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05 : 第五話




ふいに立ち止まったクロカは後ろをついてきているであろう少年を静かに振り返った。
「ここまで来れば聞かれることもないわね」
そう言って念のために周りを見回すと、視線を彼に戻す。
浩輔はいったい何を話されるのかを知らないので、警戒している様子だ。
それに苦笑を返して本題に入る。
「その前に、ひとつ聞いてもいいかしら。今フィアナのこと、どう思ってる?」
今までの彼女の瞳が一変して真剣なものに変わり、浩輔は息を詰める。
ここでフィアナのことを否定すれば、これ以上を話しても全く意味がない。
浩輔の意思を確認するために聞いてものだが、彼には少し難しすぎたようだ。
クロカは返答に窮している彼にわかりやすいように説明を加え、さらに問いかける。
今度は意味を理解したらしく、少しの間考えている様子で視線を彷徨わせ、やがて小さく呟いた。
「わからない。なんであの子は初対面だったのに、あんなに必死に俺を守ったんだ。それにあの子が言ってたこともわけがわからない」
昨日嫌だと言ったのだ。それもはっきりと。その言葉がどれほど彼女を傷つけたか。
それなのに、彼女は自身を傷つけた自分を命を賭けて守ってくれた。あんなに傷つきながらもけっして逃げようとはしなかった。
「俺はあの子を傷つけた。……もう、考えるのに疲れた」
どうしてこんなことに巻き込むんだ。
何もかも投げ出したい。元の生活に戻りたい。
闇の守護神って何?そんな言葉、今まで知らなかった。
でも。
浩輔は大きく脈打っている心臓をなだめながら、クロカの宝石のような瞳を見る。
「でも今逃げれば、もっと自分が嫌いになると思う。だから、今度は俺があの子の力になりたい」
嫌だと言った自分にそれでも命を賭けて守ってくれた少女の覚悟を、今度は自分が返すんだ。
先ほどまでとは打って変わった彼の瞳の強さにクロカは微笑を浮かべると、わかったわとうなずく。
「話すわ。あの子が話さなかったことを」
本当は自分自身が話すのが最善だが、その本人が不在である以上、そんな悠長なことは言っていられない。
「だから決めるのはこの話が終わってからでいいわ。最後にもう一度聞くから」
浩輔は静かにうなずいた。
それを見てクロカは頭の中に並べた言葉を正確に並べ替えながら、順序立てて話し始める。
「まずはあまり関係ない話だけど、それから話すわ。世界の成り立ちについてよ。この世は三つの世界から構成されている。ひとつが今いるこの世界。私たちは人界と呼んでるわ。あと二つは私たちのようなファイネルと呼ばれる種族が住む白界とナフィネルがいる黒界よ。信じられないかもしれないけどね」
大半の人間は自分の世界以外にまだ世界があるなんて信じない。物好きか話を理解していない人以外は。
といっても、事実なのだからしょうがない。
浩輔は早くも頭がついていけてない状態だった。
この世界とは別にまだ二つあって……それから……。
その様子にクロカはくすりと笑みをこぼす。
「そんなに難しく考えなくていいわ。ただ存在していることだけを知っておいてほしいから」
おそらくこれから彼にはそのうちのひとつ、白界に赴いてもらわなければならない。少しでも情報はあったほうがいいだろう。
「ファイネルとナフィネルは体の造りはほぼ同じなんだけど、ただファイネルのほうが身体が弱いのよ。といっても病気にかかりやすいとかじゃなくて、神気に弱いの」
「………神気に弱い?」
「そう。ナフィネルは基本的に守護神がいなくても神気は使えるわ。精霊が使うのと同じくらいの神気はね。でも私たちはそうはいかない」
守護神のように寿命を代価に神呪が発動するわけではないが、それでも身体の一部が支障をきたす。だから守護神の神気を自分の身にまとうことで精霊の神気を反発させ、負担を和らげる。
彼らの力が精霊の神気を向上させるのは本当だが、厳密に言えばそういうことになる。
「守護神の神気が必要なのはそのため?」
だからフィアナは自分の中にあるらしい闇の神気を貸してほしいといっていたのか。
