「……っ」
それほどダメージはなかったが、人とぶつかったときのような痛みが走り、ユアは思わずその場に膝をつく。
その反動で手から離れた刀は神気を失い、元のブレスレットに戻った。
セノトは肩で息をしている仲間に手を伸ばすと、それに気づいたユアは彼の手に掴まって立ち上がる。
「油断した」
「背後に気を配れないのはお前の弱点だな」
ほうと息を吐き出す少年にセノトは鋭い指摘をすると、彼は罰の悪そうな顔をする。
「母さんにも言われる」
ユアの母親は現在白界で剣術の道場を開いていてたまに彼も手合わせをするのだが、その度に今のセノトのように背中を見せるな、と怒鳴られるのだ。
「わかってるんだけどな。つい目の前のことしか見えなくなる」
悪い癖なのは十分わかっている。
白界で最強だと言われているが、まだまだそれほどたいしたことはない。
肩を落とすユアの頭を無造作に叩いたセノトは微笑を浮かべた。
自覚があるなら大丈夫だろう。
「少し休むか」
立て続けに戦闘するのは得策ではない。
そう言ってセノトはクロカを見ると、今まで二人の戦闘を眺めていた彼女は頷いた。
刹那。
感じた気配にファイネルの三人は同時に空を振り仰いだ。
突然生じたこの二つの神気は。
そしてその中でクロカは何かに気づいて、離れたところで観戦していた藤に向かって叫んだ。
「藤くんっ、そこから離れなさい!!」
「え?」
しかし時はすでに遅かった。
突如舞い始めた桜の花びらとともに二つの人影が重力に従って彼の上に落ちる。
「うわっ」
「ぐえっ……」
藤はいきなり振ってきた二人に耐え切れず、蛙が潰れるような声とともに仰向けに倒れこんだ。
そしてそのとき何か柔らかいものが、自分の唇に触れていることに気づく。
「…………あ」
呆然とことの成り行きを見ていた五人は今起きている状況に口を揃えて驚く。
被害者である藤は閉じていた瞳をゆっくりと開き、自分にいったい何が起こっているのかを確認しようとした瞬間、彼の動きは一瞬にして凍りついた。
目の前に青い綺麗な髪がある。
それに先ほどから触れているこの感触。
そこでようやく思考が戻ってきて理解し、藤は大きく目を見開いた。
どうやら彼の唇と落ちてきた浩輔の唇が接触してしまったようだ。
「浩輔、ごめんね。うまく着地できなかった」
彼らの上から降りてきた少女は今下で何が起こっているのかも知らずに、ぺろりと舌を出して苦笑を浮かべる。
しかし二人から返ってくる言葉はなく、浩輔はのろのろと身を起こすとその場に力なく座り込み、ただ呆然と口許に手を当てていた。
藤も同様だった。立ち上がると別段怒っている様子もなく、口許だけが笑っていた。
「……浩輔?」
明らかに様子がおかしいことに心配した面持ちのフィアナは顔を覗き込むが、それでも彼の反応はない。
どうしたのかと思っていた彼女はしかし、それと同時に誰かが抱きついてきたことに意識が反れる。
「フィア」
フィアナの小さな身体を背後からすっぽりと腕に収めたユアは懐かしそうに目許を和ませる。
「ユアぁ」
肩越しに振り返ったフィアナの表情が一瞬にして明るくなった。
そして少し離れた場所には綾夜と接触するまで一緒にいてくれていたセノトと、白界を出る少し前に会ったきりだったクロカいて、今まで張り詰めていた気持ちが一瞬のうちに緩む。
ぎゅっと抱きしめてくれるユアの温もりがとても懐かしい感じがする。
そうして蓮呪に言われたことを思い出す。
一人でなにもかも背負うのもいいけど、それでお前が死ねばユアたちはどうするんだ?…………。もっと仲間を頼ってもいいと思うけど?俺も少しは力になれるから。
彼女がどうして一人で白界に行ったのか、理由は知っている。だからこそ、ここで言う必要があるのだ。
もしも「フィアナ」という存在がいなくなれば、それまで関わってきた人たちの気持ちはどうなる。
彼女が誰かを大切に思うと同じくらい、彼女を大切に思う誰かは必ずいる。
少なくとも、いつも守ると言ってくれているユアはそうではないのか。
彼女の願いを果たすためには大切なものを失うかもしれない。それを恐れて自分を犠牲にする考えも間違いではないはずだが、後に残された人たちのことも彼女はもっと考えるべきだった。
皆のためを思ってした行動が結局自分のことしか考えていなかったのだ。
「ユア、心配かけてごめんね」
こんな自分でも彼は何も変わらずに接してくれる。それがとても嬉しい。
ユアが離れると彼に向き直ったフィアナは沈んだ面持ちで謝る。こんなにも自分を想ってくれているのに、それを信じなかった。
「フィア……」
虚を突かれたユアは言葉を捜しあぐねていたが、やがてふっと微笑を浮かべると首を横に振った。
「フィアは悪くないよ。俺がもう少し早く行動してれば、フィアがあんな痛い思いしなくてもよかった。いつも守るって言っておきながら、肝心なとこで守れてない。ほんと、ごめんな」
