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12 : 第十二話




「ユアっ、あんたまた授業サボったでしょっ!!」
教室に入った彼を待ち受けていたのは両手を腰に当てて、仁王立ち状態のクロカだった。
そしてそれと同時に室内に響き渡った彼女の怒号。教室にいる誰もが何事かと二人を振り返るが、すぐにいつものことだと視線を逸らす。巻き込まれたくないからだ。
しかし当の本人は至って普通の態度だ。相手の様子など全く気にもせず、鬱陶しそうな視線を向けている。
「別にお前に迷惑かけてねぇし、関係ねぇだろ、てか、俺あいつ嫌いだし」
ふいとそっぽを向き、自分の行動を改める気は毛頭ない。
ちなみに彼が言っているあいつ、というのは、先ほど授業であった数学の教師のことだ。彼は数字の計算というのがとことん苦手で、それゆえに参加していても授業を受ける気まったくなし、な上に爆睡していることもしょっちゅうなので、その教師には目をつけられている。
転入してきて早くも一ヶ月が経とうとしているが、ここ最近ユアは数学の授業に出席すらしなくなったのだ。
「それはあんたが悪いんでしょう。授業出ててもほとんど寝てるし、先生と言い争いはするし、突っ撥ねるし、全くやる気ないし、配られるプリントは全部白紙だし、宿題してこないし」
ひとつひとつ挙げていってもまったく切りがない。
「………うるせぇ」
「なんですって!?」
鬱陶しくいちいち欠点を挙げてくる彼女にユアは心底面倒くさそうに呟くと、それにクロカは激怒した。
「だいたい、あんな数字ばっかりの授業受けて何になるってんだよ。むしろ勉強なんてできなくても生きていける」
「必要だから授業に組み込まれてるんでしょうっ?そんなこともわからないのっ。前から知ってたけど、ここまで馬鹿だったとはね」
「はぁ!?馬鹿に馬鹿って言われたくねぇよっ」
「なんですってっ。あんたに馬鹿って言われたら終わりね、馬鹿!!」
「いくら頭良くても思考が子どもなら同じだ、馬鹿!!」
お互いにだんだんと歯止めが利かなくなり、エスカレートしていく。クラス中の視線が二人に注がれているが、二人は気にした様子もなく、激しく口撃をし合っている。
島崎は頭を抱えて、深いため息を吐き出した。若干苛立ちが含まれていることを藤は気づいていた。
「いい加減にしろっ。目障りだ」
表情には出さないが、明らかに語気は苛立っている。藤が感じたものは間違いではなかったようだ。
そして島崎は言葉と同時に容赦なく彼らの頭を後ろから盛大に押し付けた。
睨み合っている体勢だったので、突然抵抗する間もなくお互いの額が派手にぶつかり、それと同時に痛そうなごんという鈍い音も響いた。
二人はあまりの衝撃にずるずるとしゃがみ込み、打ちつけた額を両手で押さえる。
痛い。これは相当に痛い。
目の前に星がいくつも回っていて、頭がくらくらとする。
「二人とも十分馬鹿だから心配するな」
そして最後に放たれたきつい一言だが、二人からの返答はない。
その様子に藤は悟った。これは苛立っているという次元ではないことを。
心なしか島崎の言葉の端々に棘が見られるのは、相当怒っている。これはここで冗談なんか言えない。
代わりに藤はしゃがみ込んで肩を震わせているクロカの隣に同じようにしゃがんで、おそるおそるその顔を覗き込む。
「痛かった?」
毎回毎回見ているほうも実に痛々しく思う。しょっちゅう島崎を苛立たせている自分でさえ叩かれたりはしていないが、彼のケンカを止める手段は日に日に荒くなっていっているのはもう気のせいではないはずだ。
クロカは少し痛みが引くのを待ってからがばりと顔を上げた。
「痛くないわけないでしょう………。もう、どれだけ石頭なのよ」
