「はぁ……。あんな用件なら別に呼び出さなくてもいいのに。せっかく浩輔と帰ろうと思ったのに、なんで弘人くんなんかと帰ってるんだろ」
校門を出て右に曲がった三人のうち、洋輔は残念そうに言いながら、意味ありげな表情を藤に向けた。
「お前、それはないだろ。せっかく誘ってやったのに」
ひどい言われようにさしもの藤も抗議の声を上げる。
それを軽く受け流して、洋輔はふいに片割れのことを考える。
浩輔は大丈夫だろうか。
昨日、フィアナという少女に力を貸してくれと言われていたが、彼はそれをきっぱりとその場で拒否したのだ。
そのことで多少なりとも彼に迷いを与えているはずだ。
本人は気づいていないが、浩輔は本当は優しい。自分なんかよりもずっと。
それを自分は優しくないと思い込み、勘違いしているからいつまで経っても解決しないのだ。
「どうしたんだ、洋輔」
浩輔のことを考えていたのが表情に出ていたのか、洋輔は島崎の心配する声ではっと我に返る。
少し高い位置にある紫苑の瞳を見上げて、極力悟らせないように満面の笑みを浮かべて首を横に振る。
「何でもないよ」
そして再び前に視線を戻そうとした瞬間、ふいに気配を感じて立ち止まった。
それを訝った二人も同じように立ち止まり、振り返った洋輔の視線を追う。
「あ」
「え。クロカちゃん?」
三人はそれぞれ見知った顔を見つけて軽く目を瞠る。
洋輔は首をかしげる藤の横を通り過ぎ、引き返してセノトに近寄るとエメラルドグリーンの瞳を彼に向ける。
「ねぇ、フィアナちゃんが協力してほしいって言ってたよね。僕じゃダメなの?」
自分なら浩輔の代わりに彼女に力を貸してやる。
彼は優しいから、おそらくいっぱい悩んだことだろう。
真剣な表情をする洋輔の提案に、虚を突かれたユアとクロカは話についていけずに唖然としている。
しかしセノトは静かに首を横に振り、きっぱりと答える。
「お前の持っている力ではフィアナは強くならない。あいつが必要なのは闇の神気だ」
「僕にはないの?」
彼の落ち込んだ様子にセノトは息を吐き出す。その主語のない問いの意味を十分に理解していた。
「ある。でもそれは闇とは正反対の力だ。お前が持っているのは光の力だから」
最後の言葉に洋輔の瞳が見開かれたのは目に見えてわかった。
浩輔と同じ力はある。ただ属性が違うだけだ。
しかし残念ながら、いくら彼がうなずいたとしてもフィアナへはなんの効果もない。
「……そうなんだ」
あの子になんの力にもなってやれないのか。
セノトを見上げる瞳が微かに揺れるが、必死に押し留める。
その様子に見かねた彼は洋輔の髪をくしゃりと撫でた。
「闇の守護神の代わりはできないが、お前の力を借りて助けることはできる」
昨日フィアナが浩輔に言った内容と同じ頼みだ。
もともとセノトも彼の力が必要なのだが、今回は悠長に説明している暇はない。
それを聞いた洋輔は覚悟を決めたような強い光をその目に宿す。
「じゃあ、僕が力になるから浩輔を助けてよ。浩輔、不器用だからきっとまたフィアナちゃんを傷つけてしまうかもしれない」
優しいけど、他人の厄介事に巻き込まれたくないという意思が先に動いてしまうから、どうしても相手を傷つけてしまう。
そして後で後悔するのだ。
どうしてあの時、手を差し伸べてやらなかったのか、と。
そんな浩輔を何度も見てきたから、もうそんな傷を負ってほしくない。
セノトの上着を掴む手に力がこもり、洋輔は必死に頼む。
彼は一呼吸置いて、静かにうなずいた。
「わかった。まだ詳しく説明していないが、今はお前の力を借りる」
たとえこの一回限りでも、最悪の事態を回避できるのなら。
洋輔の言葉を聞いていた藤と島崎も二人のファイネルを見る。
「俺らもクロカちゃんたちに協力しようと思う」
本当は昨日から答えは決まっていたのだが、それはあえて言わない。
彼らの申し出に虚を突かれた二人は呆然と藤を見て、ユアはゆっくりと島崎を見上げる。
「いいのか?」
一番願っていた言葉なのに、いざそれを目の前にすると戸惑いを隠せないでいる。
しかし彼らが冗談を言う性格をしているとも思えない。
軽く警戒しているユアに島崎は薄く微笑を浮かべた。
「言っておくけど、嘘じゃないぞ。俺がそう決めたんだ。それにどちらにしろ巻き込まれてるんなら、お前の傍にいたほうが少なくとも安全だろ?」
自分たちは戦う術を持ち合わせていない。いくら人の多い場所や明るい場所にいたとしても完璧に魔神と接触しないわけではない。
そんな万が一に備えても、戦術を身につけている彼らに協力したほうが危険は少ない。
「その代わり、俺は絶対に戦わないからな」
片目をすがめて冗談を言ってみせる島崎にユアはうれしそうに微笑む。
