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15 : 第十五話




人混みを抜け、フィアナはいつしか人気のない工業区へと入っていた。
周りからは生産工場の機械が動く音が絶え間なく聞こえているが、フィアナの耳には何も入ってはいなかった。
リボンはいつの間にかどこかへ消え、彼女は途方に暮れながらも足は進めていた。
気持ちだけが焦っている。
あれはとてもとても大切なものなのだ。
きょろきょろと辺りを注意深く探しているフィアナに、先ほどから制止する声が聞こえる。それは自分の中にあるもう一つの意思だ。

フィア姫、綾夜が来ている。あいつのところに戻れ。

レイカには綾夜の存在がすでにわかっていた。
彼女の力では綾夜は闘うどころか、退けることも難しいだろう。
必死に説得を繰り返すレイカだが、しかしフィアナの心には届いていなかった。
もう一度、諌めるように呼びかけると、フィアナは我が儘を言う子どものように、悲鳴にも似た声で叫ぶ。
「いやだっ、だってあれは、レイカがわたしにくれたものだものっ」

………っ

その言葉にレイカは唇を噛んだ。
確かに、彼女の言うとおりあれは自分が契約を交わした日に彼女に捧げたものだ。
ファイネルと精霊の契約は、精霊の名前を決めることで成り立つ。たったそれだけで、精霊を従えることができる。
しかし、フィアナは目に見える形で彼との繋がりが欲しかった。言葉だけでは不安になるから。
そう言った幼い彼女に、レイカは宿体である桜の花で染めた布を渡し、代わりにフィアナはそれまで髪を結っていた水色のリボンを彼に譲ったのだ。
とても大切なもので、あれがないとレイカが自分を置いてどこかへ行ってしまいそうで、心配で仕方がない。
レイカはもう何を言っても無駄だと判断し、諦めかけたその時、フィアナがはっと何かを見つけた。
かろうじて街路樹の枝に引っかかっている桃色のリボンが風になびいている。
「あった!」
フィアナはぱっと表情を明るくさせ、木に駆け寄る。しかしわずかばかり身長が足りず、背伸びをしても少しのところで届かない。
「う、もうちょっとなのに……っ」
必死に手を伸ばすが、悔しいことに風に煽られて指をすり抜けていく。
もどかしくて顔を歪めると、誰かが後ろから手を伸ばし、いとも簡単にリボンを取った。
「………!」
はっとして後ろを振り返ると、そこには自分の見知った少年が安堵の表情で笑んでいた。
「こ、浩輔………」
フィアナの瞳が目に見えて安心したように潤み、慌てて袖で目尻を拭う。
「探したよ」
初めて来た大きな街で、どっちへ行けばどこへ繋がっているのかもわからず、闇雲に走っているとフィアナの声が聞こえたのだ。
「見つかってよかった」
浩輔はフィアナにリボンを手渡しながら、苦笑する。
相当走ってきたらしく、若干息が上がっているが、それよりも彼女を見つけられたことに安心していた。
「ありがとう、浩輔」
リボンを取ってくれたのもそうだけれど、来てくれたことも同じくらい嬉しかった。
受け取ったリボンを今度は簡単には外れないように強く結ぶと、それを見ていて浩輔が何かを思い出したようにフィアナの手を取る。
「フィアナ、それより綾夜がこっちに向かってるんだ」
「………!」
先ほどユアが確かな気配を感じていた。浩輔自身も何か嫌な予感を抱いていたのだ。
レイカも何度も何度も促してくれていたのを、自分はリボンを優先した。
フィアナは浩輔を見返すと、意を決した様子で彼の手を握り返す。
「とりあえずユアたちのとこに戻ろ?」
浩輔が頷くのを見て、来た道を引き返そうとした刹那、フィアナの背中を何か冷たいものが滑り落ちる。
続いて、浩輔にもわかるほど、刺さるほどの強い神気を感じる。
おそるおそる振り返ったその先に、ふわりと風にエメラルドグリーンの髪を遊ばせている少年の姿を認めた。
「りょ、綾夜………っ」
口許に残虐な笑みを浮かべている綾夜を見て、フィアナは戦慄する。
硬直してしまった身体を叱咤して動かし、身体ごと彼に向き直る。最悪だ。
「少しは強くなってるみたいだし、お前が一人外れていくのを感じたんだ」
視線を浩輔に向けてから、フィアナに戻し、うっそうと目を細める。
彼の意図するところを見て、フィアナは身体を強張らせる。たとえ浩輔の力を借りたとしても、闘って勝ち目はない。
思案に暮れていると、ふいに綾夜の表情から笑みが消える。
「………?」
訝しげに眉をひそめると、彼は気分を害した様子で呟く。
「目を、隠してるのか」
その一言で彼女は綾夜が示している意味を性格に読み取り、小さく頷く。
「わたしが赤い目をしてるせいで、仲間のみんなに迷惑をかけてしまう」
