≫ No.3

07 : 第七話




結局最初にした約束を破って、浩輔の部屋にずっといたフィアナはいつの間にか眠っていたらしく、窓から差し込む柔らかな光で目が覚める。
椅子に座った状態で腕を枕にして眠っていたせいか、微かに強張った身体が痛い。
少女は欠伸とともに大きく伸びをすると、ベッドで寝ているはずの浩輔を確認する。
彼が白界に来て三日が経った。
フィアナの浄化を行ってから一度も目を覚まさないということは、それだけ力を限界まで使ってしまったからだろうが、それでもこのまま目を覚まさないのではないだろうか、という不安が彼女にはあった。
「……浩輔。……?」
ふいに口から出た言葉に反応したのか、彼の身体が微かに身じろいだ気がした。
しかしそれきり動かないので気のせいかと思っていたが、浩輔の瞼がゆっくりと開かれるのを見てフィアナは表情を明るくさせる。
現れた翠玉の瞳をしばらくの間焦点が合わずに宙を彷徨っていたが、視界の隅に少女を捕らえて完全に覚醒する。
「……」
それから視線を上に戻して、部屋の天井を見る。
今までのことを思い出した浩輔は肘を支えに起き上がると、未だぼーっとしている頭を無理矢理叩き起こす。

よかった。フィアナは無事だったんだ。

「大丈夫?浩輔」
床に膝をついたフィアナは浩輔の顔を上目遣いに見上げ、心配そうな面持ちをする。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
浩輔は微かに強張った笑みを浮かべ、心配してくれる彼女に礼を言うが、その次の言葉が出てこない。
一番言わなければならないことだ。これを言うために自分はここに来た。
それなのに、喉が凍り付いてどうしても言いたい言葉が出てこない。
何度息を吐き出して呼吸を落ち着かせても、早鐘を打っている心臓が静まる様子はない。
「大丈夫?やっぱりまだ寝てたほうが………」
心なしか彼の表情に血の気がない。
それを心配したフィアナは心配するのを、しかし浩輔は遮った。
「……フィアナ、ごめん」
少年は彼女の大きな瞳を見るが、耐え切れずに俯く。
おそらく今の顔は間違いなく頼りないものだろう。それを彼女には見せられない。
一方謝られたフィアナはいったい何が起こったのか、理解せずに戸惑っていた。
「……え、えっと……」
かける言葉が見つからずに、ただ浩輔の綺麗な蒼い髪を見つめる。
すると浩輔はおもむろに顔を上げると、今度は視線を逸らせない。
「あの時お前に従っていたら、あんな怪我をしなくてよかったのに、俺のせいで痛い思いをさせた」
謝ったとしても、この傷は一生残るだろう。
ユアが怒るのも無理はない。
数日経った今でも鮮明に思い起こせる。彼女の肢体が真っ赤に染まり、立っている地面がだんだんと赤く、血溜まりを作っていく様子を。
許してもらおうとは思わない。それでも謝らなければ、この気持ちを伝えなければ前には進めない。
再度ごめんと呟いた浩輔にフィアナは花のような笑みを浮かべた。
「違うよ。浩輔のせいじゃない。だって、浩輔は普通の生活がいいって言ったのに、わたしが無理矢理巻き込んだんだもん」
自業自得だ。
自分勝手な行動をした挙句の果てに関係のない人を巻き込んで自滅した。
あの日から、何も変わっていない。いや、変わろうとしなかったんだ。それが結果、いろんな人を傷つけた。
まったくもって恥ずかしいことだ。
それに浩輔が謝る必要がないことを、フィアナは知っている。
もう過ぎたことなんだから、過去を責めても仕方がない。
子どもをあやすように彼の頭をぽんぽんと叩き、にっこりと微笑む。
されるままになっている浩輔はようやく口許に笑みを乗せると、微かに頷いた。
それから居住まいを正して、改めて彼女の紅蓮の瞳を見る。
「フィアナさ、前に忘れろって言ったよな?」
「……?」
ふいに問いかけられた内容に心当たりがないフィアナは首を捻り、記憶をさかのぼる。
そういえば、確かに言ったかもしれない。
彼と正式に対面したとき、拒絶されて自分は忘れていいよ、と言ったのだ。おそらくそのことを指しているのだろう。
「お前みたいな変わった奴、忘れろって言われても忘れられるわけないじゃん」
「……」
苦笑を浮かべている浩輔の言葉の意図がつかめずに、フィアナは黙って聞いている。
それを気にした風もなく、彼は続けた。
「お前に協力する。死ぬかもしれないのに、フィアナは命懸けで守ってくれた。だから、今度は俺が命を賭ける」
