≫ No.6

10 : 第十話




そして夕方になり、帰宅する守護神たちを家に送り届けてからファイネルたちは公園に集まっていた。途中でセノトとも合流し、事情の知らない彼は訝っていた。
クロカとユアは集まった理由を把握しているので、彼女の話が始まるのを待っている。
「あのね、わたし学校にいこうと思うの」
「……は?」
さすがに許容範囲を超えているらしく、セノトは思わず聞き返してしまった。
今日初めて行った学校は楽しそうで、制服を着ないといけないのだったら正式に学校に行きたい。それがフィアナの意見だった。
「それにね、藤くんたちが学校に行っている間はあまり行動できないし、これ以上不審な行動を取らないためにも通学したほうがいいんじゃないかって、私も思うわ」
理由を付け加えたクロカも学校に行くことに賛成の様子だ。
彼女の言うとおり、ユアとセノトは別にしたとしてもクロカとフィアナは守護神たちの何らかの知り合いで学校に行っていることになっている。多少動きが制限されるデメリットはあるにしても、彼女たち二人は学校に行っていたほうが、いろいろと言い訳は通用する。
「まぁ、セノトはあまり関係ないし、別に強制じゃないわ」
彼はもともと団体行動を取らないし、人ごみが苦手なことも知っている。
最後にそう付け加えて彼女は片目を閉じた。
「いいかな?セノト」
自分勝手な提案をしている自覚があるのか、フィアナはおずおずとセノトを見上げた。
その紅蓮の瞳を見下ろしてからしばし悩む素振りを見せる。
自分にはやらなければならないことと、約束したことがある。
ふいに二人の顔が脳裏に浮かんだ。
やらなければいけないこと。一刻も早く癒しの神気を見つけ出さなければならない。
そして約束したこと。
セノトの表情が微かに翳りを帯びたが、ほんの微かなもので仲間はそれに気づかない。
別段忘れていたわけではない。しかしできないことだと諦めていたことも事実だ。
親の都合で学校に行かせてもらえず、外にも満足に出してもらえなかった彼女と。
あの人との約束は今も心に刻まれている。

私の分まで生きるって約束して。無関心にならないでいろんなものを見て。きっと貴方も幸せになるから。

彼女と交わした最初で最後の約束。
あの人は学校を知らない。それは自分も同じことだ。なら今が彼女との約束を守るときなのだろう。
彼女の分まで学校というところを知るのだ。
「セノト?」
ふいに呼ばれた声にはっと我に返ったセノトはフィアナは見る。心配そうな面持ちの少女が自分を見上げていた。
気づけばクロカとユアの視線も自分に注がれている。
セノトは目を閉じた。
五十年も前のことなのに、あの人と過ごした思い出は鮮明に覚えている。
「わかった。俺も行く」
ほんの一瞬、彼の瞳が優しくなるが、それはすぐに掻き消えた。
「………………なんだ」
セノトの眉間に微かに皺が刻まれ、声が低くなる。
それは彼の様子に少なくともユアが何か珍しいものを見るような顔をしていたからだろう。
「だって、お前が自分から人の群れに入っていくなんて……」
珍しいにもほどがある。
失礼極まりない発言にセノトの柳眉がぴくりと反応するが、あくまでも冷静だった。
「なにか問題でもあるのか?」
それどころか素で尋ね返され、ユアは返す言葉もなく、なんでもないと首を振った。