「そっくりそのままお前に返す」
ユアのせいだと言外に告げられてさしもの彼も反論するが、相当痛かったのか二人に破棄がない。
どうして一日に最低一回はケンカをしないと気が済まないのだろうか。その辺りが実に理解し難い。
互いに仲が悪いのなら関わらなければいいものを、どうして干渉するのだ。
いったいどうしたものか。
未だ睨み合っている二人を見下ろして、そんな埒もないことを考えながら島崎はもう一度息を吐き出した。
するとそこに二人の女子生徒が近づいてきた。
「またやってるの?ほんと、毎日飽きないねぇ、霜月」
「私は悪くないわよ。いつも突っかかってくるのはユアだもの」
ふいに背後からかけられた呆れた声に動じるふうもなく、立ち上がったクロカは心外だと言わんばかりに口を尖らせる。
その言い草に原因とされた当人が文句を言っていたが、それはきっぱりと無視をする。
「まぁ、そんなことは置いといて、ごはんにしましょ」
買ってきたパンが入った袋を見せるように彼女はにこりと笑う。
クロカにとってはけっこうな問題なのだが、彼女にかかればそんなこと扱いだ。なんというかマイペースな人だ。
「まったく、相変わらずね。高松」
彼女の性格には苦笑しか出てこない。
転校してきて最初に声をかけてくれたクラスメイトが高松あみだった。他にも声をかけてくれたり、親しくしてくれたり、いろいろと気を遣ってくれるのだが、一番気が合うのかクロカはあみと行動することのほうが多かった。そして元々あみと行動していた杏里とも話すようになって、今では何かとこの二人と一緒に居ることが多い。
あみは自分の席に座ると、杏里とクロカも近くの席を借りて腰を下ろす。
「うっわ、俺ら完璧眼中なし」
完全に女子三人の世界に入ってしまった様子を見て、藤は残念そうに肩を落とす。
下心が見え見えの彼に島崎は胡乱げに眉をひそめて距離を置いた。
「俺ら?お前だけだろ、そう思ってるの。そんなにしゃべりたければ入ってくればいいだろ。あの中に」
ため息混じりに言われた予想だにしなかった返答に藤はわざとらしく驚いた顔をする。
「ひっど、俺は島崎が一番の親友だと思ってるのに。てかもう2コ1じゃね?」
「……意味わからん」
泣き真似までする藤についていけない島崎は横目で彼を一瞥をくれてからさらに距離を置いた。
何が2コ1だ。だいたい当初の話が摩り替わっているだろう。
心の中でそう呟くが、面倒は御免なので口には出さない。
さらに昔話まで持ち出している藤を尻目に島崎はユアを省みる。
ああいうタイプに一番効果的なのが放置だ。
「俺たちも飯にするか、ユア」
「ん?ああ、そうだな」
ユアは島崎を見上げてから熱弁している藤に視線を移し、それからまた島崎に戻してから頷いた。
そして二人は教室を出て行く。
「え、ちょ………置いてくなよーっ」
一人でしゃべって盛り上がっていた藤はようやく誰もいないことに気づき、慌てて教室を出て行った。
「賑やかね」
パンをかじりながら男共が去っていった方を見てから、あみは友人をちらと一瞥する。
杏里は無意識にか、見えなくなった彼らの姿をじっと見ていた。
「そんなに影から見てるくらいなら、いっそ声かけたらどう?」
何気なく呟いたあみの言葉に驚いた杏里は血相を変えた。
「ちょ、ちょっとあみっ」
何もここで言わなくてもいいのに。
慌てて彼女の口を押さえるが、時はすでに遅い。
こっそりとクロカを見ると、彼女はにこりと笑ってくれた。それが逆に怖かった。
「………」
もう後戻りができない。
杏里は泣きそうになった。しかしクロカは別段笑うことなどせず、妙に真剣な瞳をしている。
「藍浦、好きな人いるんだ。誰なの?」
恋愛話には苦手なクロカではあるが、それが友人であれば話は別だ。
