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05 : 第五話



ひとまず落ち着いた雰囲気になると、蓮呪はレイカを顧みた。
「それで、これからどうする?フィアナはいったん白界に連れて行って休ませたほうがいいと思うけど」
傷が癒えたとしても今まで昏睡状態だったのだ。体力はほとんど残されていないだろう。
その上、無理な神呪の連発に精霊を呼ぶ召神呪(しょうしんじゅ)は彼女の精神力も削ぎ落としている。
それを含めて彼女にはそれなりの休養が必要だろう。
「そのほうがいいな」
彼の空色の瞳を見返し、桜の精霊は主に視線を落としながら小さくうなずく。
フィアナの回復が最優先だ。
「じゃあ……」
蓮呪は了解すると、立ち上がって隣で控えていたクロカを見下ろす。
「クロカ、頼みがあるんだけど。あの傷だとたぶん綾夜の血が入ってると思う」
来たときの状態だと、高い確率で彼女の体内に綾夜の、ナフィネルの血が侵入しているだろう。このままでは血がフィアナの体内を完全に回ってしまう。
浄化しないと、死に至る。
クロカは彼の意図するところを理解し、ひとつうなずくと視線を青髪の少年に滑らせる。
「仕方ないわね。フィアナには悪いけど、そうも言ってられないし」
血が体内を循環するには二日がかかる。その前に手を打たないと。
ほうと息を吐き出して片目をすがめ、苦笑を浮かべる。
その返答に蓮呪はあとのことを彼女に任せると、視線をレイカに戻す。
「レイカはどうするんだ?」
桜の精霊は彼を見返してから、浩輔をちらりと一瞥した。
彼はフィアナと契約し、彼女に従う精霊だ。顕現している間、常に主の傍にいて主を守るのが彼の最低限の契約である。
しかしレイカはフィアナから命令を承っている。今はそちらを優先しなければならない。
「フィア姫に闇の子を頼まれたからな。まだ人界に留まっていられるから、あの子どもの傍に控えておく」
精霊の宿体は白界に存在しているので、今のレイカは神気で実体化を保っている。当然、神気は徐々に削がれていき、主の中に戻るとそれなりの休養が必要になる。
現在彼が実体していられる時間はおよそ二日だ。それでもその二日は彼にとって実体時間ぎりぎりである。
しかし気を失う前に彼女から願われた。

