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16 : 第十六話




ばたばたと部屋の外が騒がしくなってきた。
そう思っていると、少し荒々しく扉が開いて真っ先に少女が飛び込んでくる。
「ユアっ」
呼びかけと共に中に入り、ベッドの上でこちらを見ていたユアの目と交差する。
途端に心から安心して、離れていてもわかるほどフィアナの瞳が一瞬で輝いた。
「フィアナ」
ユアもほうと息を吐き出す。
無事でよかった。
「ユア、なんともなくてよかったよ」
「心配かけて悪かったな。フィアも無事で何よりだ」
ベッドの傍らに移動し、膝立ちになって見上げてくるフィアナの頭を撫で、ユアは柔らかい微笑を浮かべる。
その後から、島崎と浩輔が続いて入ってきて、少し遅れてレイカも入ってくる。
お互いに無事な姿を見て心底安堵している様子だ。
耀香と瑠香も入ってきたところで、ぱたりと扉が閉まる。
「さて、そろったところで、何があったか説明してくれるかしら」
さっそく本題を切り出したのは耀香だった。
ユアも綾夜との戦闘のあと、どうなったのか知りたげな表情をしている。
その場にいたフィアナと浩輔、島崎は互いに顔を見回し、フィアナが中心となって話し出す。



☆☆☆

「ひとまず情報屋へ戻ったほうがよさそうだけど……」
フィアナの膝の上で抱えられているユアの傍に膝をつき、島崎は深刻な表情を浮かべる。
傷口が小さいので血はほぼ止まっているが、あの様子だと内臓の損傷の方が大きいかもしれない。
どちらにしてもこの場では判断はつかない。
「うん、そうだね……」
フィアナも頷き返して、ふいに視線を横に滑らす。
綾夜が木の幹に寄りかかり、気を失っている。あちらも相当の深手を負っているので、あのまま放っておくと失血で命に関わる。
「と、とりあえずレイカ呼ぶよ。ユアを運んでもらえるし、耀香たちを探してきてもらえる」
今、最優先はユアだ。
視線を守護神二人に戻し、真剣みを帯びた瞳で提案する。それはレイカの助言でもあった。
耀香と瑠香は神気を持っている。それなら精霊であるレイカに探してきてもらった方が効率がいいのだ。
フィアナは焦っていた気持ちを懸命に落ち着かせると、精霊を呼ぶ神呪を唱える。
「”桜に舞かれ、我に落ちる全てのものを、桜の華より夢へと誘え。力の全てを、我の精霊へと託す。瞬桜李紗(しゅんおうりしゃ)”」
言葉を一つ一つ紡ぐごとに、フィアナの身体が淡い光を発し始めた。
「”我の精霊よ、我が願いのもと具現化し、この言葉を代行しろ。桜珠(おうじゅ)召喚”」 光は珠へと変じてフィアナから分離すると、徐々に人型へと形を変えていき、光が弱まる頃には人身を取ったレイカが立っていた。
事情の知っているレイカは小さな主の隣に片膝をつくと、その頭をぽんと叩いて安心させるように薄く笑う。
「あ、ねぇレイカ。綾夜は……」
フィアナからユアを受け取って、抱えあげようとしたところに少女は精霊の服の裾を引っ張る。
たとえ敵だとしてもこのまま放っておくことは、フィアナにはできなかった。放っておくとどうなるのか、想像はしたくない。
しかし一緒に連れて行って手当てをするわけにもいかないことは、フィアナにでもわかる。
精霊の意見を聞こうと見上げてくるフィアナの、青色の瞳を見返してレイカは思案する。
彼とて救えるものを見過ごすほど、人を見限っているわけではない。
しかしあの少年はフィアナを殺そうとしている。このまま息絶えるのであれば、彼女への脅威は減る。どちらかを選ぶのなど、少女と契約を交わしている精霊にはわかりきっていることだ。
「フィア姫、俺は肯定しかねる。あいつは……」
そう言いかけた瞬間、神気をいち早く感じ取った桜の精霊がばっと顔を上げる。
「レイカ……」
どくんと心臓が大きく脈打つ。
フィアナも気づいたらしく、不安な表情でレイカを見上げる。浩輔と島崎は何も感じなかったが、二人の様子に緊張が走る。
レイカから再びユアを託されると、素早く立ち上がって四人の前に回る彼をじっと見つめた。
「久しぶりね、桜珠。今はレイカだったかしら」
声と共に雷が落ちた。
小さな地響きがあり、もうもうと土煙が巻き上がる。
「……雷珠(らいじゅ)」
落雷から姿を現せたのは、長身の女性だった。
レイカはその姿を見た途端、珍しいものを見るかのように目を見開く。
レモン色の髪は後頭部で留められ、孔雀石の瞳は冷たく、一切の感情が窺えない。そして全く揺るぎのないまっすぐな視線は桜の精霊へと据えられている。
右手首に巻かれた赤いリボンが印象的で、彼女には不釣合いに風に揺れていた。
綾夜が雷の神気を持つ青年と行動していることは知っていたが、まさか雷の精霊が直々に顕現するとは、予想していなかった。
「今の名前はリノよ。でも、貴方も変わらないのね。懲りずにまた契約して」
哀れみにも似た瞳を同じ精霊へと向け、短く嘆息する。
レイカの視線が鋭さを帯びた。
リノはわざとらしく肩をすくめてみせ、それ以上追求はしなかった。
「戦闘態勢を解きなさい。今日は戦いに来たんじゃないわ」
訝しげに眉根を寄せるレイカには目もくれず、リノは彼らに背を向けて綾夜のほうへと歩み寄る。
「この子にはまだ死なれては困るの」
「……どういうこと?」
雷珠の呟かれた言葉を拾ったフィアナが首を傾げる。しかし彼女は見向きもせずに綾夜を抱えあげる。
精霊の腕力は並外れているので、もともと細身の綾夜ならば女性のリノでも軽々と持ち上がった。
そうして、ようやくフィアナに向き直ると、凍てつくような視線を向ける。
「………っ」
全身が一気に総毛立った。
背筋に氷塊が滑り落ちた感覚がし、蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなった。
「貴方には関係のないことよ」
それだけを言い残し、彼女は踵を返した。
現れたときと同じ、一瞬にして姿が消えると、その場に満ちていた張り詰めた空気が一気に緩んだ。
「あの人は、なんであんなにも冷たい目をしてるのかな」
知らず固く握り締めていた手を解き、何度か深呼吸をしてから問いかける。
まるで全てを拒絶しているかのような、冷たい氷のような瞳だった。
今まで自分に向けられていた視線とはまた違う、怖い目。
呟かれた言葉を聞き取った冷夏は、もう一度彼女の傍に膝をつくとその髪を撫でる。
「俺たちは、フィア姫よりもさらに生きてる時間が長いから、いろんな人と出会う。あいつの場合はそれが少し辛いものだっただけなんだ」
彼女たちのような人ばかりではない。
レイカ自身、契約者には恵まれていたが、リノの気持ちもわからなくもない。だからこそ否定はできないのだ。
「まぁ、フィア姫が気にすることじゃない」
静かに、柔らかい声音でそういうと、ユアを背中に背負って立ち上がる。
「早く情報屋に戻ろう」
片方の手でユアを支え、もう片方をフィアナに差し出す。
その手を取って立ち上がると、うんと大きく頷く。そして浩輔たちにも目配せをして、その場を後にした。



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