「え……えっと………」
自分から言うのは恥ずかしいものだ。
クロカも友達なので、知られてしまった以上は言ってしまいたいが、恥ずかしくて言えない。
頬を赤らめて言いよどむ彼女を窺い、見かねたクロカは唇に指を当てて考える素振りをする。
確か杏里が見ていた先は。
「島崎くん?」
杏里が見ていたのはあの三人だった。その中で一番可能性があるのは彼だが。
「え、違うよ……」
「じゃあ藤くんだ?」
「違う………」
あの三人の中では藤も有力候補なはずだが、二人とも違ったようだ。
慌てている様子も不自然さもないので、嘘は言っていないと思う。となると、残りは。
「………………ユア」
瞬間、杏里の頬が先ほどよりもさらに赤くなった。
さすがのクロカも驚きを隠せず、固まっている。
「えぇっ、なんでっ?なんでユア!?」
いやいや。島崎や藤ならわかる気がするし、ありえなくないが………どうしてよりによってユア。彼女にはまったく理解できない。
そうしてクロカは仲間の姿を思い起こす。
確かに身体能力、運動神経ともに抜群だが、長所を挙げていっても彼を好きになる要素は何一つない。
「だって、あいつ馬鹿なのよ?この上なく頭悪いし」
本人が聞いていれば、馬鹿で頭悪いのはお前だと怒気を露にケンカが勃発するところだろうが、今はいないので気にも留めない。
「や、優しいよ。葉月くん」
「別に藍浦を疑ったわけじゃないの。ごめんなさい」
いくらなんでも好きだと言っている人の前でその相手を悪く言うのは考えものだ。
反論してきた杏里に落ち着くよう言って、クロカは自分の失言を詫びる。
でも少し考えを変えてみると案外いい機会かもしれない。
クロカはそんなことを考えていると、杏里がふと小さく呟いた。
「クロカちゃんって、葉月くんと仲良いよね」
本当に何気なく言った言葉だった。
現に二人の様子を見ていると羨ましく思うこともある。自分もこれほどまでに思い切って話しかけられたらいいのに。
自分に嘘をつかずにお互いに気持ちをぶつけられたらどんなにいいことか。
しかしそういう考えを持っていないクロカは彼女の発言に嫌そうな顔をした。
「やめてよー。てか誤解しないで、仲良くなんかないから」
まさかそう捉えているとは思ってもみなかったが、それ以前に落ち込んでいる杏里に気遣ったのだ。
ここで誤解をされては困る。大いに困る。
「とにかく応援するし、やれるだけのことはやってみましょ」
彼女の恋が実る確率は極めて低いが、相愛になるだけがいい結果ではないはずだ。
頑張りましょ、とクロカはにこりと笑って、杏里の肩をぽんと軽く叩いた。
「でも私何をすればいいか、わからないよ?」
応援してくれるのはいいが、引っ込み思案な自分は同性でもなかなか話しかけられない性格なのに、ましてや異性ともなると、接し方がわからない。
それに相手は初恋なのだから勝手がわからない。
「う〜ん、そうね。まずは話しかけるところからね。話さないことには始まらないし」
自信ありげのあみは人差し指を立て、そう提案を出す。
何事にもまずは自分のことを相手に認識させないといけないのだ。
「う、うん、わかった。自信ないけどがんばってみる」
「その意気よ。じゃあ今日のお礼にでも行ってみたら?」
「う、うん。そ、そうだね」
今すぐに、というわけでもないのに考えただけで心臓がばくばくと速くなっている。
その様子にあみとクロカは大いに心配になってきた。
大丈夫だろうか。しかしこればかりは手伝ってはやれない。杏里が自分で頑張らないと。
杏里は深呼吸を繰り返して心臓をなだめ、乾いた喉を麦茶で潤す。



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