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15 : 第十五話




その瞬間。
「………!」
近づいてきた気配に気づいた綾夜はフィアナから離れると、大きく後退る。
その残像に神気を凝縮した水の玉が直撃し、目的を失ったそれは木に当たると形をなくして飛沫が舞った。
浩輔は攻撃を仕掛けてきた方向を見て、ほうと安堵の息を吐き出した。
影はそんな彼の横を通り過ぎ、フィアナの方へと歩みを進める。
喉を圧迫していたものが外れ、肺に空気を入れて起き上がろうとするフィアナに、彼はその背を支える。
「……ユア、来てくれたんだね」
うまく声が出せずに掠れていたが、ユアは苦い笑みを浮かべて頷く。
「遅くなって悪い、フィア」
「そんなことないよ、来てくれてありがとう」
申し訳なさそうに表情を曇らせる彼に、緩慢な動作で首を振って無理に笑みを浮かべる。
そんな彼女を痛ましげに見て、それからこんな目に合わせた本人の方へ鋭い視線を向ける。
「浩輔、フィアを頼む」
浩輔に彼女を任せると、ゆっくりと立ち上がり、ユアの登場を喜んでいる綾夜へと向き直る。
「何度フィアナを傷つければ気が済むんだ。これ以上傷つけさせねぇ、そのためにも今日ここでお前を止めてやる」
瞬時に召喚した刀の切っ先を綾夜の眉間に向けて断言する。
それを彼は嘲笑うようにふんと鼻を鳴らした。
「どうやって止めるつもり?殺すか?お前には人を殺すことなんてできないだろ」
「殺さなくても止める方法はいくらでもある」
「ふうん、それは楽しみ」
ユアは彼の挑発を受け流し、刀を構える。母親直伝の一寸の隙もない構えだ。
「でもまだお前にやられるわけにはいかないんだ。お前のほかにも戦いたい奴がいるんだからな」
「……葵か。やっぱり一緒に行動してるのか」
「今は妹に執心してるけどな」
あくまでも肯定も否定もしない。しかし、前回のことを思えば確実に彼らは一緒にいる。
ふいにクロカの顔が脳裏を過ぎるが、すぐに振り払う。今はそれを考えている場合ではない。
ユアは腰を低くし、そうか、と一言と共に地を蹴る。
素早く相手の懐に滑り込むと、刀を横一文字に薙ぎ払った。それを後ろに跳び退って回避し、体勢を整える。
綾夜は彼の行動を見極めるように出方を伺いながら、短剣で利き手とは反対の腕を浅く切り裂く。
わずかに表情を歪めるが、それはすぐに笑みに変わる。
腕からは赤い血がつっと滴り落ち、地面に吸い込まれていった。
「相変わらず狂った奴だ」
ひとを傷つけても、まして自分でさえも顔色一つ変えない。
一瞬、彼は、感情は愚か感覚までも麻痺しているのではないだろうか、と疑うほどだ。
血の神気はこの世に存在する神気の中で最も強く、最も危険なものである。自分の血を条件に神気を発動させ、治癒能力は通常よりも低下する。
綾夜が血で濡れた手を前に掲げるのをしっかりと視界に留め、ユアは攻撃に備える。
「”我が内に秘める血より生まれし無数の刃よ、我の言葉の下、凝固しろ 血?爪(けつじんそう)!”」
腕を横薙ぎに一閃すると、勢いに血は刃のように弧を描いてユアへと襲い掛かる。
それを正確に見極め、しなやかな身ごなしでかわしつつ、しかし確実にフィアナや二人の守護神を守りながら真っ二つに切り裂いていく。
たとえ飛び交う刃を落とし損ねても、フィアナには守護の神呪があるのでそれほど心配は要らないが。
全てを相殺し、着地したユアを綾夜は不敵な笑みを浮かべて眺めている。彼が切り裂いた血の刃は液体へと戻り、まるで生き物のように雫はふよふよと宙を浮いていた。
彼が体勢を整えるよりも早く、綾夜は神呪を紡いだ。
「後ろばっかり気を取られてる場合じゃないんじゃねっ?”そのまま四散し、血の雨を降らせ、針のように突き刺されっ、血雨(けつう)!!”」
分散した血の雫はさらに細かくなり、針状に形を変える。
その様子を後方で見ていた島崎が気づいて叫んだ。
「ユアっ後ろだ!」
島崎の声で体勢を立て直す前に、襲ってきた血の雨に気づくが間に合わない。
「ユアを守って!”桜季っ”」
瞬間、フィアナは神呪を詠唱する。ふわりと大量の桜が召喚され、ユアに降り注ごうとしていた雨を包み込みながら相殺していく。
「ありがと、フィア」
肩越しに振り返ると、浩輔に支えられているフィアナが笑って応じる。
視線を綾夜に戻し、刀を下ろすとほうと息を吐き出して気持ちを落ち着ける。
「………?」
怪訝そうに眉を寄せる綾夜は、何を仕掛けてきてもいいように身構える。
たっぷりと呼吸を数えてから、ユアの周りを彼の闘気に反応してか、水の粒が漂い始めた。そしてそれは下ろした刀へと移っていき、ユアは刀を握りなおして右足を一歩後ろに引く。
