った。
覚悟はできた。思い切り怒られよう。
二人の姿が見えなくなるまで見ていた真弓は洋輔に向き直り、ふいに見知らぬ少女に軽く首を傾げた。
「あら、その子は?」
今まであまり周りが見えていなかったらしく、今更ながらに洋輔に尋ねる。
花柄のワンピースを着ている可愛らしい少女だ。
手を頬に添えて小首を傾げる母親に洋輔はにっこりと笑う。
「フィアナちゃんって言うの。僕のお友達で、浩輔の彼女さん。それでねお願いがあるんだけど、フィアナちゃんを預かってあげてほしいの」
「……え?」
息子の話が単刀直入すぎて真弓の中では理解するのに数秒かかった。
預かるというのは、どういうことなのだろうか。
洋輔はそれに説明を付け加える。
「フィアナちゃんのお母さんが病気がちで検査入院してるんだって。一人になっちゃうし、心配だから浩輔が連れてきたの」
洋輔はね?と少女に同意を求める。
その笑顔にフィアナはうん、とわけもわからず頷くと、改めて真弓を見上げた。
この女の人が浩輔のお母さん。とても優しそうで浩輔によく似ている。なんだか、温かい。
そういえば昔、わたしもこんなぬくもりを感じたことがあったな。

フィアナ、おいで。

蜜柑色の瞳がふっと微笑む。優しい柔らかな自分を呼ぶ声。
ふいに彼女に自分の母親の面影が重なり、フィアナの表情が一瞬曇る。
しかし今ここで悟られるわけにはいかないので、その思いを跳ね除ける笑顔を乗せた。
「フィアナといいます。よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそよろしくね、フィアナちゃん」
軽く頭を下げる少女に真弓は薄く微笑を浮かべる。
「母さん、預かってあげてもいい?浩輔、ずっとフィアナちゃんの家にいたんだけど、やっぱりずっといられないし、うちに連れてきたほうがいいと思ったんだけど」
それが帰るまでの道中に考えたことだった。そこまで思考が回るとは、さすが洋輔と言ったところか。
彼はお願い、とおねだりをする子供のように母親の瞳を見上げる。
すると真弓はわかったわ、と了承した。
「私はいいわ。きっと父さんもいいって言ってくれると思う。じゃあ、どうぞフィアナちゃん。上がって」
そう言って彼女は廊下の端に寄りながら、中に入るように促す。
その笑顔が浩輔のものと重なって一瞬何かが少女の胸を打つが、それが何なのかわからないフィアナは気にした様子もなく、にこりと笑うと廊下に上がった。
母親に続いて二人は居間に入ると、険しい表情の父親が正座をして俯いている浩輔と向かい合って座っていた。
三人は邪魔にならないように壁際に寄って腰を下ろし、話し合いの行方を見守る。
沈黙が続いていたが、ようよう口火を切ったのは薫だった。
「お前は自分のしたこと、ちゃんとわかってるよな?」
静かな問いかけがその空間に反響した。
浩輔は小さく、しかしはっきりと無言で首肯する。それでも鋭い視線を据えてくる父親の顔を見ることができない。妙な圧迫感を与えてくる。
「……父さん、浩輔は」
知っている。あの目に見つめられたら、どうしても言葉が発せなくなる。
洋輔も浩輔もそれを十分身を持って知っている。
見かねた洋輔が助け舟を出そうと立ち上がりかけるが、それを父は微かに手を挙げて制した。
彼に止められればいくら洋輔でもそれ以上の口出しははばかられる。それも薫の表情が大丈夫だと言っているのならなおさらだ。
息子がおとなしくなってくれたのを認めると、再び視線を浩輔に戻し、彼の返答を待つ。
「………心配かけて……ごめん、なさい」
何度も深呼吸をしながらようやく声を搾り出す。
しかし返ってくる言葉がなく、謝ったにも関わらずに大声で怒鳴られるのかと身を硬くした浩輔だが、予想外に父親の口からついて出てきたのは優しい声だった。
「わかってるのなら、それでいい。お前なりに理由もあったんだろ。でも一言でいいから言ってくれないと、もしものことがあったらどうするんだ。まぁ、本当に何もなくてよかった」
破顔した薫は息子の青い髪をくしゃりと撫で、それ以上は何も言わなかった。それだけで彼には十分過ぎるほど伝わっていると知っているから。
浩輔は溢れ出そうな滴を懸命に押し留め、何度もうなずいた。
それと同時に蓮呪の言葉が耳の奥に甦る。

