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12 : 第十二話




第十二話 「恋をする気持ち 前編」



ひとを好きになることってどういうことなのだろう。
ずっとずっと前に小説を読んだ。そこに登場してくる女の子はある男の子を好きになる。どこにでもある始まりの仕方だった。
内容はほとんど覚えていないけど、でも主人公の女の子は結局好きになった男の子とは結ばれなかった。ただ唯一それだけが記憶に残っている。とても印象的だった。
そしてそのとき初めて全部が全部ハッピーエンドになるわけではないことを知った。
でも自分は今までに恋などしたことないし、おそらく好きなひとができたとしても完璧なハッピーエンドはいらない。

そう思っていた。そしてそれと同時にそれはただ単に綺麗事を言っていただけだったということを思い知らされた。
あの日に全てを知った。



彼に出会ったのはいつ頃だっただろうか。
それほど遠くはない過去だ。
初めて出会った彼は優しくて、こんな私を助けてくれた。
それが始まりであったのだ。



この学校の昼休みは四十分ある。
校内で一番人気がある場所が食堂で、そこのおばさんが作るものは何でも美味しいという評判である。その次が購買の手作りパン。
四時間目が終わると同時にクラスの男子たちは競争をしながら一目散に購買へ駆け出し、五分もしないうちにその前には人だかりができてすぐに売切れてしまう。育ち盛りの男子だと四、五個は確実に余裕で購入していくので、なおさら早い。
だから急ぐ気持ちはわかるが、放っていくのはいささかひどいと思う。
今日はパンだからと友人に言われたので、終了のベルと同時に彼女のクラスに向かったのに当の本人はすでに教室にはいなかった。
短く切った黒髪を揺らし、同じく黒い瞳の少女は友人に追いつくべく、半ば階段を駆け下りる。
「あ」 ちょうど踊り場に自分の見知った背中が見えた。くせのあるこげ茶色の髪を耳の後ろでひとつに束ねているのは友人に違いない。
少女は友人に向かって呼び止めようとした、刹那。
「あみ…っきゃ……」
自分の足に蹴躓いてしまった彼女は前のめりに倒れ込んだ。
「………!杏里!?」 聞き慣れた声に後ろを振り返ったあみは目の前で起こっていることに瞠目した。
杏里は親友の緊迫した叫び声が聞こえたが、それはすぐに耳を通り抜ける。全てがスローモーションのようだ。
動揺のあまり身動きが取れずにただ見ているだけしかできないあみの隣を、その時誰かがすっと通り抜けていった。
杏里は衝撃に備えて固く目を閉じる。
しかし予想していたものとはまったく別の感触が自分を包み込んだ。
「杏里っ」
もう一度自分を呼ぶあみの声が聞こえた。
それにはっとなって我に返った杏里はゆっくりと目を開けて見上げる。間近に少年の顔があり、彼女は文字通り飛び上がった。
「大丈夫か?」
「ご、ご、ごめんなさいっ!!」
微かに首を傾げて容態を尋ねてくる少年の声を遮り、慌てて離れると深く深く頭を下げて謝る。
若草色の髪に海をそのまま溶かし込んだような綺麗な瞳の少年は別段怒った様子もなく、むしろ彼女の謝り方に苦笑を浮かべていた。
そんな二人にあみも駆けつけてきて、ほうと肩を落とした。
「お前、ほんと危なっかしいヤツだな。気をつけろよ」
少年は軽く杏里の肩を叩くと、階段を上っていこうとする。
「あ、ありがとう」
その後ろ姿にもう一度礼を言うと、彼は後ろ手に手を振った。
彼の姿が見えなくなるまで見ていた杏里はやがてほうと息を吐き出し、肩の力を抜いた。
まだ驚いた衝撃で心臓が大きく脈打っている。寿命が縮んだ気がした。
「………また助けられちゃった。どうしていつもこうなんだろ……」
いつも他人の迷惑にならないように頑張っているつもりなのに、少し落ち着いたかと思うとすぐにこの有り様だ。
そんな自分が嫌になる。
気落ちしている彼女を横目で見ていたあみは何とも言えない表情をする。
落ち込むのも無理はない。いつも見てきたのだから。彼女の悩みは自分がよく知っている。
しかしそれに同情をすると杏里はさらに気を遣うので、あみは話題を変えるために意味ありげな笑みを浮かべた。
「本当は助けてもらって嬉しいんでしょー。顔、にやけてますけどー」
「へ?え、な、何言って……別ににやけてなんかないよっ」
わざとらしい口調で言うと、杏里は必死になって力強く否定する。
頬を朱色に染めて怒った仕草をするが、彼女の顔には興味津々といった感情が窺える。
「まぁまぁ、その話はあとでゆっくりするとして、とりあえず購買に行きましょ。売り切れちゃうから」
「……………うん」
あの顔はもう逃げられない。
杏里は嬉しそうに誘うあみに続いて、今度は注意しながら階段を下りていった。



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