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13 : 第十三話




水族館は三つのエリアから成っていて、主に魚の棲む地域や種類、大きさによって分けられている。
杏里とユアが初めに向かったエリアは暖かい地方の生き物がいるところだった。天井と床以外は全てガラス張りで、その向こうに色鮮やかな小さな魚たちが群れを成して泳いでいた。
その巨大な水槽にユアは目を丸くする。
「水族館って来たことなかったから、どんなとこかと思ってたけど、すごいな。いろんな魚がいる」
自分の知っている魚というのは食卓に並ぶような、食用の魚でそれですらたくさんあるというのに、この中にいる魚はそれ以上に存在している。
楽しそうに水槽の中の魚を眺めているユアの隣で同じように見ていた杏里はそうだね、と共感する。
「私も小さいときに一度来ただけだけど、初めて見たときは葉月くんと同じ気持ちだったよ。私の知らない魚たちがたくさんいてびっくりした」
家でいつも一人だった彼女は年に二、三回程度しか家族と外出することはなかった。昔はそれが嫌でしょうがなかったが、今はもう慣れたし、一緒にいてくれる友達もできたので寂しい思いはしなくなった。
杏里は彼の顔を見上げると、それに気づいたユアが見返してきてそうか、と笑って返す。
その笑顔が、向けられて嬉しいはずなのに今はどうしても切なくなってしまう。
今、私はちゃんと笑えているだろうか。
そんな不安に駆られていると、ふいにユアがある魚を見つけた。
「……?どうしたの?」
訝った杏里は彼が見ている視線の先のものを探すが、いったい何を見ているのかわからない。
ユアは彼女がわかるように指差して、見つけた魚を示す。
「あ、あの魚、群れから出てる」
ようやく杏里も見つけて、不思議そうに目を丸める。
真っ赤な色をした魚が、同じ形をした青い魚の群れからはみ出て泳いでいるのだ。
「同じ魚なのに、どうしてあの子だけ………」
「違うから」
「………?」
外見以外は別段変わったところはないのに、仲間外れにされているのが不思議である杏里の呟きを聞いて、ユアは即答で短く答えた。
あの魚が群れから爪弾きにされている理由を、ユアには痛いほどよくわかるのだ。
「自分たちとひとつでも違うところがあったら、すぐに異端視する。それは人も魚もみんな同じことなんだろ」
だから彼女だけが街の住人から白い目で見られ、異端視され続けてきたのだ。ただ伝承と同じ色の瞳をしているというだけで。
苛立ちを含んだユアの言葉を聞きながらも、杏里はぽつりと自分の意見を呟いた。
「そうかな。私にはあの赤い魚、とても綺麗だと思うけどな。夕日みたいで。外見がどんなに違ってても同じ仲間なんだから………」
仲間外れにするのはどうかと思う。そう単純に思った。
それがユアには衝撃だった。
「……?え、私なんか変なこと言ったかな………?」
彼の表情が固まってしまったことに気づいた杏里は失言でもしたのかと焦るが、思いのほか彼は首を横に振った。
「いや、俺も藍浦の言うことは正しいと思う。たしかに偏見に思ってる奴もいるけど、そうじゃない奴もいるんだよな」
自分もある意味偏見に見ていたのかもしれない。
街人は皆あの子を避けている。でもそうではない街人もいるということを、自分は知らない振りをしていた。
「悪いな、こんな話して」
暗い話をして、場の空気を悪くしてしまった。
それを詫びると、杏里はそんなことない、と否定し、彼の腕を取る。
「次いこっか。まだいろんな魚がいっぱいいるんだから」
彼が何に嫌悪を抱いているのか、自分にはわからないが、彼の「大切な人」のことだということだけはわかる。悔しいが、自分はその人には勝てないのだ。
でも精一杯のことはやってやる。