何かを感じた綾夜が攻撃に備えて、さらに自分の腕を傷つける。多量の血がばたばたと落ち、地面をまばらに染めていく
「これ以上お前と遊んでる暇はねぇんだ」
綾夜はふっと笑った。それと同時にユアは地を蹴って駆け出し、最大の神気を持って叫ぶ。
「”水龍よ、我が力の下ここに召喚する!津波のように全てを飲み込む力となれっ 天藍水W(てんらんすいき)!!”」
瞬間、刀を取り巻く水が勢いを増し、大量の水はやがて龍の形を造る。
そして高く跳躍し、刀に巻きつく龍もろとも一気に振り下ろした。
水でできたとはいえ、精密さがあり、牙が生えた口腔をくわりと開けて綾夜へと突進していく。
ユアの本気の一撃だ。
綾夜は笑みを消し、冴えた瞳で龍の動きを見極める。
「”血より生まれし、死の刃。この身をもって切り裂く力を与えろっ 立花血椎(りっかけっつい)!”」
綾夜は腰を低くし、足に力を入れる。
腕を伝う血が生き物のように浮き上がると、先ほどの針よりも何倍も太い棘へと変化し、彼と龍との間に浮く。
「行けっ」
合図を送ると棘は無数に飛び交い、龍へと突っ込んでいく。
凄まじい轟音と共に二つの神気が激突し、激しい突風と溢れた水が綾夜の視界を完全に奪う。
「……っち」
これではどこから仕掛けられるかわからない。
ユアはそのまま水しぶきの中を突っ込み、綾夜の懐へと飛び込むと、その無防備な腹に神気の塊を放つ。
「………っ!」
そして彼の接近に一拍遅れて気づいた綾夜だが、受身を取る暇はなく、衝撃に息を詰めて呆気なく後方に吹き飛ばされる。
木の幹に背中を強かに打ちつけて何度か咳き込み、体勢を整えてもう一度神気を集中させようと肺に空気を入れる。
刹那、右肩に鋭い痛みが走った。
ぽたりと、赤い雫が地面に落ち、吸い込まれていく。
吹き飛ばされた綾夜を畳み掛けるように追いかけ、その肩口に刃を突き立てたのだった。
「ちっ、あの神呪は目晦ましだったのか……っ」
小さく舌打ちをし、恨めしそうに無感動なユアの瞳を見上げる。
「これで右腕は使えねぇだろ」
刃は貫通している手ごたえがある。
これまでの戦闘から彼の利き手が右手であることはわかる。それが使えないとなれば彼の戦闘能力は半減以下になる。
「諦めろ。でないと、このまま左腕も使えなくするぞ」
それは勝負が目に見えての発言だった。
これ以上は無意味だし、ユアとて望んではいない。このまま退いてくれるのであれば、追うつもりはない。
しかし、ふいに綾夜は小さく言葉を呟いた。小さな小さなそれはユアの耳には届かない。傷口をもう一方の手で押さえ、酷薄な笑みを浮かべる。
その表情に気づいたユアの肌が軽く粟立つのを覚えた。
大怪我を追ったにも関わらず、まだ戦いを楽しんでいる様子だが、彼の額にうっすらと脂汗が滲んでいるところを見ると、感覚が麻痺しているわけではなさそうだ。
「………?」
呟かれた言葉の続きが少し大きくなり、ユアの耳に微かに流れ、そこで気づいた。刀を綾夜から引き抜き、後退って構える。
その刹那、はっきりとした声で最後の神呪を唱える。
「……っ甘いな、お前。”……血雨っ!”」
途端、地面に溜まっていた血が浮き上がって無数の針となり、寄り集まって刃へと変わった。
綾夜から放たれるものだと思っていたユアは愕然とする。彼の血は自分の足元にも広がっているのだ。
「しまった……っ」
とっさに気づくが、反応の遅れた彼の腹と背中に速度の落ちないそれが深々と刺さって消えていく。
消えたのではなく、体内に滑り込んできたのだと気づいたのは、身体に異変を感じた後だった。
急激に手足が痺れてくる。それと同時に腹部からじわりと血が滲み、服を赤く染めていった。
自分自身の失態に内心盛大な舌打ちをする。
綾夜は最後に一矢報いたことを見届け、弱々しいが不敵な笑みを浮かべると、失血しすぎたせいかその場に倒れこんだ。
それを見ていたユアもまた、その場に膝をつき、刀を支えにかろうじて倒れることを防いでいる。腹の傷よりも、綾夜の血による凝血現象のほうがよほど彼に疲労を与えていた。
「ユア!」
呼吸が苦しくなっていく中、遠くのほうでフィアナの声が聞こえてくる。
ゆっくりと視線を巡らせると、心配そうな面持ちの彼女が駆け寄ってくる後ろで、浩輔と島崎も急いでこちらに向かってくるのが見えた。
「……フィ、ア……」
大丈夫だ、と言いかけて、しかし言葉にはならずに彼の意識はそこで途切れた。
気を失ったユアは横に倒れ込み、刀は形を失って元のブレスレットへと戻った。
「ユアっ。ユア!」
フィアナは彼を抱き起こし、悲鳴にも似た声で呼びかける。その目にうっすらと涙が溜まっているのを、守護神たちは見ていることしかできなかった。




第十五話 終わり




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