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06 : 第六話




それから夜が明け、辺りは薄く幕を張ったように霞がかっていて朝日がそれを反射している。
窓から光が差し込み、自室のベッドで眠っていたフィアナはその光に気づいて、微かに瞼を振るわせる。
一拍置いてからゆっくりと目を開き、眩しそうに細められた。
「……?あ、れ?」
だいぶ目が慣れたころに横たわったまま室内を見渡すと、視界に人影が映った。
それにこの部屋には見覚えがある。
フィアナは上体を起こそうと肘に力を入れる。
自分の傍らにいるのは。
「……れん、じゅ……」
「フィアナ、起きてたのか」
ずっと眠っていたからか声がうまく発せずに掠れるが、それでも聞き取ってくれた蓮呪は気づいて背中を支えてくれる。
軋む肺に空気を入れたフィアナはありがとうと作り笑いを浮かべ、改めて彼を見る。
眠っていた自分の傍にずっといてくれたんだ。
「大丈夫か?」
病み上がりなので、彼女の表情はさらに白さを増していた。
「大丈夫だよ。ちょっと頭がくらくらするけど、蓮呪のおかげだね。……迷惑かけて、ごめんね」
あの傷を治してくれたのは彼で、皆にも心配をかけたに違いない。
自分勝手な行動に皆を巻き込んだ。
しゅんと首をうなだれて謝るフィアナの表情が翳りを帯びる。
「まったくだ。ほんと、助からないかと思った。でも生きててよかったよ」
蓮呪はほうと息を吐き出すと、彼女の額を指で弾き、肩をすくめてみせる。
自分も勝手な行動で仲間を心配させている自覚があるので、責めることはできないが、これからのことは自分で考えればいい。
彼の行動に驚いていたフィアナだが、同時に言いたいこともわかって泣き顔にも似た顔で何度も頷いた。
もう自分ひとりの命ではないのだから、大切にしないといけない。
「ねぇ、闇の守護神は?大丈夫だったの?」
それだけが気がかりだった。自分がいなくなることで、危険が浩輔に及んでしまう。
綾夜は弱い人には容赦はない。
心配そうな面持ちで尋ねる彼女に蓮呪は落ち着くように言うと、笑って見せる。
「大丈夫だよ。お前が守ったから怪我もない。今は隣の部屋で眠ってるよ」
「そう、なんだ……」
よかった。あの子は無事だったんだ。
全身の力が抜けてへたんとしてしまったフィアナは、しかし彼の最後の言葉に自分の耳を疑う。
「え、あの子ここに来てるの?」
「まぁな。お前の中に綾夜の血が入ってたし、浄化してもらわないといけないだろ?」
異種の血を浄化できるのは清浄な守護神の神気だけ。
それを行うためには、浩輔には白界に来てもらわなければならなかった。
「でも最初だから神気のコントロールが利かなくて、ほとんど無駄に使ったから当分は満足に身体は動かせないだろうけどな」
実際に浄化のための神呪でも気を失うところまではいかないのだが、素人なので仕方ない。
命に別状はないので、それほど心配することもないだろう。
「ねぇ、蓮呪。わたし、あの子のとこ行きたい」
彼の話を聞いて会いたくなったのか、意気込んで尋ねる彼女の表情には先ほどの不安な色は消えていた。
しかしそれにはさすがの蓮呪も戸惑った。
「は?いや、行きたいってお前………」
本人は元気だかなんだか知らないが、病み上がりであることには変わりはない。
それに雨涅には絶対安静と釘を刺されているのだ。今ここでフィアナを連れて行けば、十中八九彼女に注意を受けることは間違いない。
言いよどむ蓮呪だが、彼の言葉ではフィアナを説得することは難しい。
自棄(やけ)になった彼は深い息を吐き出すと、しょうがないといったふうに了承する。
「わかったよ。でも、会うだけだからな。その後は絶対に部屋から出るなよ?」
傷は癒えても神気を回復させないといけないし、体力も完全ではないはずだ。
まだまだ油断はできない。
雨涅の説教を覚悟し、うなずいてくれた蓮呪にありがとうと礼を言うと、フィアナは布団から出て床に足をつける。
そして立ち上がろうとした刹那、思ったとおりに足に力が入らずにそのままへたんと座り込んでしまった。
「……。蓮呪、力が入らないよ……」
何が起こったのかわからずにきょとんとしていたフィアナはゆっくりと顔を上げ、先に立ち上がっていた蓮呪に助けを求める。
まさかここまで衰弱していたとは、自分のことなのに気づかなかった。
蓮呪は盛大にため息をついて、頭を抱えると彼女に手を伸ばす。
「だから言っただろ」
「……だって」
彼の手に掴まり、立ち上がったフィアナはしゅんとなって首をうなだれるが、その彼女の頭を軽く叩く。
「そんなくらいで落ち込むなよ。ほら、浩輔のとこ行くんだろ」
まったく世話のかかる奴だ。
フィアナの小さな手を引っ張って部屋を出ると、隣の扉の前でいったん止まる。
こんこんとノックをして、扉を開けると地の精霊が床に端座していて、窓際には桜の精霊がこちらに視線を送っていた。
蓮呪は怒られている子どものように小さくなりながら部屋に入り、その後に続いて入ってきた人物を認めた二人の精霊の顔色が微かに変わったのがわかった。