視線を真っ向から受け、フィアナは笑みを浮かべる。それが綾夜の癪に障るようで、彼はふんと鼻を鳴らす。
「やっぱり俺はお前が嫌いだ。人なんて心の中では何を思ってるかわからないんだ。言葉ではいくら綺麗事を言ったところで、本心ではまったく別のことを思っている」
「そんなことないよ。みんな、わたしのことを大切に思っててくれるし、わたしもみんなのことが大切だよ。綾夜にもいるでしょ?」
「いるわけないだろ」
哀しそうに彼の右目を見つめて訴えると、綾夜は苛立たしげに吐き捨ててフィアナの言葉を遮る。
「俺は生まれてから闘うことしか知らなかった。お前の言う”大切な人”がいればこんなことにはならなかっただろ?」
「………っ!」
フィアナは目を見開いた。
綾夜の表情が微かに翳ったのを認めたからだ。しかし、それはすぐに消え、綾夜は短剣を握った。
大切に思ってくれるひとがいれば、捨てられることも、あの人に拾われることも、闘うことしかできない今の自分にはならなかった。
どうして同じ色の瞳を持っているのに、こうも境遇が違うのか。どうしてこうも不公平なのだろうか。
そう思うと、さらに苛立たしさが募っていく。
「もうお前とは話したくない。目障りだから今度こそ死ねよ」
綾夜は先ほどまでの表情を一変させ、口許に歪んだ笑みを浮かべると、素早い動きで地を蹴り、フィアナに接近すると彼女の目に狙いを定める。
「………っ」
短剣の切っ先が目を抉る寸前で、とっさに大鎌を召喚してなんとか受け止める。鈍い音が響き、余韻を残して反響した。
しかし彼女の腕力では綾夜の攻撃は受け止めきれず、後方に吹き飛ばされる。
背中から倒れこんだフィアナは反動で跳ね起きると、もう一度攻撃に備えて鎌を構える。
駆け寄ってきた浩輔に大丈夫だと笑って応じ、彼に背を向けて視線を綾夜に戻した。
浩輔は小さな背中の後ろで、ぐっと拳を握り締める。
フィアナが闘っているのに、自分は何もできない。せめて彼女のように神気を使うことができれば、加勢することもできるのに。しかし今の自分にできることはただ、彼女に自分の神気を分け与えることだけ。
口惜しいのを堪え、浩輔はゆっくりと目を閉じると、口の中で小さく言葉を紡ぐ。
「…………!浩、輔……」
突然感じた浩輔の神気に、はっと気づいたフィアナが肩越しに振り返る。浩輔は幾分疲れた表情をしていたが、その視線に気づくとにっこりと笑って見せる。
「ありがとう、浩輔」
花が咲き誇るような温かい笑顔を浮かべると、表情を引き締めて綾夜と対峙する。身体が軽くなったような、そんな気がする。
それを黙ってみていた綾夜は小さく舌打ちを洩らす。苛立ちが彼の神気に表れている。
「ほんと人間がいないと何もできないんだな、お前。まぁ、今回は力を貸してくれる奴に当たってよかったな」
嫌味交じりに言って、綾夜は短剣を逆手に持ってもう一度駆け出す。
彼女に反撃の余裕を与えないほどに素早く、次々と斬撃を繰り出していく。
それらを大鎌の柄で受け流しながら隙を見定めるが、その瞬間は生まれない。先ほどよりも多少なりとも闘いやすくはなったとはいえ、彼の攻撃が止まないと打つ手がない。
フィアナはその中で心臓を狙っていた軌道を後方に飛び退って回避し、間合いを取ろうとするが、それよりも早く綾夜の手が彼女の首を捉えてそのまま地面に叩きつける。
「………っうぐ」
衝撃に息が詰まり、鋭い痛みが背中を駆け抜ける。
「フィアナ!」
浩輔はとっさに駆け寄ろうとした。自分には力はないがせめて彼女を解放する時間を作ることはできるはずだ。
しかしフィアナの苦しそうな、来ちゃだめ、という悲鳴に彼の足はそこに縫いとめられたように動かなくなる。
首に絡みついた指がだんだんと力を帯び、気道を圧迫してくる。細い指と華奢な腕なのに、やはり力は男のものだった。
苦しそうに表情を歪めるフィアナの首筋に短剣の刃を当て、綾夜のものとは思えない静かな言葉をかける。
「俺はお前が嫌いなんだ。弱いくせに口だけで、誰かに守られてるお前が無性に勘に触る」
意識が遠退く中で、彼の言葉はフィアナの心に重くのしかかった。
たしかに自分は守られてばかりだ。
フィアナは目を伏せる。力が入らないこの状況を打破する方法がない。
そんな彼女を感情のない瞳で見下ろし、綾夜は一層優しく言葉を続ける。
「せめて、ユアが本気になってくれるようにここで死んでくれ」
彼の敵意が、自分に向くように。そうなれば本気になった彼と闘うことができる。
綾夜はぐっと短剣を握る手に力を込めた。



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