≫ No.6

12 : 第十二話




☆☆☆
朝から早々にクラスにはクロカの怒号が轟いた。
「あーいーつー!!またサボったわねぇっ!!」
朝礼が済んでからも一向に姿を見せない仲間に彼女は憤然と島崎に詰め寄る。
さすがの彼もクロカの険悪な雰囲気には後退ってしまう。
「どうして、どうして引っ張ってでも連れて来なかったのよっ」
ついには怒りの矛先が彼に向く。
「…………」
そうは言っても彼としても立派な言い分があるのだ。二時間目からちゃんと行くと何度も念を押された挙句、勝手に出て行ったのだ。不可抗力である。
しかし基本が真面目なクロカとしては、ユアの行動はこの上もなく許しがたく、島崎にはただ単に八つ当たりだということも承知している。
「せっかく行かせてもらってるのに、これじゃあ意味ないじゃないのっ」
もともと彼は行く気がなかったにしろ、行くと決めたからには最後まできちんとしてほしいものだ。
「ああもうっ、腹立つ!」
考えれば考えるほど怒りがこみ上げてくる。
その様子を見かねた藤が柔らかい口調でなだめに入る。
「まぁまぁ、とりあえず落ち着こうぜ、クロカちゃん。ユアもきっとその辺のことはわかってるって」
しかし。
「それでも一日一時間ずつサボってたら一週間で五時間も無駄にしてるのよ!?一ヶ月で十二時間じゃないのっ」
「お、おう、そうだな……」
たしかに、正論だ。
あっさりと言い返された藤は、しかし次の言葉が思いつかず、おとなしくなった。
クロカの言い分にも一理あるし、ユアの行動は望ましいことではない。しかし相手は何せ勉強嫌いなのだから、仕方がないと言えば仕方がない。
今の島崎でも彼女に口で勝つことは困難だろう。このままでは手がつけられなくなってしまう。
そう思っていたところにクラスメイトがずずっと割って入ってきた。
「放っておけばいいじゃない。葉月くんだってそんなに子どもじゃないんだし、霜月意識しすぎよ」
その声に三人の視線が一斉にそちらに向いた。
そこには呆れた表情のあみが立っていて、いつもどおり右耳の後ろで一つに括ったこげ茶色髪を後ろに跳ね除ける。
クロカとユアがケンカしているときに止めるのは島崎の役目だが、彼女一人だとあみが一番効果的なのかもしれない。
でも、とそれでも言い募ろうとするクロカをなだめて、あみは全く違う話題を持ち出した。
「そんなことよりさ」
「………何?」
その一言で彼女の勢いが止まったことに藤は隣にいる島崎に小声で話しかける。
「あみちゃんすげぇ……あのクロカちゃんをそんなこと、で止めちゃったよ」
なんというか、強い。
それは島崎も思っていたことだが、口に出すようなことはせず二人の話の行方を眺める。
「で、どうしたの?」
「それが杏里もまだ来てないみたいなのよ。いつもなら十分前くらいにはいるはずなのに」
「……休みっていうこと?」
彼女の話にはさすがのクロカも驚いた。
来ていないのならば休みなのでは、と考えたクロカはそう問いかけるが、あみは首を横に振った。
「休むときは休むって連絡してくれるから、それはたぶんないと思う」
二人が出会ったのは小学校のときだった。友達になってからは片方が休む場合には必ず連絡をしていたのだが、まさか今日に限って連絡を忘れたなんて事はないはずだ。
しかしそれも一概には言えないことだ。
うーん、と唸っていると、藤はふと何かを思い出して手をぽんと打ち合わせた。
「そういえば杏里ちゃんとこって両親共働きだったよね」
誰に聞いたかは忘れてしまったが、たしかそんなことを聞いた覚えがある。
あみは藤を見上げてそうよと頷くが、心配なのか彼女の表情には少し翳が差していた。
「大丈夫っしょ。ただの寝坊かもしれないし、そんなに深刻にならなくてもいいんじゃね?」
なんだかんだとあみは杏里のことをいつも気にかけている。
それはクロカも知っているし、最近話すようになった藤も少なからず知っていることだ。
藤はにこりと笑うと、少し気持ちが楽になったらしいあみが笑い返す。
「そうね、遅れてくるのかも。一時間目が終わったらまた見に行ってみるわ」
最後に礼を付け加え、あみはほっとした様子で自分の席についた。
今の時刻は八時三十五分。もうすぐ一時間目が始まる。