……レイカ、あの子のこと頼むね………。

今にも消え入りそうなあの子の声が耳の奥で木霊する。
主の願いは絶対だ。それが契約したときの自分の覚悟。それを違えないためにも、あの少年を守らなければならない。
「そうか。まぁ、あとはレイカに任せる」
レイカの意思を確認した蓮呪はうなずくと、彼からフィアナを受け取る。
もしかすれば、彼の力が必要になるかもしれない。
蓮呪は力ない少女の身体を抱えあげて、ふいに眉をひそめた。
また軽くなったのではないだろうか。いや、明らかに四十年前よりも軽くなった。
おそらく食事も睡眠もろくに摂っていなかったのだろう。いくらファイネルは食事や睡眠を摂らなくても問題がないからとはいえ、全く摂らないのとでは話が違う。
しかしあの日から彼女が安心できる日がなかったと思うと、それは仕方のないことだが、それで体を壊しては元も子もない。
これは目覚めてから食事を摂らせる必要があるな。
蓮呪は彼女の眠る顔を見下ろし、息を吐き出した。
「じゃあ、何かあったら呼んで。……できる限りは来るから。あとが怖いし……」
おそるおそるセノトのほうを見て、彼は苦笑いを浮かべる。
それを訝しげに思ったクロカは同じ視線の先を見るが、特に変わった様子はない。
しかし蓮呪は知っている。あの目が何を語っているのかを。
その自分のことを後回しにして他人を優先させる性格をさっさと治せ、と彼の瞳が告げているが、今回のことは仕方のないことである以上責められることはない。
どちらも大切な仲間だから、どちらが大切かなど選べない。ユアなら即答でフィアナを選ぶだろうが。
蓮呪は彼の気持ちが手に取るようにわかるので、さっさと退散した。
癒しの神気が完全に掻き消えたのを肌で感じたクロカは立ち上がったレイカを見上げる。
「レイカ、ちょっと浩輔くん借りるわ」
視線で浩輔を示すと、彼の返答を聞かずに彼の真正面に移動する。
どうしたのかと疑問が渦巻く全員の中、彼女は行くと同時に浩輔の頬に勢いよく平手打ちを見舞った。
「……っ!」
「………!!」
ぱぁんと小気味よい音が響き、尾を引く。
ひっぱたかれた浩輔もその場にいた全員も、彼女の思い切った行動に唖然としていた。
「これで今回のことは許すわ。あの子が悪いところもあるからね。で、今蓮呪と決めたんだけど、話したいことがあるの。ちょっと一緒に来てくれない?」
呆然と痛む頬に手を当てている浩輔にクロカは容赦なく話を進めていく。
彼は直感で悟った。
これ以上嫌です、とか否定したら、きっと平手打ちどころじゃ済まない。そして、ある意味ユアより怖い。
浩輔は視線を地面に落として小さく返事をすると、その答えに満足したのかクロカは彼を連れて立ち聞きされない場所に移動する。
「ク、クロカちゃん怒らせたら、マジでヤバイな」
クロカについていく浩輔を見ていた藤は独り言のように呟き、彼に同情する。
しかし浩輔もいいとばっちりだな。
彼女の平手打ちを見て冗談はやめておこうと誓う藤の隣で島崎はふいにそう考える。
浩輔の気持ちもわからなくもない。あの性格なのだから。
「ねぇ、フィアナちゃんが怪我したのって、やっぱり浩輔のせい……だよね」
いつのまにかセノトの傍らにいた洋輔は彼の上着の裾を軽く引っ張り、小さく尋ねる。
彼女に怪我を負わせた原因が浩輔にあることは一目瞭然ではある。でも自分はそれを認めたくない。
洋輔にとってはたった一人の弟で、特別な存在だ。
一緒に生まれて、今まで一緒にいて、誰よりもあの子のことを知っているつもりだ。
他人と接することが苦手な浩輔。手先は器用なのに、不器用であるところも。全部知っているから余計に心配で、放っておけない。
少年の頼りない表情を見下ろし、セノトは少しの間考えてから微かに首を振る。
「厳密に言えばそうなるだろうが、浩輔の方にも一理あると俺は思う。フィアナは気持ちだけ先走りすぎて、ちゃんとあいつに説明しなかった。それがたまたま裏目に出ただけで、誰のせいでもないと俺は思う」
しかしそれはただセノトが考えるところの話であって、実際はどうかわからないが、ユアは納得しないだろう。
ほうと安堵の息を吐き出す洋輔の髪をくしゃりと撫で、ちらりとユアを一瞥する。
フィアナのことを誰よりも大切に想っているユアだから、あの子に非があったとはどうしても認められない。
セノトの視線に気づいたユアはふてくされたように顔を逸らした。
「別に、あいつが悪いんじゃないことくらいわかってる」
だから何もできなかった自分が余計に許せないのだ。
もうあんな思いさせたくないと決めたのに。全てを失っても、なお諦めずに前を行くあの儚い少女を、一生守ると決めたんだ。
なのに、口先だけの誓いで一度だってまともに守れたことなどない。
いつもいつも傷を負うのは大切な人で、できれば代わってやりたいのにそれさえ叶わない。
「俺は守ると誓ったからあいつに力を請うたのに、それでも無理ならどうすればいいんだ」
誰に答えを求めるでもなく、自分に言い聞かせるための言葉は答えを与えられずに消えていった。



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