でも守護神の寿命と引き換えに自分への負担を和らげる行為に彼女は躊躇ったから、結果的に今回のようなことになったのだ。
話の内容を理解しつつある浩輔にクロカは笑ってみせ、続きを話す。
「簡単に言うとそうなるわ。精霊はある特定の神言を請けることで本来の力を発揮する。それに加えて私たちの負担も軽減されるわ」
精霊は神気の珠から構成されていて、守護神が生まれたときから宿している神気とは成り方が異なる。
「じゃあ、あのレイカって人は……」
確か、フィアナの中から出てきたような気がするのだが。
「そうよ。レイカは桜の精霊。で、彼に作用する神気が貴方の持ってる闇の力ってわけ。精霊も完璧じゃないからね」
「……精霊って、全員にいるのか?」
「いいえ、精霊と契約してるのはほんの少数よ。たぶん私たちのほかにはいないはずだけど」
精霊は白界にしか存在しない。だから彼らの存在を知るのはファイネルか、白界に住むナフィネルくらいだが。
「でもファイネルでも精霊が本当に存在してるってことを知ってるのか怪しいものよ」
彼らは自然の中でしか存在できないが、人前に姿を現すのはごく稀であるゆえに目撃情報が少ない。
おそらく祀っていても、そこに実際に存在してるとは誰も思わないだろう。
「黒界は自然を捨てたから、たぶん精霊たちは消滅したと思う。さて、精霊の話はこれくらいにして、今度は守護神のことを話すわ」
これ以上話を脱線させているわけにもいかないので、区切りのいいところでいったん中断すると、話題を変える。
それを聞いた浩輔の表情が引き締まったのが、目に見えてわかった。
本当は話したくないのだが、それを言っている暇はないのでクロカは覚悟を決める。
これまでにこの話を何回したことだろう。
「守護神と言うのは、私たちの間で神気を持つ人間のことを指してるの。そうね、精霊が宿ってない神気は二十種類くらいあるかしら。その中のひとつが貴方の中にあるの」
神気は宿体が死ねば眠りにつき、やがて次の宿体へと転生する。
浩輔は自分の胸に手を当て彼女の言う闇の力を知ろうとするが、別段何も感じない。
そして。
「神気は人間の身体では大きすぎる力なの。だから、守護神の寿命は三十年が限界よ」
一段と真剣みを帯びた彼女の表情と言葉に浩輔の瞳が音を立てて凍りついたのがわかった。
どくんと心臓が跳ね上がり、全力疾走している。不自然に喉が渇いて言葉が詰まる。
予想していた反応だ。彼の気持ちはわかる。でもそれが現実なのだ。
「器が耐えられないのよ。大きな力を宿せるだけの器は人間には重すぎる。神気を宿せるだけの器がないから、それがだんだんと弱ってきて、最終的には壊れる」
陶器が割れるように、あっけなく。
三十年は過去に見てきた守護神の平均から計算したものだが、最近では二十年が限界な守護神が多い。
「守護神はリスクが高いのよ。神気は守護神の心臓そのものだから、もちろん奪われれば死ぬし、魔神と呼ばれる獣が神気を狙ってる」
それで命を落とした守護神もいる。浩輔の前の守護神がその一人だ。
強い力を宿していても、人間では使えない。損ばかりしていると言っても過言ではないはずだ。
しかし、予想に反して彼の表情は徐々に穏やかなものに変わってきていた。
「……そうか。でも知れてよかったかもしれない」
このまま知らずに生きていても、近いうちに死んでしまう。なら、寿命がわかっている分、後悔しない生き方を選べるはずだ。
「……ほんとに、強いわ。藤くんたちもそう言ってた」
知らずに後悔して終わるより、知って後悔しないように生きれば寿命の長さは関係ない。
ただ単に考えが甘いのかはわからないが、少なくともクロカは純粋にそう思う。
人間は自分の身を一番に考えるが、本当は思いは強い。彼らも自分たちも同じだ。
「それで、答えだけど。浩輔くんはどうする?」
寿命が短いのだと知ったのなら、自分の好きなように生きてもいいと彼女は思う。
「答えを変えるつもりはないよ。もう逃げたくないから。それにフィアナに協力しなかったら、あの人に本気で殴られそう」
それがユアのことを言っているのは彼女でもわかった。
