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15 : 第十五話




シャルイットとミツキが情報屋を去ってすぐに、フィアナたちも聖なる泉の水、すなわち白界にある霊泉の水を手に入れるべく、一度神殿に向かっていた。
「はぁ……自分の仕事、押し付けやがって」
重いため息のあとには文句しか出てこない。
「わたしは耀香の役に立てるならうれしいよ」
彼の後ろをちょこちょことついて行っているフィアナが嬉しそうに言う。
常に誰かに頼ってばかりの自分が、誰かの役に立てることは数少なく、頼られることはとても嬉しい。
ユアとは正反対に張り切っているフィアナはにこりと笑いかける。
それを肩越しに見て、彼は苦笑した。
「まぁ、フィアがいいなら別にいいんだけどな」
これがクロカならば素直に従うわけもなく、腹の底が煮えくり返るほど腹立たしく、おそらくケンカが勃発することだろう。
それに対して耀香相手だと、そういったものを感じないので心底不思議なのだ。
不思議だ、と考えを巡らせていると、ふいに浩輔の姿が目に留まった。
今しがた会ってきた情報屋の弟と顔が瓜二つの少年は、先ほどからなにやら難しい顔をしていた。
「どうしたんだ?浩輔」
尋ねたのはその隣を歩いていた島崎だった。
彼も浩輔の様子が少し変であったことは気づいていたようだ。
「……え?」
ふいに声をかけられ、現実に引き戻された浩輔は三人の視線が自分に向いていることにようやく気づき、妙な声と共に三人を見渡す。
「どうしたの?疲れちゃった?」
その場に立ち止まり、心配そうな面持ちでフィアナが尋ねる。
ユアもじっと浩輔を見る。その視線が威圧感を与えてきて浩輔はなんでもない、と手と首を振るが、何か言いたそうな彼の表情にユアの瞳が苛立たしげに細められる。
「言いたいことがあるならはっきりと言えよ」
ずばりと言われ、浩輔はどういえばいいのか考えながらようやく口を開く。
「…いや、両親がいるのは、贅沢なことなのかなって思って………」
言いよどんだ末にぽつりと吐き出された言葉に、三人は顔を見合わせた。
どうしてそいういう疑問が生まれたのかがわからなかった。浩輔は三人の反応にやっぱり言わなければよかった、と後悔するが、一度出てしまった言葉は戻せない。
浩輔はわかるように言葉を付け加える。
「さっき会ったシャルイットっていう人も、両親を亡くしたっていうし、フィアナも。島崎くんだって今は両親と離れて暮らしてるから……」
耀香たちもおそらく両親がいないのではないだろうか。いるとすれば、子どもにあのような仕事はさせないと思う。
今まで両親がいて兄弟がいて、それが当たり前だと思っていた。当たり前だと思っていたからこそ、今まで考えたことはなかった。
それがこの一ヶ月の間で出会った人たちは、家族を亡くした人たちばかりだ。
一緒にいたくてもいられない。少なくとも今目の前にいる人たちはそういう環境の中にいる。
その中で自分のような、何の不自由もなく、当たり前に家族が揃っていて帰れば待っていてくれる人がいるのは、贅沢なことなのではないだろうか。
打ち明けてくれた浩輔に、フィアナと島崎が返答に窮していると、はぁ、とため息を吐いたユアが浩輔の目の前まで戻って、その額を軽く指で弾いた。
「……っいた……」
「馬鹿じゃねぇか?お前が思ってるほど白界や黒界は治安がよくない。人界でいう警察は存在しないし、決まりごともほとんどない。それに俺たちは長寿だから、その間で何かあったとしても珍しくねぇ」
たとえ姿が同じ年だとしても、フィアナやユアたちファイネルと、浩輔や島崎、人間たちとは生きてきた年数がまったく違うのだ。
最後にわかったか、と半ば強制的な問いかけをすると、とりあえず頷く浩輔だが、その実少し理解しがたかった。
おそらくユアも十分に理解はしていないのだろうが、彼が気にするな、と言外告げていることだけはわかった。
「…ユアは、親いないのか?」
「いや、母親がいる。父親の方は母さんが俺を身ごもってすぐくらいに死んだらしい」
なぜ亡くなったのかは今まで聞いたことがないので知らないが、母親に辛い思いをさせてまで聞きたいとは思わなかった。この先、母親自身が自分から話してくれるまでは、聞かないようにしようと決めていた。
浩輔はそうか、と視線を落とす。
「別に気にするなよ。俺だってお前みたいに考えたことあったし、親がいるからって贅沢なわけじゃねぇと思う。まぁ、親がいながら、いないほうがいいとか、一人がいいとか。そういうことを言う奴は許せねぇけど、お前みたいな意見なら贅沢じゃねぇよ」
親がいるのはユアだけだ。そのことで他の仲間との距離を感じたこともあったが、それを彼らは否定したのだ。
羨ましく思うことはあっても、妬ましいことはない。帰る場所があって、そこで家族が待っている環境にあるからといって、仲間ではないことはないのだから。
「それにあそこが家みたいなものだもの。雨涅や長たちが家族でいてくれるから、わたしは寂しくないよ」
フィアナも同意を示してにこりと微笑んでみせる。
