≫ No.5

12 : 第十二話




☆☆☆
いつの間に眠っていたのだろうか。気がつくと外は明るくなっていて、鳥の鳴き声が小さく聞こえてくる。
杏里はうっすらと目を開け、未だ覚醒しきっていない様子で頭上の目覚まし時計を手に取る。
そして絶叫した。
「えぇ!?うっそー!!」
初めは時計が壊れているのかと考えては見たが、携帯電話の時計も同じ時刻を示しているので間違いではない。
針が指し示しているのは八時十五分。そして登校は八時二十分まで。ホームルームはそのあとから行われるので、今から全力疾走で学校に向かえば、何とか一限目の授業開始までには間に合いそうだ。
杏里は急いで服を着替えて寝癖もそこそこに整えると、鞄を持って家を飛び出した。
彼女の両親は小さい頃から共働きで、家を空けることがしばしばある。彼らにしてみれば一人娘を一人で家に残すことには心配ではあるのだが、仕事である以上致し方ない。
それに小さい頃から一人でいることが多かったので慣れているのだが、少し気を抜くとすぐにこれだ。
少女は自分に嫌気が差し、逆に腹が立ってくる。一つため息を吐き出し、朝の住宅街を走り抜けていく。
さすがにこの時間は学生の一人もいない。
運動は得意な方ではないので、短距離走でも長距離走でもそれほど速くはない。
こういうとき足が速ければいいのに、と叶わない願いを考えつつ杏里は半ば泣き出しそうになりながら走っていると、商店街にある割と大きな交差点に差し掛かった。
そこでふとある人影に気づき、彼女の足はぴたりと止まる。
「…………?あれ?」
交差点の手前でよく知った制服を着た少年が信号が青であるにも関わらず、渡ろうともせずにただそこに立っていた。
誰かを待っているのだろうか。
薄い緑色をした髪は襟足より短めで、それほどずば抜けて高い身長ではないが自分と並べば見上げないといけない。
杏里は彼を知っている。
「……葉月くん?」
呼びかけると彼は不思議そうにこちらを向き、杏里の姿を認めてにこりと笑った。
「藍浦か。おはよ」
「おはよう。どうしたの?今からだと確実に遅刻だよ」
だから自分は遅刻しそうだったので急いでいたのだが、彼は特に急いでいる様子でも慌てている様子でもない。
首を傾げる彼女にユアは罰の悪そうな笑みを浮かべた。
「いや、二時間目から行こうと思ってな」
「……え?」
彼の言葉の意味が瞬時に呑み込めずにきょとんとした瞳で彼を見上げた。それにユアは苦笑する。
「お前ほんとすぐに顔に出るよな。一時間目数学なんだよ。俺あの教師嫌いだから、どうせ受けねぇんなら遅れてもからでもいいだろ?」
「う、うん。そうだね」
同意を求められても真面目な杏里にはどう返事をしていいのかわからないが、ここはとりあえず頷いておく。
そういえばユアと同じクラスのあみに聞いたことがある。たしか数学の教師と仲が悪く、ここ数日数学の授業だけ出席していないと。仲が悪いというよりは彼の方が一方的に嫌っているようで、おそらくそりが合わないのだろう。
「でもそんなことしたらまたクロカちゃんに怒られちゃうよ」
彼女の怒った表情が安易に想像でき、杏里は本気で心配をする。またケンカになっちゃう。
クロカのことだから、おそらく腕を組んで仁王立ち状態で険しい顔をして待ち構えているのだろう。
そしてケンカをする。
本当に二人はよく飽きずに他愛のないケンカをしている。
それがとても羨ましい。
ふいに落ち込んだ面持ちになるが、幸いユアには気づかれていないようで事実を言われて苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「別にあいつは関係ねぇよ。だいたいいっつも小言ばっか言いやがって。いい加減鬱陶しい」
自分のことなど放っておいてくれればいいのに、彼女は何かしら突っかかってくる。
思い出して憤慨する彼が非常に可笑しくて、杏里は思わず笑みを浮かべるとユアは決まりの悪い様子で頬を掻いた。
「あいつもお前みたいにおとなしかったら少しは可愛げあるのにな。まぁ、それより早く行かなくていいのか?」
「へ?……あぁっ」
初めの言葉は小さく呟かれただけなので聞き取りにくかったが、それよりも最後の言葉に杏里は突然大きな声を上げた。
そういえば遅刻しそうだったから全力疾走で学校に向かっていたのだ。こんなところで話し込んでいる場合ではない。
杏里は急いで腕時計を見て飛び上がる。
「もうこんな時間!?せっかくがんばって走ってきたのに、これじゃ今から行っても間に合わないよ」
走ってきた苦労が全て水の泡と化してしまったことと、疲労で彼女はへたんとその場に座り込んだ。
さすがのユアもぎょっとする。
「わ、悪い。もうちょっと早く気づけばよかった」
「え、ち、違うよ。葉月くんは悪くないよ。それに私が勝手に話してたんだから、気にしないでっ」
ここまで落胆されるとは思ってもみなかったユアは申し訳なさそうに謝ると、今度はそれに杏里が驚き、慌てて首を横に振る。
元はと言えば自分が寝坊したのが最大の原因なのだから、彼は一切悪くないのだ。とは言ったものの、どうすればいいのだろうか。今から行っても確実に間に合わない。
はぁ、とため息を洩らす杏里を見下ろしてから、同じようにしゃがんで視線の高さを合わせたユアは彼女に問いかけた。
「藍浦のとこは一時間目何なんだ?」
「え、えと、英語だけど……」
「その授業出ないといけねぇか?」
「………………?」
質問の意味が理解できず首を傾げていると、ユアはいたずらを考えついた子どものような笑みを浮かべた。
「別にいいんだったら、一緒に二時間目から行こうぜ」
その言葉に杏里はきょとんとしていたが、この際彼の誘いに乗ることにした。
授業を無断欠席することに罪悪感はあったが、今はユアと一緒にいたいという気持ちのほうが強かったのだ。



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