☆☆☆
彼らが通う学校は街に隣接している小高い山の麓にある。その小さい山の中腹には広場が設けられていて、街から歩いて三十分もかからない。
その広場に移動した二人は、そこから眺められる街を見下ろしていた。
街自体が海に面しているので、海から吹きぬける潮風がいい具合に涼しくて心地よい。白界にも似たような場所があり、そこがお気に入りであるユアにとってもこの広場は絶好の場所である。
ユアは嫌な授業があったり、面倒なときはたいていこの場所に移動している。初めは屋上にいたり、人気のない木陰で時間が過ぎるのをのんびりとしながら待っていたのだが、、最近は校内にいれば見つかってしまうのだ。
身軽な彼にとっては学校を抜け出すことは造作もないので、こうして学校の敷地外に出てきては授業が終わるのを見計らっているのである。
「私こんなとこがあるなんて知らなかった。よく見つけたね」
生まれてから十五年間ずっとこの街に住んでいる杏里だが、こんな場所があるとは知らなかった。
珍しい様子で瞳を輝かせながら、街を見下ろしている。その姿を横目で見てユアは嬉しそうに笑った。
これほどまでに喜んでもらえるとは思わなかった。
ここならば人気はないし、授業をサボるにはいい。
そうして杏里はふいに真下を見下ろした。そこには学校の校舎が垣間見える。
連絡をしていなかったので、おそらく親友は今頃心配していることだろう。それが少し彼女の心を締め付ける。
そんなことを考えていた杏里は、ふいに呟かれた言葉に反射的にユアのほうを見る。
「俺は人混みが嫌いだから、こういうとこのほうが落ち着く」
今まで街のほうを見ていた彼はくるりと向きを変え、木でできた柵にもたれかかる。
杏里は不思議そうな顔をした。
「意外だね。なんか葉月くんは人が集まるところに行ってそうなイメージだけど」
というよりは人がユアに寄ってくるような、中心にいそうな感じだ。
ありのままの意見を言うと、ユアはくすりを笑った。
「そう言われたのは初めてだ」
「ごめん、気に障ったかな………」
「いや、そんなことねぇよ。俺の知ってるヤツが住んでたところで嫌われてて…………、だからつい全部を一緒くたに見てしまう」
全員が彼女を嫌っているわけではない。しかしそれでも人間でもファイネルでもいつも同じに見てしまう。彼女を嫌っていると。
無意識なのか、ユアの表情が強張った。それを杏里は見逃さなかった。
「女のひと?」
ふいに尋ねてしまった。どうして尋ねてしまったのだろう、と後悔することになるのに。
ユアは彼女を見返して、こくりと頷いた。
「俺より一つ年下だけどな。藍浦に似てる」
「そ、そうなんだ………」
聞かなければよかった。聞かなければ、もう少し希望が持てた。
彼が話すその子は、きっと彼にとって大切なひとに違いない。それだけは確信が持てた。
そしてそう思った瞬間に、心の奥で何かが軋む音が聞こえた気がした。
急に胸が苦しくなる。それでも杏里はこればからは顔には出さなかった。必死に押さえ込んだ。
「……私その子と仲良くなれるかな」
極力感情が表に出ないように、努めて明るく、杏里は嘘を言った。
ユアは予想外な彼女の言葉にその瞳を見下ろして、やがて優しい笑みを浮かべる。
「絶対気が合うと思う。会ったら仲良くしてやって」
「うん、そうするね」
わかっていた。
自分に大切なひとがいるのだから、彼にだって大切なひとはいる。
わかっていたはずなのに、やはりわかっていなかったのだ。
でも今はもう少しこのままの関係でいたい。彼が誰を好きであろうと、自分が彼を好きであることには代わりはない。
それにまだ彼がその子を好きであるという証拠はない。だから彼の本当の気持ちが知りたい。
それがもしも自分の傷をより深いものにするのであっても。



第十二話 おわり



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