ずっと言いたかった言葉はいつも頭の中で絡まってばかりだったのに、今は自然に口からこぼれる。
「今度はちゃんと守る。だからヤバくなったらすぐに俺を呼べよ。絶対守るから」
初めて出会った頃、初めて交わした約束を今でも鮮明に思い出せる。
約束する。俺はフィアを、一生命を懸けて守る
幼い彼女にそう誓ったんだ。
そのときの屈託のない無邪気な笑顔と今の彼女の笑顔とが重なる。
「うん、ありがとう。ユア」
リオナ以外で初めてできた仲間が彼だった。赤い目を持つ自分を彼は受け入れてくれたのだ。
それがとてもうれしくて、自分も大切にしたいと思った。自分もユアを守るのだと。
満面の笑みを浮かべるフィアナの髪をユアは優しく撫でる。
「まったく、好き勝手やって結局これなんだから、進歩しないわね。まぁ、それがあんただから今更変えろとは言わないけど、もう少し頼ってほしいわ」
近づいてきたクロカも怒った様子もなく、ため息混じりに片目をすがめるとフィアナの額を軽く小突く。
しかし言葉とは裏腹にちゃんと戻ってきてくれて安心しているのだ。
「うん、ごめんね」
フィアナは小突かれた額に右手を当て、口許に笑みを浮かべたまま謝る。
そして最後にセノトに視線を向ける。
人界に来てともに行動していたセノトにはたくさん迷惑をかけた。
許しがたい願いを彼に頼み、勝手な行動をして自滅した。
「セノト……ごめんなさい。いっぱい無理なお願いして、みんながどんな気持ちになるかぜんぜん考えないで、一人で戦ってた」
蓮呪に言われ、今になってその行動がいかに愚かだったかを思い知らされた。
皆に辛い思いをさせたくないと一人で戦うことを決意したことが、逆に皆を辛くしていた。
うなだれるフィアナにセノトは感情の乏しい表情のままそっと手を伸ばす。
叩かれるのかと目を閉じた少女だったが、予想外に髪をくしゃりと撫でられた。
「言っただろ。お前が決めたことに俺が口出しすることじゃない。だからお前を責めることはできない」
セノトも桜の精霊と同様に彼女の意思に従っただけの話だ。その結果、傷を負ったのはフィアナの責任である。
そして彼はフィアナの頭をぽんぽんと叩くと、彼女はくすぐったそうに目を細めながら何度も頷き、ありがとうと言う。
本当なら怒鳴られて怒られるのが当たり前なのに、仲間はそれをしなかった。しかし怒号交じりの叱責より、言い聞かされるほうが罪悪感は強いものだ。
もう仲間を傷つけるような、裏切ることはできない。仲間を頼らないことは、それは本当の仲間ではない。
それを今回のことで再度思い知らされた。
「それからね、浩輔協力してくれるって」
ファイネルのことや守護神のことを話してくれたのはクロカだと蓮呪から聞いている。
そのことを一応報告したほうがいいだろう。
するとクロカは彼女の言葉にほっと息を吐き出し、笑みを浮かべた。
「そう。よかったわ」
わかってはいたが、実際に当人から聞くほうが何倍も実感はある。
うれしそうにする彼女を見ていると、こちらもうれしくなる。
「これで先に進めるね」
「うん。あ、そういえば蓮呪が謝ってたよ。悪いってセノトに伝えてってゆわれたの」
ついで思い出した伝言にセノトを見たフィアナは彼の薄い翠玉の瞳を見上げる。
もしかすれば怒っているかもしれない、というのが、蓮呪が懸念していたことだった。
セノトはほうと息を吐き出すと、一言そうか、と頷いた。
そうしてフィアナは仲間をもう一度見回し、嬉しそうに笑うとふいに何かに気づいて首を傾げる。
「そういえば、どうしてみんなここにいたの?」
あの神殿からは特定して移動はできないのだが、神気が集中しているところに行けば自ずと浩輔の街にはいけるだろうと考えていたのだが。
実際来てみれば、街より少し離れた山の麓で、そこで全員が集まっていた。
問いかけるフィアナの質問に答えたのはクロカだった。
「私が言ったのよ。修行しようかと思ってね。ユアたちに協力してもらってたの」
腰に片手を当てた彼女は視線でユアとセノトを示すと、それに納得したフィアナはそうだったの、と頷く。
たしかに綾夜と直に手合わせしたフィアナなら彼女の考えが正しいことはわかる。たとえ守護神の力を借りたとてこれまで以上に膨大な力が得られるわけではない。
武器と神呪を巧妙に使い分けなければならない。
「フィアナもする?ずっと休んでたから鈍ってるじゃない」
どこか含みのある言い方をしたクロカは片目を閉じて笑ってみせる。
それにフィアナは考える素振りをし、自分を省みる。たしかに約一週間ろくに身体を動かしていない。
この際だから少し手合わせしてもらおうか。
そう考えた彼女だが、しかし次に感じた気配にその場にいたファイネルは同時にはっと軽く目を瞠る。
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