心配してるから逆に怒るんだと、俺は思うけどな。

無意味に怒る人などいない。いつも怒るときは相手のことを愛し、想っているから願いを込めて叱るのだと。
誰よりも大切な家族だから。
「よかったね、浩輔」
二人が和解したことに安堵の息と共にフィアナは口許を緩める。
あれほど家に帰ることに怯えていた浩輔だが、よかった。仲直りができたようだ。
「…………?」
浩輔がその声にそちらを向いて笑う隣で、薫はふいにした声の方を同じように見た。
明らかに妻のものとは違う幼い女の子の声。
そうして洋輔の近くに正座をしている可愛らしい少女を見つけて、視線を我が息子に移す。
「……洋輔、その子は?」
何がどうなって見知らぬ少女がうちにいるのだろうか。
困惑している父をよそに洋輔は満面の笑みを浮かべた。
一瞬にして悪寒が走った。いや、これはもう直感というべきものだろう。そしてこの直感は悲しいことに外れたことはない。
そして次の瞬間。
「浩輔の彼女のフィアナちゃん」
「「はぁ?」」
二人の声が見事に重なった。
薫はぽかんと口を開けて固まったまま、洋輔の言葉を頭の中で反復させて必死に状況を理解しようとする。
浩輔はというと片割れのとんでもない発想に頭を抱えたくなった。
いくらなんでもそれはやりすぎだろう。というか、もっとマシな設定はなかったのか。ただの友達とか。
彼への不満は頭の中でぐるぐると渦巻いているが、そのどれも口に出すことはできなかった。
「なんでもお母さんが検査入院しているらしくて、浩輔は今までフィアナちゃんの家にいたんですって。せめてフィアナちゃんのお母さんがよくなるまでうちで預かってあげてもいいでしょうか」
その話が本当なら可愛い女の子が家に一人で生活をするのは、いろいろと危ない面もある。
もちろん真弓が考えている危ないこと以外にもいろいろとだが。
しかし家の中では父親の権限が一番大きいので真弓には判断しかねるが、彼女の声はもはや薫には届いていなかった。
「浩輔、俺は彼女がいるなんて聞いてないぞっ」
どうして言ってくれなかったんだ!!、と彼はおもむろに浩輔の肩を掴んで問い詰める。
まったく威厳に満ちた先ほどの父親はいったいどこにいったのやら。
しかも俺だって彼女を作った覚えはない。
「ちょ……父さん、とりあえず落ち着いて…………っ、頭くらくらしてるから」
肩を勢いよく揺すられるので、頭がそれに合わせてぐわんぐわんと前後する。
必死に制止を訴え、何とか解放してもらうと、ひとまず気持ちを落ち着けて頭の中を整理する。
洋輔め、また余計なこと言いやがって…………。
そうして薫はフィアナに向き直ると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「そうかフィアナちゃんか。で、浩輔の彼女、と。うちでいいならいくらいてくれてもいいぞ。なんせ将来俺の娘になるかもしれないしな」
ふいに、本当にさりげなく、薫は問題発言を残した。
それにはさすがの浩輔も目を瞠る。
こんな会話、ユアなんかに聞かれでもしたらただじゃ済まない。
洋輔は洋輔でわお、結婚まで話がいっちゃったね、と笑い事で済まされている。あの様子だと絶対後で告げ口するんだろうな。
「……洋輔、あとで覚えとけよ」
このあと何が起こるかなど容易に想像はつく。浩輔は恨みのこもった声で呟くが、双子の兄はニコニコとしているだけだった。
「それでフィアナちゃんの部屋だけど、ちょうど一つ部屋が空いてるからそこを使ってね」
「あ、はい。ありがとうございます」
息子たちのやり取りを微笑ましく眺めていた真弓はそれをよそにフィアナに話しかける。
それにフィアナは礼を言って、うれしそうに笑った。
「じゃあ、夕飯の支度してくるわ。薫さん、あまり浩輔をいじめちゃ駄目ですよ」
真弓は静かに立ち上がると、夫の鼻先に人差し指を向けて釘を刺す。
浩輔がいるとどうしてかちょっかいをかける。遊んでいるのだからいいのだが、薫も洋輔もそれを過ぎてしまうことも多々あるので、念のために忠告する。
すでに行動に移りかけていた薫は真弓の一言にぴたりと動きを止め、彼女の綺麗な顔を見返して苦笑を浮かべながらうなずいた。
「……はい」
彼女が困ることはしたくない。結果、彼女には逆らえない。
しゅんとうなだれる薫を尻目に洋輔は二人を見る。
「じゃあ、僕らはご飯できるまで上にいよっか。セノト屋根にいるし、中に入れてあげないと」
どこまで行っても自分のペースは乱さない。
珍しく他人を案じる洋輔に感心しながら浩輔はそうだな、と頷き、フィアナを連れてリビングを出た。
「いいの?お父さん浩輔とお話したかったんじゃ…………」
自分のせいで彼の家族に心配をかけさせ、浩輔が怒られる羽目になったのだ。せっかく帰ってきたのだから、それほど自分に気を遣ってくれなくてもいいのに、と彼女なりに考えた結果だ。
居間を気にして後ろを振り返るフィアナに浩輔は薄く笑みを口許に乗せる。
「気にしなくていいよ。どうせこれからずっと世話になるんだし、話す機会はいっぱいある」
たとえ守護神の寿命が短くても、親と縁が切れることはない。両親とは一生付き合っていくのだから。
浩輔は彼女の頭をぽんぽんと叩きながら、それに、と肩をすくめて見せる。
「あのままいたら本気でちょっかいかけられて鬱陶しいと思うから」
いったい息子をいじめて何が楽しいのだろうか、と思えるほど父親はすぐにちょっかいを仕掛けてくる。それも大人気ないほどに。
平気で人のおかずを取っていくし、子供のような発言をするときもしばしばある。洋輔と手を組まれたら最悪だ。
しかしそれでも公私はちゃんと分けているので、それでいて説得力があるのも事実ではあるのだが。
「仲いいんだね。みんなが笑ってるとわたしもうれしい」
そう言ってフィアナは何かを堪えるような笑みを浮かべた。
その理由を浩輔は知っていた。



NEXT PAGE→
←BACK PAGE

copyright (C) 2010 春の七草 All Rights reserved.