正直言って、彼に詰め寄られたときは腰が引けそうだった。いや、あのときはまだ何が起こったのか理解できなくて、ただ呆然としていたから彼の殺気はあまり感じなかったが、次はたぶん腰を抜かしそうだ。
浩輔が苦笑を浮かべて肩をすくめる様子にクロカは思わず吹き出すと、そうねとうなずく。
たしかにユアならやりかねないだろう。
これが足を踏み入れた、けっして戻れない運命なら受け入れるしかないだろう。
たぶんあの子に初めて会った時から、そこに迷い込んでしまったんだ。
彼のエメラルドグリーンの瞳には強い光が宿っているから、もう心配することはないはずだ。

……あの人とは違う。フィアナ、浩輔くんはきっと貴方の希望になるわ。

今目の前にいるこの少年なら、きっとあの子の望みを叶えてくれるだろう。なぜか、そう思える。
「なぁ、フィアナは今白界にいるんだよな」
ふいに考えに耽っていたクロカに遠慮がちな質問がされ、彼女ははっと我に返ると、慌てて返事をする。
「ええ、そうよ。どうしたの?」
まだ浩輔には白界に行ってもらってフィアナの毒を浄化してもらわなければいけないのだが、その話はまだしていない。
彼はいったい何を目的に聞いたのだろうか。
首をかしげるクロカに浩輔は頬を微かに赤く染めながら、ぎりぎり聞こえる程度に呟いた。
「昨日と今日のこと、謝りたいから」
きっと自分が言った言葉が彼女を傷つけた。信じなかったし、痛い思いをさせた。
謝って許してもらうとかは思ってないが、今のままではきっと前には進めない。
浩輔は堪えきれずに手を口に当てて、恥ずかしさを必死に抑える。
それがおかしくてクロカはくすりと笑い、彼の無防備な額を軽く指弾する。
数時間前とは全く違う。
「馬鹿ね。そんなのフィアナなら絶対に許すに決まってるわ。だってあのお人好しな性格なのよ?でないと、あんなに身体を張って戦わないわ」
フィアナの笑顔を思い浮かべ、笑ってみせる。
彼女は絶対に浩輔を責めない。それには絶対の自信がある。
むしろ自分の知っている限りでは彼女が謝るはずだ。それが容易に想像でき、さらに笑みが込み上げてくる。
「それに貴方にはやってもらいたいことがあるし、ちょうどいいわ」
「……?やってもらいたいこと?」
片目をすがめる彼女に浩輔は首を傾げる。
何か自分にできることがあるのだろうか。それを読み取ったのか、クロカは大丈夫と笑う。
「貴方にしかできないことなの。私たちとナフィネルは基本的に身体の造りは同じって言ったよね」
「うん。でもファイネルのほうが神気に弱いって」
「そうよ。それとは別にもうひとつ特徴があるの。えっと、例を言ったほうがわかりやすいわね。たとえば、私の中にナフィネルの血が入るとする。どうなるかわかる?」
そこで切って、浩輔に質問してみる。
しかしわからずに小さく首を横に振る。
「私は死んでしまう」
ファイネルとナフィネルは互いに武器を持っている。互いの血は互いにとって毒と同じだ。
答えを聞いた浩輔は微かに目を見開き、先ほどの戦闘を思い出す。
綾夜は自分の血を使って攻撃をしていた。彼がナフィネルなら彼の血は確実にフィアナの体内に侵入している。
「じゃあ、フィアナの中に……」
「入った確率が高いわ。血が体内を巡るまでまだ時間があるから、今から白界に行ってほしいの。その血を浄化できるのは浩輔くんしかいないから」
血を浄化できるのは、守護神の持つ清浄な神気だけ。
これは桜の神気に見合う闇の神気を持つ浩輔でないと意味がない。
体内に入った異種の血は抵抗しながら巡るので、全身に行き渡るには一日かかる。
今から行けば十分に間に合うはずだ。
浩輔はわかったとうなずき、ふいに考える素振りをみせる。
「これで罪滅ぼしになるかな」
何を言い出すのか、身構えていたクロカだが、予想外の言葉に苦笑を浮かべる。
「十分でしょ」
もう十分すぎるくらい責められたのだ。今更過ぎたことを何と言おうと、意味を為さない。
今度は後悔をしないようにすればいいだけだ。
「じゃあ、皆のところに戻りましょ」
クロカは安堵の息を吐き出す浩輔を誘うと、二人は来た道を戻っていった。



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