仲間と家族は違うけれど、それに近い温かさはある。
浩輔は自分の浅はかな考えに苦笑を浮かべ、頷いてみせる。
「ユアって、見た目ほどいい加減なわけじゃないんだな」
周りをよく見ていて、他人の気持ちを重んじている。
ひとまず日暮れまでには戻らないといけないので歩き出しながら、浩輔がぽつりと呟く。
「……浩輔、それどういう意味だ」
「え…?い、いや馬鹿にしたわけじゃなくて……見直したっていう……」
特に何の意味もなく呟いた言葉だが、ユアに聞こえた上に勘に触ったのか、肩越しにじろりと睨まれる。
せっかく彼の距離が縮まったかと思ったが、浩輔の錯覚だったようだ。必死に取り繕うが、どれも言い訳にしかならない。
そうこうしているうちに、黒界に来たときと同じ神殿が見えてきた。
三つの世界の時間は流れ方が同じなので、今も激しく照りつく夏の太陽が頭上で、地上をきつく照らしている。
「じゃあ白界に行くよ」
神殿内に入り、フィアナが三人に声をかけると、神呪を唱える。
四人の姿は瞬く間に消えていった。
浮遊感がなくなり、目を開けるとそこは今までいた黒界と似通った白い建物の中だった。
唯一白界に来たことがなかった島崎だけが本当に移動したのか疑問に思っていたが、明らかに黒界よりは穏やかな時間が過ぎている。
「さっさと霊泉に向かうぞ」
ユアに促されて神殿の外に出て、入り口に立っているアーチを抜けると、道が二手に分かれていた。
道のちょうど真ん中に立て札が立ててある。左が中心都市へ繋がる道、右が森に続いているようだ。
一同はそこを右へと進んでいく。
進むにつれて森は深くなっていくが、木々の間には間隔が取れていて木漏れ日のおかげで視界は明るい。霊泉は歩き始めて十五分ほどの場所にあった。
低い崖が背後にあり、そこから水が静かに流れ落ちている。岩や草が泉の縁を囲み、神気が目に見える形できらきらと輝いていた。
「あ……」
ふいに浩輔が声を上げた。島崎も何かに気づいた様子だった。
「どうしたの?」
フィアナが小首を傾げて尋ねると、彼らは互いに顔を見合わせた後、浩輔が答えた。
「この辺りの気の感じっていうのかな、雰囲気みたいなのがユアに似てると思って」
何がどうという説明は難しいが、感じるものがどことなくユアの放っているものと似ていたのだ。
「よく気づいたな」
二人の守護神の少年を交互に見たユアは感嘆した声を上げる。
フィアナも驚いたように軽く目を瞠っていた。
「この泉には上流から流れてきた水と繋がってるんだ。で、その上流にある別の泉が、俺が契約した水の精霊の宿体になってるんだ」
言って彼は低い崖から流れ出ている水を指差す。
ゆっくりと流れている透明な水は、涼しげな音を立てて延々泉に注がれていた。
「たいていは気づかないんだけど、お前らは勘がいいな」
「浩輔、レイカの木だってわかっちゃったし、二人ともすごいね」
「い、いや……」
そこまで感嘆されて褒められると、なんだか気恥ずかしい。
あまり表情に示さない島崎がどう思ってるのかはわからないが、その隣で浩輔が俯いて頬を掻く。
「そういえば、ユアの精霊はまだ見たことがなかったな」
ひとまず瓶に水を入れようと、泉の縁にしゃがんで小瓶の蓋を開けているユアに、島崎は見下ろしながら話しかける。
それにぎくりと肩を震わせたが、微かだったので誰にも気づかれていない。
「わたしも最近会ってないね」
フィアナも口許に指を当てて記憶を手繰るが、ここ最近では会った記憶はない。
ユアの実力であるなら、精霊の力を借りることは稀であるから仕方のないことだが。
「そ、そのうち会えるんじゃねぇか?」
ユアは小瓶に水を入れて立ち上がり、三人に身体ごと向き直ってから言う。そんな彼の表情が苦いものを含んでいた。
彼の様子に違和感を覚えた島崎は首を傾げるが、確かにいつかは会う機会があるかもしれないと、何も言わない。おそらくは先日会った桜の精霊のような、外見が人間離れしたようなひとなのだろうと見当をつける。
「ユアはフォアル呼ばなくても強いもんね」
「そうだな。まぁ、そのおかげで出せってうるさいけど」
精霊は宿主を通して外界の様子を見ることも出来る上に、宿主に干渉することもできる。もちろん遮断することも。
「今もうるさい」
はぁと息を吐き出し、ユアは肩を落とす。
毎日毎日自分の中でうるさくされているのだろう。水の精霊のことを知るフィアナは苦笑する。
自分の中にまったく別の意志があるというのは、いったいどういう感覚のものなのか。浩輔や島崎には皆目検討もつかない。
不思議な目をしている二人に気づいたユアが、島崎を見上げて意味ありげに見つめる。
「貴久は……もし会うことがあったら、覚悟してたほうがいいと思う」
「………?」
フィアナと浩輔の視線も彼に集まり、島崎は訝しげに首を傾げる。
おそらくフィアナはユアが言わんとしている理由を知っているようだが、二人ともそれを言葉にしようとはしなかった。
また新たな疑問が生まれつつ、四人は霊泉を後にした。



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