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16 : 第十六話




第十六話 「水の精霊」



誰かが、自分を呼ぶ声がする。
耳元でとてもうるさくて、何度も何度も呼んでいる。というよりは、叫んでいる方がこの場合当てはまるような気がする。
それは意識が覚醒するにつれて大きさを増し、言葉もはっきりとしてきて少年は眉間にきつく皺を寄せる。

ユア、ユアっ。起きてくださいな!ユア、死んじゃ嫌ですわー!!

「……っ、フォアルうるせぇ……」
「……?あら?」
小さく呟かれた苦渋の言葉に、横になっている彼の隣で書類に目を通していた耀香が気づいて、視線をベッドに向ける。
彼女の声に完全に覚醒したユアはゆっくりと瞼を開けた。
霞がかっていた記憶が徐々に鮮明に、思い出していき、ユアは跳ね起きる。
「わっ」
彼の傍らに移動して様子を尋ねようとしていた耀香は、さすがに驚いて思わず声を上げてしまう。
「……っつ……」
しかし突如生じた腹部の激痛に、ユアは小さく呻いて身体をくの字に折り曲げる。
耀香は呆れた様子で息を吐き出し、軽く肩をすくめる。
「びっくりさせないでよ。ていうか、見た目より傷深いんだから安静にしてなさい」
「……悪い。って、それよりもフィアたちは」
「自分のことよりフィアナのことを心配するなんて、相変わらずね。大丈夫よ、隣の部屋にいるわ」
謝罪もそこそこに、勢い込んで尋ねるユアに別の意味で感心している耀香である。
ユアは耀香の言葉に安堵の息を吐き出すが、すぐに真面目な表情になる。
「じゃあ、綾夜は……」
「わからないわ。あたしらはあんたが倒れたって、桜の精霊から聞いて戻ってきたのだけど、そのときにはもうみんなここに戻っていたわ」
耀香はその現場には行っていない。
そして一部始終を見ていたフィアナたちからは、まだ詳しいことは聞いていないのだ。
そうか、と短く返し、ユアは窓の外に視線を移す。
あの傷では致命傷にはならないだろうが、あのままであればいずれは死に至る。
「なぁ、耀香。俺はどれくらい寝てた?」
窓越しの空を見つめたまま問いかける。
中枢建物と、その周りを取り囲む建物の間から顔を出している太陽の位置を見ると、正午は当に回っている。
自分の失態に苛立っているユアの声音に気づかない振りをし、耀香は短く答えた。
「丸一日よ。フィアナと浩輔君は一旦人界に戻って、今朝また来たの。島崎君は残るって言うから泊めてあげたわ」
フィアナは残ると言っていたが、浩輔は出かける前に家族には友人と遊びに行くとしか伝えていなかった。
それなのに、帰ってこないとなると心配されるのは確実なので、なんとかフィアナを説得し、一緒に戻ったのだ。
しかし、相当心配だったのかあまり休めた様子ではなく、今朝も早い時間に訪ねてきた。
ユアはその話に内心で自分自身に盛大な舌打ちをする。
「そうか、あいつらにはいらん心配させてしまったな」
自分がもう少し注意していれば、怪我をすることもなく、仲間に心配をかけることもなかった。
全ては自分の浅はかな行動のせいだ。
「まぁ、そう自分を責めないで。フィアナたちもそんなこと思ってないわ」
彼の心のうちが手に取るようにわかる耀香は、肩をすくめて苦笑を浮かべる。
フィアナも昨日同じように自分を責めていた。自分がもう少し強ければ、ユアに怪我をさせなくても済んだのに。
それを見ていたから、耀香は何とも言えない気持ちになる。
お互いに大切すぎて、自分を責めている。滑稽だと笑いたくもなるが、それ以上にそういう関係が羨ましくもある。
耀香は微笑を口許に乗せ、いったん話を打ち切る。
「とりあえず、フィアナたちを呼んでくるわ」
特にフィアナは朝から落ち着きがなかったので、早く安心させてやらなければ。
頷くユアを見て、椅子から立ち上がると部屋を出て行った。
フィアナたちのいる応接室へは、寝室と廊下を挟んで向かいにある。
扉を開けると、そわそわと部屋をあっち行きこっち行きしているフィアナの姿が真っ先に飛び込んできた。
そして入ってきた耀香に気づいて、ぱっと扉のほうを向く。
「耀香。ユアは……」
ぱたぱたと駆けてきて、フィアナは彼女を見上げて尋ねる。耀香はまず安心させるために、にこりと微笑んで見せた。
「大丈夫よ。今、目を覚ましたの。ユアもあなたたちのこと心配してたわ、顔出してあげて」
疲れていたフィアナの表情が耀香の一言でぱっと華やいだ。
うん、と大きく返事をし、急いで部屋を飛び出していく。そのあとをフィアナほどではないが、島崎と浩輔も足早に出て行った。
その後を朝から顕現しているレイカがついていこうとし、ふと耀香を振り返る。
「ここまで面倒をかけさせて悪いな」
「まぁ、情報屋は普通ここまでしないけど、あの子たちとは歳も近いし、なんだか放っておけないのよね」
珍しく声をかけてきた桜の精霊に内心驚きつつ、苦笑を浮かべて頬を掻く。
自分でもなぜこれほどまでにフィアナたちに助力するのかがわからない。しかし彼女には手を差し伸べたくなる脆さがある。手を差し伸べずにはいられない。
「あたしは情報を集めて売ることしか出来ないけど、できる限り協力するわ」
「そうか。ありがとう」
レイカはふっと微笑を浮かべ、部屋を出て行く。
ぱたんと扉が閉まってから耀香はくすりと笑う。
「あの精霊に礼を言われるなんて。これもフィアナの影響かしら」
桜の精霊は主と定めた人以外、最小限に関わりを持たないと以前何かで聞いたことがある。
フィアナといることで、少しずつ変わってきているのだろうか。
彼女の行動が、周りを巻き込んで変化させていく。本人は気づいていないが、確実に少しずつ変わってきている。たぶん自分も感化されているのではないだろうか。
「僕は姉さんも変わったと思うよ」
二人の会話を聞いてた瑠香は微笑を浮かべて姉を見る。
「……やっぱり?」
その指摘に何とも言えない笑みを返し、ほうと息をつく。
でもその変化は嫌ではない。
「さて、あたしらもユアのところへ行きましょうか」
「そうだね」
姉弟は互いに顔を見合わせて笑い合うと、応接室を出て行った。



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