「あ、戻ってきたみたいだよ」
二人の姿に逸早く気づいた洋輔は声を上げて、他の四人に報せる。
戻ってきたクロカがセノトの傍に来ると、彼は少し下にある夕焼けの瞳を見下ろす。
「話したのか?」
「まぁ、フィアナが自分で話さないといけないこと以外はね。でももう大丈夫よ。あの子の道は繋がったわ」
彼女の言葉が差す意味を理解したセノトは浩輔のほうを見る。
藤に髪をくしゃりとかき乱され、洋輔にちょっかいをかけられている浩輔の瞳に宿っている光の強さは、遠目からでもはっきりとわかる。
「そうか」
心配していたが、もう案ずることはない。
「レイカ、お願いがあるんだけど」
ようやく解放された浩輔は少し近寄りがたい雰囲気を醸し出している桜の精霊の傍に行き、その瞳を見上げる。
腕を組んでいた彼は少年の声に腕をほどいて、なんだというふうに聞く体勢に入った。
「俺をフィアナのところに連れて行ってほしい」
ここに戻ってくる途中でクロカが教えてくれた。
精霊は契約した主の命令には必ず従事しなければならない。しかしその主が力を求める守護神の言葉も主と同等になると。
命令するつもりは毛頭ないが、浩輔は必死に言葉を選ぶ。
レイカは彼を見下ろし、肩をすくめた。
「そんなに慎重にならなくてもいい。……フィア姫と同じ目になったな。わかった、行こう」
主を傷つけたからといって、彼を責めることは自分にはできない。自分も黙って事の成り行きを見守っていた一人なのだから。
それに今度は間違いは起きない。そんな気がする。
桜の精霊は浩輔を近くに寄せて、神呪を詠唱しようとした刹那、少し強張った声がそれを止め、二人の視線が近づいてきたユアに向けられる。
今まで離れていたユアは浩輔の真正面に立つと、彼の顔をじっと見る。
「言っとくけど、俺はまだお前を許してない。でもフィアは絶対許すはずだから、これ以上あいつが傷つかないように、フィアもお前も守ってやる」
いくら自分が許さないと言っても、当の本人が許すのであれば、その言葉は意味を持たない。
それに生きているのだから、誰にだって間違いはある。もうこの次はないが。
ユアは言葉に詰まりながらも、ちゃんと自分の気持ちを伝える。
「わかったら、さっさと行ってフィアを助けて来い」
今更恥ずかしくなってきたのか、最後に投げやりにそう吐き捨てると、彼に背を向ける。
初めはまた怒鳴られるのかと思っていた浩輔だが、彼の気持ちを察して薄く笑みを浮かべる。
「うん。ありがとう、ユア」
浩輔はユアの背中に礼を言うと、視線をレイカに移す。
その意図を読み取った彼は無言でうなずき、神呪を唱える。
「”我が身の内に秘める桜の力をまとい、主のもとにこの身を舞い戻らせ 幻桜淳(げんおうじゅん)”」
詠唱とともに桜の花びらが召喚され、二人を包み込んで飛翔していく。
二人の神気が完全に消えると、クロカは肺が空になるまで息を吐き出した。
本当は拒まれるのを覚悟した上で浩輔に話したのだが、その覚悟は無意味に終わった。
今回の守護神たちは相当強いようだ。
まぁ、こちらでできるだけのことはしたし、あとはあの二人次第だ。
「それにしても、よく言えたわね。守るって」
ユアに向き直ったクロカは幼い子どもを褒めるように笑みを浮かべる。
いつもの彼なら、一度嫌いというカテゴリーに入った人は絶対に自分から関わろうとしないのだが、珍しいこともあるものだ。
しかし彼女の言い方がどうしても嫌味にしか聞こえず、ユアは吠える。
「うるさいっ。少し口走ったな、とは思ってんだ」
今頃になって恥ずかしくなったのか、彼の頬がほんのり赤く染まる。
ユアは彼女から視線を逸らせてふいに真剣な面持ちになり、浩輔の顔を思い出す。
「フィアの希望なんだ。それを奪うことなんて、できねぇよ」
どれほど嫌な奴でも、彼女の力になるのだ。それがないと、あの子は戦えない。
「あんたにしては考えてるじゃない。見直したわ」
「ふん。お前に見直されても、別にうれしくねぇよ」
まさか自分を褒めるような言葉を寄越すとは思っていなかったユアは彼女の顔をまともに見ることもできない。
まったく、いつもは減らず口を叩いているのに、不意打ちだ……。
この表情をクロカに見られれば何を言われるかわからないので、必死に隠そうと彼は島崎の近くに移動し、平静を装う。
「そろそろ帰ったほうがいいな。けっこう時間経ってるみたいだし」
辺りを見回したユアは一度空を見上げ、だいたいの時間を把握する。
もうすっかりと日は落ち、多くの星が夜空に瞬いていた。推定でもおそらくは七時にはなっている頃だろう。
それに魔神はとうに動き出しているはずだ。
彼の言葉にその場にいた守護神たちはうなずき、元来た道を引き返し始めた。
その後に続こうとしていたクロカはふいに微かな気配を感じて立ち止まる。
周りを見渡し、視界に赤いものが移ると彼女はそれに近づく。
「…これは……」
けっして消えない炎の粒がそこで揺らめいていた。
これは今朝放ったものだ。炎の神気を凝縮させた追跡用の神呪。
その粒があるということは、彼がここにいたのだろうか。
クロカはそれを拾い上げ、辺りを見回す。当たり前だが、もうあの人の気配は残っていない。
手のひらで揺れる感覚のない炎を握りこみ、唇を噛む。
そこに彼女を呼ぶ声が聞こえ、クロカははっと我に返って後ろを振り返る。
「なにしてんの?クロカちゃん。置いてくぞー」
先に行っていた藤が、クロカがついてきていないことに気づき、立ち止まって自分に手を振っていた。
なんとものんきな声に彼女は笑みを浮かべる。
「ううん、なんでもないわ。すぐに行く」
彼女は走って皆に追いつくと、待ってくれていた藤の少し後ろを歩く。
おそらく彼はここにいた。それは間違いない。
……ユアは、知っているのだろうか。
前を行く仲間の後ろ姿を見ながら、クロカは自分の手のひらの炎を見た。
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