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11 : 第十一話




同時刻より少し前。
いつもどおりに起床し、片割れを起こしてリビングに下りていった浩輔に母親の真弓は綺麗な笑みを浮かべた。
「そういえばフィアナちゃんが、用事があるから先に行くって言ってたわ」
三十分ほど前のことだ。
少し慌てたふうのフィアナは制服を着て出て行ったのだ。
「……用事?」
彼女の言葉を反復し、訝しげに顔をしかめる。
用事。
テーブルにつきながら昨日のことを思い返してみるが、別段思い当たる節はない。
渋い顔で記憶を手繰っていると、真弓が朝食を運んできてくれた。今日の朝食はサンドイッチのようだ。
余計なことをしていなければいいのだが。
浩輔は肩をすくめ、サンドイッチをかじった。
そうしていると台所の入り口から間の抜けた洋輔の声が聞こえてきた。
「…おはよー……」
浩輔が下りてくる前に叩き起こしてきたのだが、あれから寝なかったのは非常に珍しい。
「おはよう、洋輔」
しかし寝惚けているらしくふらふらと覚束無い足取りで入ってくる息子に、真弓は微笑みながら席についた彼の目の前にサンドイッチが乗った皿とココアを出す。
「いただきまーす……」
未だ相当眠たいらしく、半分目が閉じている状態でサンドイッチに口をつける。
その様子を呆れて見ていた浩輔は彼に構っている暇はないと判断すると、さっさと朝食を済ませ、食器をまとめて立ち上がった。
「洋輔、早く食えよ」
そして片割れを振り返り、一言念を押した。
食事をするのはおそらく早いほうなのだ。いや実際自分よりは食べるのが早い。しかし朝は油断するといつの間にかテーブルに突っ伏して寝息を立てていたりするので、早く起こしたとしても結局は遅刻間際か、運悪くばっちり遅刻決定な日もある。
最悪の場合は一緒に遅刻するので、とばっちりとして浩輔も同様に呼び出しを食わされるので、本当にやめてほしいと心底思っている。なのに、彼はいつも何事もなかったようにけろっとしている。
洋輔は弟の言葉にココアが入ったカップを口につけたまま実に間抜けな返事をした。


ようやく家を出たのは八時少し前だった。
案の定今日も洋輔は朝食中に居眠りをし、挙句の果てには食べかけのパンと顔が衝突してそのせいでパンが可哀想にぺちゃんこになっていた。しかし今日は遅刻しなくてよさそうだ。
自分ひとりならもう少し余裕を持って出られるのに、と一生叶わない願いを埒もなく考えてみたりする。
いつものように洋輔の他愛のない話を聞き流していた浩輔はふいに兄が言った言葉に視線を彼に向ける。
「フィアナちゃんいなかったね。どこ行ったんだろ。セノトもいなかったし」
「……さぁ」
何も知らされていないのだから自分にわかるはずはない。
浩輔はそう返しながら眉間に皺を寄せる。
なんで出かけるなら出かけるって一言言わないんだ。そりゃ、あいつの目的が人探しだから出て行くこともあるだろうけど。
なぜか心がざわつく。妙に腹が立って非常に面白くない。
そんな感想を抱いていると、はたと何かに気づいて頭を振る。
何を怒っているのだ。別にフィアナがどこで何をしようと自分には関係ない。
極力自分に危害が及ばなければいいのだ。そう、面倒なことさえ起こしてくれなければ。
急に黙り込んで何かをぶつぶつ呟いている浩輔を横目で一瞥した洋輔はくすりと笑みを浮かべるが、別段何かを言うようなことはしなかった。
そうしていると、どこからか小さいながらも浩輔を呼ぶ声が聞こえたような気がして、二人は立ち止まる。
「……今、声しなかった?」
「僕も聞こえたよ」
互いに顔を見合わせていると、もう一度声が聞こえてきた。
「……うすけー。浩輔ー」
次第に大きくなってくる聞き覚えのある声に浩輔は前方に目を凝らす。
人影がこちらに向かって走ってくる。
そして彼はそのまま我が目を疑った。
「え、フィアナ?」
制服姿の少女が駆け足で近づいてきて、その後ろをセノトが余裕な様子で歩いてくる。そんな彼も制服を着ていて、浩輔は目を瞠る。
「な、なんでセノトまで制服着て……」
合流した二人を交互に見て、最後に自分より長身のセノトの瞳を見上げる。
彼は腰をゆうに越える黒髪を高く結い上げ、自分たちと同じ制服に身を包んでいた。
呟く浩輔の脳内で無意識にある仮定た過ぎった。というより勘だ。
そしてこういうときの自分の勘の良さは自分が良く知っている。
肩を落とす彼の気持ちも知らずにセノトは追い打ちをかけた。
「俺たちも学校に行くことになった。今日転校するようになってるはずだ」
そう。こういう厄介事の勘は的中するんだ。
「……たちっていうことは…………」
「ユアたちもだよ。わたしも行くの」
語尾にハートがついてても可笑しくない可愛らしい仕草で、フィアナは花のように微笑む。
しかし浩輔は彼女の気分とは逆に頭を抱えたくなった。
これでは命がいくつあっても足りないじゃないか。
「そういうわけだからこれから頼むぞ、浩輔」
彼の心情が手に取るようにわかるセノトは微苦笑を浮かべて、その肩をぽんと叩いた。
おそらくセノトもこれから起こるであろう少年の苦労に気づいているのだろう。
楽しそうにするフィアナを見ても、駄目だ行くなとは言えない。
浩輔は悄然とため息を吐き出した。
「浩輔がんば☆」
洋輔にはすべてお見通しである。セノトとは反対の肩に彼は手を乗せて満面の笑みを浮かべる。
まるでこれからが楽しみだね、と心から楽しんでいるように。



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