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それは数日前のことだった。
今でもどうして数回に分けて運ばなかったのかと、少し後悔している。しかしそれがきっかけで彼を知ったのだから後悔とは裏腹に少しよかったと思っている自分がいる。
担任の教師にプリントを教室まで運んでくれと頼まれ、結構な量を一人で運ぶ羽目になった。
その量、およそ分厚い本五、六冊はなるであろう。明らかに一人で、しかも一度に運べる量ではなかった。
それを彼女は何回かに分けて運ぶのは面倒だからと、一度に運んでしまったのが命取りとなった。
真っ黒なショートカットの髪の彼女は落とさないようによたよたとしながら慎重に少しずつ歩いていく。
しかし。
「わぁっ」
案の定プリントはバランスを保ち切れず、半分ほどを廊下にばら撒いてしまった。
「ど、どうしよう………」
両手にはプリントが半分抱えられている。通り過ぎていく生徒は見て見ぬ振り。
少女はほうと息を吐き出し、それをどう拾おうかと思案していると、呆れた風情の声が背後からかけられた。
「そんな量いっきに持ってこうとするからだろ」
振り返ると声と同じ呆れた顔をした男子生徒が立っていた。若草色の髪に蒼い瞳が印象的な少年だ。
確か友人のクラスに転入してきた生徒だ。
彼は廊下に散乱しているプリントを拾うと、一度彼女が抱えている残りのプリントの上に置く。そしてその上から半分より多めに取った。
「行き先一緒みたいだし、持ってってやるよ」
「え、そんな悪いよ」
少年の行動を呆気に取られて見ていた少女だが、すぐに首を横に振る。
拾ってくれた上に半分以上を彼に持たせるのはすごく気が引けて、大変申し訳ない。
しかし少年は逆に困った顔をした。
「お前絶対また落とすだろ」
「……う」
それは否定できない。
詰まってしまった彼女が可笑しくてくすりと笑った少年はさっさと歩き出してしまった。
そのあとを駆け足になりながら追いかけると、ふいに彼が話しかけてきた。
「で、これはどこに持って行けばいいんだ?」
「あ、三組の教室。……ごめんね」
しょぼんと肩を落とした少女を横目で一瞥し、少年は気にするな、と呟いた。
それから彼女のクラスに到着した二人は教卓の上にプリントを乗せる。
「あ、ありがとう。本当に助かったよ」
「ああ。じゃあ、俺は戻るからな」
見上げてくる彼女の綺麗な黒い瞳を見下ろすが、すぐに逸らされる。
しかしそれには別段気にした様子もなく、彼は苦笑を浮かべると教室を出て行った。
それからだ。ずっと彼のことが気にかかる。
初めはわからなかった。どうしてこんなにも彼の姿を追ってしまうのだろうか、と。
でもそれが好きだという気持ちであることを知った。
杏里はベッドの上に突っ伏して倒れ込み、ほうと息を吐いて肩の力を抜く。
自分に自信があるわけではない。友人のように積極的な性格でもないし、要領が悪くていつも失敗ばかりする。そんな自分が嫌いなのだ。
今まで異性と関わることはなかった。だからそれが一層彼女を不安にさせる。
「………でも、今日は普通に話せてよかった」
いつもなら緊張のあまり支離滅裂としている会話が、今日は少なからずまともであったと思う。
杏里は起き上がり、クッションを抱きながら頼りない笑みを浮かべる。
あみとクロカも応援してくれている。だからたとえこの恋が実らなくても、精一杯やるだけのことはやりたい。後悔がないように。
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