たとえその結果が命を失うことになったとしても、おそらく後悔はしないはずだ。
決して自分の中にある力を過信しているわけではない。むしろどういうものかわからないのだ。
それでも逃げてばかりいた自分を変えるには十分なはずだ。
「お前がいるからそう簡単には死なないだろうし」
もう逃げるのは疲れた。なら、後ろに行くのではなく、前に進めばいい。
フィアナが最初に見た浩輔の表情と一変していることに軽く目を瞠ると、うれしそうに満面の笑顔を向けた。
「うん。ありがとう、浩輔」
彼の答えは蓮呪が教えてくれた。でも本人の口から聞いた言葉のほうが何倍もうれしい。
フィアナは何度も礼を言い、嬉しさのあまり浩輔に抱きついた。
「……っわ」
突然のことにさすがの浩輔も目を見開いていたが、彼女の喜び方はまんざらではなかった。
目的はまだ知らされていないが、これ以上後悔はしたくないからもう自分に嘘はつかない。
ぎゅっと抱きしめてくるフィアナの背中をぽんぽんと叩き、浩輔は安堵の息を吐き出した。
そうしていると、タイミングよく扉がノックされる音が小さく聞こえ、数秒のちに蓮呪が顔を出した。
「なんだ、起きてたのか。……、なにやってんだ?」
部屋に入った途端、目に飛び込んできたのは二人が抱き合っている姿だ。
蓮呪は空色の瞳をきょとんとさせた。
何がどうなって、こうなったのだろうか。彼は首を捻る。
そして浩輔はというと、言い訳不可能なこの状況に完全に固まっていた。
フィアナは蓮呪に気づくと、何事もなかったように浩輔から離れて嬉しそうに笑った。
「浩輔が協力してくれるって、ゆってくれたんだよ」
彼女の喜び方からして予想はついていたが、蓮呪も自分のことのように嬉しかった。
「そっか、それはよかったな。まぁ、今のことはユアには内緒にしといてあげるから気にするな」
別に悪気があったわけではないのだが、今は蓮呪のにっこりと笑った笑顔も逆に怖い。
ユアの怒った顔が容易に想像できる。
ということは、クロカの平手打ちどころの騒ぎじゃない攻撃を受けて、そこで生きていられるのは難しい。
さあっと血の気が引いた浩輔は深々と頼んだ。
「まだ死にたくないから、ユアにだけは言わないでください」
あいつに言い訳が通用しないのは、前例からでもわかる。
絶対に殺される。
必死の体で謝る彼の様子が可笑しくて、蓮呪は苦笑いを浮かべる。
「わかってるよ。たしかに殺されそうだな」
彼とて仲間が怒っている姿を見たくない。それに蓮呪は意外と口が堅いので、その約束は絶対だろう。
ほうと息を吐き出す浩輔に笑みを向けてから、視線をフィアナに移す。
「それでフィアナ、あのこと話すのか?あとはお前が目的を話すだけだ」
その瞬間、彼女の瞳が変わったのが目に見えてわかった。
「……うん。話さないといけないし」
浩輔が気持ちを伝えないと前に進めないと言ったように、フィアナもまた自分の過去を話さないと前に進めない。
静かに頷いた彼女は無理に笑みを浮かべる。
「そうだな。まぁ、お前のことに首を突っ込むわけにはいかないからな。俺は戻るよ」
この少女なら勇気を持っている。自分が心配することはない。
それにもともと彼は浩輔の様子を見に来ただけなので、当初の目的は完了している。
用事は済んだので退散しようと踵を返した、その刹那。
「え、嫌だっ。行かないでぇ」
その後ろ姿にあろうことかフィアナはがばりと飛び掛り、彼の動きを盛大に止めた。
「っうわ」
不意を突かれ、ほぼ抵抗もなしに勢い余った蓮呪は顔から床に突っ込む。ごんと鈍い音とともに。
「い、いきなり何するんだ……」
自分と一緒に倒れ、上に乗っているフィアナを肩越しに見て訴える。それが心なしか涙声になっているのは気のせいではないだろう。
打ち付けた額はうっすらと赤みを帯びていて、その光景を一部始終見ていた浩輔はひそかに同情した。
「行かないで……。お願いだからわたしがちゃんと話せるか聞いててよ」
フィアナは蓮呪から離れると床に座り、必死の体で頼む。それでも逃がさない、と言いたげに彼の腕は掴まれている。
なぜここまで必死なのか、わからないでもない。
一応長から仕事は言い付かっているのだが、この際仕方がない。
蓮呪は未だひりひりと痛む額をさすりながら本格的なため息を吐き出し、わかったと頷く。
「ありがとう、蓮呪」
彼の返事に表情を明るくさせたフィアナはうれしそうに笑った。



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