「俺がちゃんと守ってやる。ありがとう」
これであの子を守れる。それに島崎も。
ユアは最上級の感謝を言葉に込めた。
「藤くんもいいの?」
「まぁね。クロカちゃんもそのほうがいいでしょ?」
どうしても信じられない部分はあったが、命の危険を考えれば彼も島崎と同じ意見だ。
クロカの確認に藤は大丈夫だと笑ってみせる。
その笑顔が今の彼女に大きな力を与えてくれるだろう。
「ありがとう」
人間の気持ちは理解しているつもりだ。
死にたくない。それが答えだ。
誰もたった十数年生きたくらいで、人生を終わりにはしたくない。ましてや人間ではない存在に「あなたは三十年は生きられません」と言われても簡単に信じるわけがない。
狙われているという自覚もない。理解できないことは十分わかっている。
だからそれにも関わらずに了承してくれた彼らに、本当に感謝している。
セノトは二人の意見を待ってから、一際真剣さを帯びた表情でユアを見る。
その意思を正確に読み取った彼は小さくうなずくと風の守護神を見上げた。
「頼みがある。今ここで神言を唱えてほしい」
神言を使えば、神気を感じ取れる範囲が何倍にも広がる。それならフィアナの居場所もすぐにわかる。
しかしなんの説明も受けていない島崎は神言というものが何なのかがわからない。
首をかしげる彼にクロカは短く説明を加える。
「今の私たちの力が中途半端なのは昨日話したよね。それを完全にするための神呪の一種なの」
「何か浮かんだ詞はないか?」
五人の視線が一斉に島崎に集まった。
彼は軽く目を閉じ、ユアたちが言う言葉を必死に考える。
ふいにふわりと風が吹き抜けた。それも妙に何かを感じる不思議な風だ。
直接頭に浮かぶ言葉がある。不思議な、聞いたこともない言葉で意味は全くわからない。
これがユアの言う詞なのか。
「”風の力より生まれしこの神気を、我を守りし水皐にこの力を貸す”」
島崎は浮かぶ言葉を一言一句違えずに静かに詠唱すると、一際強い風が渦を巻いた。
そしてその風はユアを取り囲み、包み込んでいくと唐突に治まり、もとの六月の気温に戻る。
自分の中に風の力を実感すると、一度深呼吸をしてから目を閉じて全神経を集中させる。
今あの子の神気はどこにある。
「……!フィア……」
気配と同時にある光景がユアの脳裏を掠める。
血にまみれた細い肢体が血溜まりの中にくず折れていく姿。
徐々にユアの心を焦燥が満たしていった。
桜の神気とともにあるのは血の神気だ。それらの波動がぶつかり合う微かな気配を感じる。
セノトとクロカは訝しげにユアの様子を見ている。
「何を感じた?」
セノトの静かな問いかけに、ユアは反射的に振り返る。その表情が焦りに満ちていた。
「血の神気の近くに桜の神気がある。たぶん戦ってると思う」
彼の言葉に二人は瞠目した。
一瞬にして最悪の事態が想像される。
「嫌な予感がする」
ユアはそう呟くと、急いでフィアナの神気の気配がするほうへ駆け出した。
何かを言おうとしたクロカだが、それを振りほどいてすぐに姿が見えなくなった。
「もうっ。……で、私たちはどうする?」
彼の勝手な行動に眉を寄せるクロカはセノトを見る。
戦っているのなら、少なくともフィアナに危険が及んでいるはずだ。
それに相手が綾夜なら、相当手強い。
セノトは彼女の瞳を見下ろし、考える素振りを見せる。
「全員で行く必要はないだろうが、相手が綾夜だ。戦力はそれなりにあったほうがいいだろう」
ここにいるファイネルたちは自分の力を過信していることはない。だからこそ、あいつと戦うなら戦力は大きいほうがいい。
その解釈に賛成のクロカは無言でうなずき、次に藤たちを見る。
「貴方たちは帰ってていいわ。危ないし。人の多いところにいれば大丈夫だから」
無理に危険な場所に行かなくてもいい。
しかし洋輔は首を横に振った。
「僕は行くよ」
浩輔が心配だ。フィアナが追っていったのなら、彼もその近くにいるはずだ。
彼の瞳がフィアナと同じ意思を曲げない強さを秘めていて、セノトは小さく息を吐き出した。
これは一度言ったら聞かないタイプのようだ。
「俺も行く」
「一応後輩だしな。ほっとくわけにはいかないっしょ」
他の二人もついていく気満々な様子で、有無を言わさない笑みをクロカに向ける。
「ほんと、好奇心旺盛ね」
まぁ、彼らが守護神でよかったのかもしれない。
それに仲間思いだ。自分たちのように。
「じゃあ、フィアナのところに急ぎましょう」
クロカは話に区切りをつけると、ユアが向かった先へと急ぐ。
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