一方、別で行動していた四人は今、水の中に通った天井すらもガラス張りのトンネルを移動していた。
「杏里ちゃんたちは大丈夫かなー」
一番後ろを歩いていた藤は頭の後ろに両手を回して、ふいにぽつりと呟いた。
その声に一同は立ち止まって彼を振り返る。そんな彼らの頭上を巨大な鯨が悠々と泳いでいく。
彼の呟きに答えたのはクロカだった。
「いくらあいつでも藍浦を傷つけることは言わないと思うわ。たぶんだけど」
あくまでも想像の域を超えないのは事実だが。
ユアは嘘を吐くことが苦手だから、全て本心で言葉にする。だから結果的に杏里を傷つけるようなことがあるかもしれない。
それに対して、杏里は優しいからきっと顔には出さないだろうし、言葉にしないからユアは気づかない。
二人の心配をクロカもしているが、それ以上に心配しているのはあみだ。
「大丈夫よ。杏里はああ見えてけっこう強いし。もともと人を傷つけない人なんていないしね」
あみは明るく笑みを浮かべる。
恋愛は難しい。あみも一度は経験しているし、誰もがする経験なのだ。
彼女の言葉が強い説得力を持っていて、クロカは安心したのかそうね、とほっと息を吐き出す。
「でもいいなー、俺もデートしたいし。ていうか、彼女欲しいし」
願望はあるのに、いつまで経っても一向に成就する気配はない。
今まで真剣に話し合いをしていたのに、一瞬にして場の空気が緩んだ。
藤にしてみれば心底真剣な話なのだが、いかんせん危機感は全く感じられず、彼の言葉に島崎は即答で返した。
「無理だろ」
「……………」
親友の鋭い一言に藤はわざとらしく驚いた顔をした。それを見て島崎は眉間に皺を寄せる。
「お前、学校でなんて言われてるか知ってるか?」
「みんな藤くんとは友達として、面白くて付き合いやすいって言ってるわよ」
肩をすくめる島崎の隣であみが引き続いて答える。
事実彼には女友達は多いが、それはあくまでも友達としての好意で恋愛対象として見ている女子は、あみの知る限りではいない。
そんな新事実を知った藤はがっくりと肩を落とした。
「………それでもさー、無理ってことないだろ。てかっ、島崎だって!」
そういう島崎だって女子とは全く喋らないし、恋愛の話などこれまでに出たことなど一度もない。
しかしそれはあみの言葉によって覆された。
「あら、藤くん知らないの?島崎くんはけっこう人気あるみたいよ?」
「……………………は?」
ぴしりと島崎を指差す藤は理解するのに数分動きが固まる。
あみは口許に手を当て、ついこの間の記憶を手繰り寄せる。たしか一ヶ月前ではあるが、告白されたという噂を聞いたような。
それを聞いた藤が思わず大きな声を上げた。周りの来場客が何事かと振り向くような大きな声だった。
「えぇ!?うっそだーっ。そんな話聞いてないぞ、島崎!!」
「言ってないんだから、知らなくて当然だろ。てか声でかい」
特に言う必要はなかったので、言っていなかっただけなのだが問い詰めてくる親友が心底鬱陶しく、島崎は深いため息を吐き出した。
「ううわ、親友だと思ってたのに」
しまいには泣く真似までし始める始末だ。もう手に負えない。
「で、でも藤くんは藤くんでいいところあるし、焦ることもないと思うわ」
だんだんと可哀想に思えてきたクロカは彼の背中をぽんと叩いて苦笑いを浮かべる。
「うん、ありがと。クロカちゃんの優しさで泣きそう」
「そうよ、霜月の言うとおり、まだまだ先は長いんだしそんなに焦らなくても大丈夫よ。それに中学くらいまでの女子って大半が顔で選ぶからね。後輩から聞いたんだけど、この前転校してきた二年の弥生くんはすごいらしいわね」
クロカに続いてあみも藤のフォローをしたから、数日前のことをふいに思い出す。
「弥生?」
「そう。たしか弥生セノトって名前だったと思う」
あみも一度だけ見かけたことがあるのだが、確かに自分から見てもスタイルがよく、かっこいいと思う。ここ数日で告白した女子生徒は十人に及ぶとか。そして興味を持つ女子は依然として増えつつあるということだった。
「すごいのね。……ん?て、えぇっ!?」
単純にそう思ったクロカは、しかしその人物をよくよく考えて見てから絶叫する。
三人は突然の大声にびくりと肩を震わせる。
「びっくりするじゃない。てか、なんで霜月が驚くのよ」
「あ、ごめん。すごいな、て思っただけよ。なんでもないわ」
特に隠しているわけではないのだが、あみはクロカやユアがセノトと仲間であることは知らないので、別段こちらから言う必要はないし、知らないほうがいい。
狼狽するクロカだが、その様子には気にした様子もなくあみはそれ以上追求してこなかった。
「ま、やっぱり美形は強いのよ」
「そうね」
彼女に同意を示したあと、クロカは仲間の姿を思い起こして考えて見る。
確かに背は高いし、顔は整っている。おまけにユアにはまだない大人っぽさが備わっている。間違いなくセノトは世間一般に言われる美形の部類に入るのだろうが、いかんせんクロカの場合は幼い頃より仲間として近くにいるので、そういった感情は持ち合わせていないのだ。
しかし彼に想いを伝えた女子たちはことごとく失恋していることだろう。
「………ん?」
そこでふいにあることに気づき、彼女の思考はさらに膨らんでいく。
そういえば人間の年齢で言えばセノトは十六歳ほどになる。一般に中学二年生というのは十四歳の人間が対象である。………いいのだろうか。
今更ながらの疑問にクロカは渋面を作る。
「ん?どうかした?クロカちゃん」
険しい表情で考え事をしている彼女に気づいた藤が声をかけると、それに気づいてはっと思考の淵から戻ってきたクロカは彼を見返す。
「ううん、なんでもないわ」
たいしたことではない、と首を横に振り、苦笑を浮かべた。
今のところそれについて噂が流れたり、話題には上がらないので心配することはないだろう。
「そういや、あみちゃんは好きな人とかいないの?」
優雅に泳ぐ深海魚にも視線を向けながら、藤は先ほどの話を持ちかけてくる。
その質問にクロカも視線をあみに向けた。あみはにこりと満面の笑みを浮かべる。
「実は私、もう彼氏いるから」
「ふうん、彼氏いるんだ………………え?」
あまりにもさらりと言ってのけたので、そのまま受け流しかけて慌てて話を戻す。
これは予想だにしなかった答えだ。
「それこそ私聞いてないわよ」
島崎が告白されている事実より、衝撃が大きかったクロカは彼女に詰め寄る。
「あれ、そうだったっけ。去年くらいからよ」
ごめんごめん、と軽く謝ってから、いつ頃から付き合っていたかを思い出す。
クロカと同様に藤も驚いているが、あみは特に恥ずかしがったりはせずにいつもどおりだった。
どうして自分の周りにいる女子の友達には皆彼氏がいるのだろうか。ここに来て一番のショックを受けた藤である。
「まぁ、私のことはどうでもいいとして。イルカ見に行こうよ、イルカ」
自分で撒いた種を軽く吹き飛ばし、あみは玄関ホールで貰ったパンフレットを見て指を差す。
相変わらずのマイペースぶりはここにきても健在のようだ。
クロカは肩をすくめてみせ、三人は彼女に従ってトンネルを抜けた。



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