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15 : 第十五話




そこは中心都市、アクセア・クレイムから少し離れた山の中腹にひっそりと建っていた。
人目を避けて建てられた研究施設で、今は使われていない。街からはそこそこな距離があり、街人からも忘れ去られた場所。身を隠すには絶好である。
緑の長い髪を柔らかく吹く風に遊ばせながら、綾夜は屋上からぼんやりと街を眺めていた。
あの街は、痛い辛い嫌な記憶しかない。
綾夜は胸に右手を当ててみた。しかし、何も感じなかった。
「あのときは痛くて痛くて、仕方なかったのにな」
抵抗するひとを無惨に引き裂くたび、命乞いをするひとを無情にも切り殺すたび、何度も何度もひとの血でこの手が赤く染められるたび。
身体の内側がとてもとても痛くて、そのたびに泣き叫んだ。
「………」
ふいに視線を落とし、じっと自分の手のひらを見つめる。
目を伏せると、今でもあの頃の情景がまざまざと思い起こされた。
弱いと生きていけなかった。自分を育ててくれたあの人は、弱く役に立たない奴を簡単に切り捨てるような人だった。
捨てられないように、強くならないといけなかった。あの人の命令に応えられるくらい。
ひたすら、言うことを聞く人形となり、人を殺めてきた。
今、自分が唯一感じることの出来る心は、「闘う楽しさ」だけ。あのときから、自分の感情は壊れてしまったんだ。
「………ん?」
綾夜はふいに視線を街に戻した。
気配を感じる。桜と、水。そして弱く、闇と風。四つの神気が、三つの世界を繋ぐ神殿に現れた。
彼の口端がにっと吊り上がる。
今更闘うことから逃れられない。身体が覚えているのだ。
どうしても強い者を探してしまう。
立ち上がると、ひらりと軽く飛び、地上へと降り立つ。
「葵が目的を果たすまでの、遊び相手に、ほんと退屈しないな」
彼らは諦めない。それどころか一度負ければ、次はさらに強くなってくる。
それが楽しくて、面白くて仕方がない。
綾夜は子どものようにわくわくとした様子で、街に向かって歩き出した。

残虐な笑みとともに。




☆☆☆
フィアナたち四人は、もう一度黒界へと帰ってきた。
来た道を戻り、中心都市の巨大な門が見えてきたその刹那、飛空艇が再び飛行場へと向かって高度を下げながら飛んできた。
ぐわりと肢体が傾きそうなほどの激しい風が吹きぬけ、同時に轟音が響く。
「あっ」
飛空艇が飛び去った後、フィアナが大きな声を上げた。
「どうしたっ?」
えらく緊迫した声音にさしものユアも驚き、声を荒げて問いかけてからはたと気づく。
真っ青な夏空に桃色のリボンが風に飛ばされて、ふわりふわりと飛んでいた。
「ま、待って!!」
「え、おい!フィアナ!!」
周りなどすでに見えていないフィアナは、泣きそうな表情で駆け出し、街の中に入っていく。
その腕を掴もうと手を伸ばしたユアだが、空しくも空を掴み、彼女の姿は街の中の雑踏へと瞬く間に消えていった。
小さく舌打ちを洩らして追いかけようとするが、ふいに感じた別の神気に彼の足はその場に縫いとめられたように動かなくなる。
「ユア?」
訝しげに島崎が問いかけると、ユアはぽつりと呟いた。
「……綾夜の神気」
遠く感じるのは間違いなく、彼の神気。それもまだ微かに感じるフィアナの神気に向かっている。
遠くにいるにも関わらず、補助のないユアにも確信が持てるほど神気が膨大なのは彼が神気を抑制していないから。
間違いなく綾夜は、こちらの存在に気づいている。その上でフィアナを狙っている。
ユアの言葉に目を瞠った浩輔は、眦を決するとフィアナが向かった先へと走っていった。
「待て!!浩輔っ」
思案していたユアは一瞬気を取られ、制止が遅れる。とっさに怒声を上げるが、浩輔は聞かずに街の中へと姿を消してしまった。
「ああもうっ!どいつもこいつも!!」
勝手なことばかりしやがって、と毒づきながら、ユアは露骨に舌打ちを洩らす。
そんな彼を見下ろしていた島崎は、ほうと息を吐き出すとそっと彼の背中に手のひらを当てた。
「………?」
なんだ、と言いかけて、ふいに風の神気がふんわりと自分の中へと入っていくのを感じた。
荒れていた気持ちが自然と落ち着き、ユアは肩の力を抜く。
肩越しに振り返ると、穏やかな表情の島崎が何も言わずにただ見返していた。
その意図を正確に読み取り、ユアは呟くように礼を言う。
「フィアたちを追いかけるぞ」
「ああ」
島崎は頷くとユアに続いて門をくぐり、二人ははぐれないように雑踏へと足を踏み入れた。



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