当日二十分近く前に友人と指定の場所に着いていた杏里は緊張のあまりそわそわと落ち着きがなかった。
実のところ、昨晩もあまり眠れなかったのだ。
今日の服はあみに見立ててもらったもので、薄い緑色のパーカーに、中には無地のシャツを着ている。しかし首周りや裾に白いレースが施されてあり、素朴なデザインが逆に杏里に合っている。下には七分丈のジーンズに薄桃色の花がついたミュールを履いている。
「ちょっとは落ち着きなさいよ、杏里」
ちらちらと腕時計を見ては辺りを見渡している彼女の非常に落ち着きがない態度に、あみはわざとらしく息を吐き出す。
そういうあみは肩口が見える首周りが大きく開いたピンクのシャツに英語がプリントされていて、中には黒のタンクトップを着ている。そして白のミニスカートと黒のレギンスを履き、同じく黒のパンプスと組み合わせている。
彼女はもともと大人っぽい雰囲気であったため、私服だとさらにそれが一層強まる。
たしなめられた杏里はだって、と口答えをして俯いた。
「来てくれるか不安になるんだもん」
クロカのことを疑っているわけではない。自分の代わりに彼を誘ってくれたのだから。
それでも不安要素は無くならない。
「大丈夫よ、絶対来てくれるわ。もしも来てくれなかったら、霜月にパフェをおごらせるわ。二人分」
なぜかちゃっかり自分の分も数に入れているあみに、杏里はふいにくすりと笑う。
「そんなのクロカちゃんに悪いよ」
「いいのよ。それくらいの罰」
彼女の冗談が自分を勇気づけてくれているものだと、杏里にはわかっている。
大丈夫、と何度も自分に言い聞かせて、彼女は広場の中央に設けられている噴水を見上げる。女性の像が持っている壺からは水が止まることなく溢れ出ていて、その上にある時計の針は九時二十分を指していた。
その頃。
「もう、ほんっとありえないわっ。なんであれほど九時半に集合だって言ったのに、九時半前に起きるなんてどういうことよ!?」
「だから悪かったって言ってるじゃねぇかっ」
彼らは今住宅街を広場に向けて全力疾走で駆け抜けていた。
それもこれも今日の一番重要人物、肝心なユアが寝坊したのが原因で、いつまで経っても指定した場所に来ないので迎えに行くと、まだ寝てると言われたのだ。
「ああもうっ、島崎くんもどうして叩き起こさなかったのよ」
あれほど杏里には大丈夫と言い聞かせておいて、これでは申し開きができない。
しまいには泣きそうになっているクロカである。
島崎は走りながら小さく謝った。
「悪い。一応起こしたんだが、どうしても起きなくて」
いつもならすぐに起きるのだが、今日に限ってなかなか起きなかったのだ。島崎もぎりぎりではなく、少し早めに起こしたほうがよかったと後悔していたが、こうなれば後の祭りだ。
できるだけ早く行くことだけを考え、四人は持てる速さで走った。
結局集合場所である噴水前に到着したのは、十時少し前だった。
「遅くなってごめんね。誰かさんがこんな大事な日に寝坊するから」
わざとらしく隣を一瞥したクロカはとりあえず大遅刻してしまったことに深く謝罪する。
杏里のことだから来ないことにすごく不安な思いをさせてしまったことだろう。それがとても悪く思う。
「……ちっ。悪かったな、すげぇ待たせて」
クロカに対して小さく舌打ちを洩らし、ユアは申し訳なさそうに二人に謝る。
彼女の言い方は実に気に食わないが、遅刻したのは紛れもなく自分なのだ。そのことは認めている。
すると杏里はそんなことない、と笑って首を横に振り、逆に謝る。
「それよりごめんね、急に誘ったりして」
「ああ、気にするな。てか、いきなり強引に誘ってきたのはあいつだしな」
もともと杏里のために計画されたものであることをユアは知らない。
鼻先でクロカを示して彼はにっと笑った。
「さて、そろそろ駅に向かいましょ」
「そうね、もう十時も回ってるし」
噴水上の時計を見上げたあみに続いてクロカも賛成すると、六人は揃って駅に向かった。
彼らの住む街にある駅から一駅分のところに目的の水族館がある。およそ十五分ほどで到着し、最寄の駅からはすぐに見えるところにその建物はあった。
「うっわぁ、ここに来るのすっごいひさしぶりー」
背の高い建物を見上げた藤は子どものように声を弾ませる。
ユアとクロカはもちろん初めて訪れた場所だが、藤や島崎、もちろん杏里やあみも一度は来たことのある場所で、藤と同じ心境なはずだ。
子どものようにはしゃいでいる彼を横目で見て、クロカは目をすっと細める。
「藤くん、昨日も話したようにこれはあくまでも杏里のためなんだからね。せっかくの機会を潰したら………許さないわよ」
今日の本来の目的は彼女自身がユアに気持ちを伝えること。それを無下にするような行動は慎んでもらわなければならない。
クロカは口許に酷薄な笑みを浮かべる。とても冗談とは思えない冷めた瞳だ。
「……はい、わかってます」
特に邪魔をしようなどとは微塵も考えていない藤だが、素直に頷いた。
「じゃあ、入場券買ってくるわね」
「あ、私も行くよ」
率先してあみが名乗りを上げると、杏里もそれに続いて券売機に向かった。
休みの日なので来場客はそれなりに多く、中でも小さな子ども連れの家族が目立つ。
少し経ってから二人が戻ってくると、六人はひとまず中に入ったホールで二手に分かれる。
「じゃあ、ここからは別行動ということで。杏里、あんたは葉月くんと二人で行ってきなさい」
ぽんと杏里の背中を押してユアの隣に半ば強引に移動させると、戸惑っている彼女を他所にあみは彼を見上げる。
「杏里のことお願いね、葉月くん。あ、それから集合は五時だからね」
「ちょ、ちょっとあみぃ………」
強引に話を進めるあみに杏里は不安そうな瞳を向けるが、彼女はじゃあ、あとでね、と満面の笑みを返してくるだけで、クロカたちを連れてさっさと行ってしまった。
ぽつんと残されてしまった杏里はどうしようか半ば泣きそうになっていると、何がどうなっているのか全くわからないユアは頬を掻く。
「なんかよくわかんねぇけど、俺たちも行くか」
「あ、う、うん。そうだね」
やると決めたのだから、最後まで諦めない。ここまで協力してくれた二人のためにも。
誘われるまま杏里は頷くと、親友たちとは違う方向へと歩き出す。
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