「フィアナ様、もうよろしいのですか?」
心配そうな面持ちの雨涅は首を軽くかしげ、蓮呪をちらりと一瞥する。
その瞳が自分を責めているようで、彼の心臓が一瞬跳ね上がった。
「うん、もう大丈夫だよ。心配かけてごめんなさい、雨涅、レイカ」
二人を交互に見たフィアナは自分の行いを振り返りながら、深く頭を下げる。
「フィアナ様……」
予想していなかった彼女の行動に虚を突かれた雨涅はかける言葉が見つからないでいる。
しばらくの間、そうしていた彼女にレイカの低い声がかけられた。
「フィア姫、顔を上げてくれ。別にお前だけが悪かったわけじゃない。わかっていたのに、何も言わなかった俺にも責任はあるんだから」
精霊は神気を使えば、主に干渉することができる。なのに、自分はそれをせずにただ黙って主の行動を見ているだけだった。
止めることも、この事態を回避することもできたはずだ。
「俺のほうこそ、悪かった」
逆に謝るレイカにはっとして顔を上げたフィアナは必死に首を振る。
「そんなことない。だってレイカはわたしの意志を尊重してくれただけなんだし、今回のことはやっぱりわたしが悪いんだよ」
セノトにも無理なお願いをしてしまった。きっとユアを傷つけたに違いない。
そして何より浩輔に怖い思いをさせてしまった。
二人の言い分を黙って聞いていた雨涅は閉じていた瞳を開き、フィアナを見上げる。
「わたくしはその場にはいなかったので、詳しいことはわかりかねますが、今回のことは十分に後悔をしたはずです。もうこのようなことは起きないとわたくしは思います。だから、もういいのではないでしょうか」
傷を負ったことで後悔をした。次はこんな過ちを犯さないと努めることだろう。
今ここで自責に駆られ続けているわけにはいかない。
彼らの気持ちを慮った上で、雨涅はそのことを悟る。
それは彼女自身も思っていることだから。
「……そうだな。雨涅の言うとおりだ。フィア姫、今度は危なくなる前に俺を呼んでくれ」
いつまでも過ぎたことを言っている場合ではない。
主に近づいたレイカは彼女の空色の髪を撫でると、そう願う。
これ以上主が傷つかないように、その傷は全て自分が受ける。だから必要なときは遠慮なく召喚してほしい。
それが契約だから。
「うん、わかった。ありがとう、レイカ」
彼の意思を受け取ったフィアナは花が咲き誇るような優しい笑みを浮かべると、大きく頷く。
もしかすれば、レイカが自分にお願いをするのは初めてかもしれない。
いつも願うのは自分で、彼はそれに従ってくれる。
「じゃあ、俺は戻るから必要なら呼んでくれ」
主の笑顔につられてレイカも薄く微笑を口許に乗せると、桃色の光に転じる。
そしてふわりと宙を浮遊してから、主の中へと消えていった。
桜の神気が自分の内に戻ったことを、胸に手を置いて実感してそれから浩輔を見る。
ベッドに横たわった彼は別段苦しそうでもなく、穏やかに寝息を立てていた。
ただ命とも言うべき神気を少し使いすぎたせいで、疲れただけなのでそれほど心配することはない。
一歩浩輔に近づいたフィアナはその傍らに膝をつき、眠っている彼に視線を合わせる。
「……ごめんね」
呟いた言葉は浩輔には届いていないけど、どうしても謝らずにはいられない。
守れなくてごめんね。迷惑かけてごめんね。力が及ばなくて怖い思いをさせてごめんね。
たくさん言いたい言葉はある。
でも、これらの言葉はきっと浩輔を苦しめる。
「君は君の思うように生きてくれたらいいよ。生きて、後悔がないように」
最後に巻き込んでごめんね。
答えのない浩輔の手を握り、それを頬に当てる。
あたたかい。
生きている証だ。ひとのぬくもりだ。
「ねぇ、蓮呪。闇の守護神が目を覚ましたら、人界に戻るよ。協力は無理かもしれないけど……」
「そんなことないよ。浩輔はお前に協力するためにここに来たんだ」
彼女の言葉を遮り、蓮呪は首を横に振る。
フィアナが知らないのも無理はないし、彼女は一度拒絶されている。無理だと考えるほうが自然だが、彼の答えも知ってやってほしい。
彼女の瞳がみるみるうちに見開かれていくのが、目に見えてわかった。
「うそ……」
「でなきゃ、血を浄化しになんて来ないって。浩輔はお前に力を貸すことを覚悟したんだ」
しかしこれは浩輔自信がちゃんと伝えなければならないことだ。
詳しいことを話すことはできないが、これだけは言える。
「ちゃんと、お前は先に進めるよ」
フィアナは揺れる瞳で彼の言葉を聞きながら、浩輔の寝顔を見る。
一番求めていた答えなのに、実際にそれを受けると実感が湧かない。こんなこと言えば、きっと浩輔は怒るだろうが、嘘のようだ。
「ありがと、浩輔」
彼の頬にそっと手を添え、何度も何度も礼を言う。
これで先に進めるんだ。あの人を探せる。
まだまだこれからだけど、きっと浩輔となら大丈夫な気がする。



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