これでいいんだろ、結那(ゆいな)。お前がやれなかったこと、俺がやってやる。

「それで具体的にどうするんだ?」
行きたい意志はわかったが、行きたいと言って行けるわけではない。その方法を彼らは知らないのだ。
しかしそれについては何か策があるらしく、クロカが片手を挙げて彼の視線を自分に向けさせる。
「許可が下りるかわからないけど、それに関しては長に相談してみるつもりよ。もしそれで無理なら諦めるしかないけど」
「長には俺が言っておく。白界と連絡が取れるの俺だけだし」
彼女の続きを引き継いでユアがそう名乗り出る。
彼の神気には攻撃の他に唯一特殊な能力を持っている。それが遠く離れた水同士を繋ぐことができ、会話ができるものだ。いわゆる人界でいう電話のような役割を持っている。
また、四人の中で他人と交信ができるのはユアとセノトだけだが、セノトの場合は神気の粒に自分の言葉を乗せて相手に伝えることしかできない。いわゆる手紙の役割になっている。
他にいい提案があるわけではないので、とりあえずユアに頼むしかない。
「なら、それほど心配はないな」
「ええ。じゃあ、決まったら夜にでも連絡をちょうだい」
おそらく長ならどうにかしてくれるだろう。
セノトとクロカはそれで納得し、フィアナはもうすでに行く気十分の様子だった。
「あとは俺がやっておくからお前ら先に帰っててもいいぞ」
フィアナとクロカはあまり遅くなると、居候させてもらっている家の家族に心配を掛ける。
「お言葉に甘えて先に帰るわ。じゃあね」
「ユア、ありがとう」
「…………」
各自ユアに伝えてから公園をあとにした。
一人残ったユアはほうと息を吐き出し、空を見上げた。
本当は学校になど行きたくない。フィアナは自分の目的を忘れているのか?いや、彼女に限ってそんなことはない。
そう思った瞬間、唐突に昔の記憶が甦った。
人間は別段赤い瞳を差別するようなことはないから心配することはないが、それでもついつい身構えてしまうのはもう条件反射なのだろう。
いつも一人でいた小さな少女。彼女が悪いわけではないのに、周りがそれを許さない。
初めはなんとも思わなかったのに、何度か見かけて関わっていくうちにだんだんと守りたいと思うようになった。そのときからだったのかもしれない。
人と関わるのを避けてきたのは。
今回もフィアナが学校に行くと言わなければ、行く気などさらさらなかった。別にフィアナの意志に反対しているわけではないが。
「まぁ、フィアが楽しんでるんならそれでいっか。…さて、そろそろ長に話つけるか」
たまには息抜きも大切だ。それにフィアナは以前から人間のことを知ろうとしている節があった。
力を借りるために守護神と、人間と関わろうとしている。
ユアは息を吐き出して気持ちを落ち着けると、ゆっくりと瞳を閉じた。
「”力を反響する水のしずく。水面に散らせ、其れを鏡と化せ。滄水鏡(そうすいきょう)”」
刹那、ぴちゃんとどこからともなく水の落ちる音が響いて木霊する。ついで地面がゆらりと大きく揺らぎ、彼を中心に波紋が広がる。まるで水の上に立っているかのようだ。
ユアの神呪が完成したと同時に、彼が作り出した別の空間に切り離されたのだ。
瞳を閉じたまま、彼は神経を研ぎ澄ませる。
「ユア?どうしたんだ?」
程なくして満ちた水の中から聞き慣れた声が聞こえてきた。少女のものより少しだけ低い声だ。
その人物は容易に想像ができ、半ば驚きながらユアは応じる。
「蓮呪か。長はいねぇのか?」
一応長の書斎に繋いだはずだが、予想外にそこには蓮呪しかいないようだ。
彼の水鏡は神気が含んだ水がある場所でならどこででも出現させることができる。白界の水には元から精霊の神気が宿っているから、何かあったときユアが通信できるように自分で長の書斎に置いていたのだ。
それを長も了承していたのだが、どうやらタイミングが悪かったようだ。
「長は今部屋にいるけど、呼んでこようか?」
今日は街での仕事が多く、思ったよりも長引いたようで白界を統べる主はただいま仮眠を摂っている。
報告やらなんやらは体力的にまだまだ余裕のある蓮呪が引き継いでやっているのだった。
尋ねてくる彼にユアは呼んできてもらえるように頼むと、蓮呪は快く了承してくれ、息を吐き出した。
「もう年なのに無茶して張り切るかなぁ」
「お前の無茶よりマシじゃ」
呟きながら肩をすくめる蓮呪に間髪入れない返答があった。それはユアにも筒抜けである。
今、書斎には誰もいないと決め付けていた彼はさすがに飛び上がり、後ろを振り返る。
「わ、長。寝てたんじゃ……」
「何を言っておる。仕事を放り出して何時間も寝ていられるか。それにわしはまだまだ元気じゃ」
失礼なことを言っている少年を横目でじとっと睨みつけ、彼の前にある淡い珠を見る。
「まぁまぁ、そう怒らないでよ。じゃあ俺は外に出てるから」
蓮呪はとりあえずその場を老人に任せると、話の邪魔にならないように部屋を出て行く。
そういうところは雨涅の教育がよく行き届いている。
その後ろ姿を見送って長は息を吐き出すと、居住まいを正して珠に向き直る。
「水皐か。今日また桜華が戻っていたそうじゃな、せわしい奴じゃ。それで、今度は何があった?」
「唐突で悪ぃんだけど、学校に行きたいんだ」
老人の問いかけにユアは即答で答え、四人で話し合ったことを的確に話す。
もともとはフィアナの提案だ。しかしその中でも一番驚いたのが。
「ほう、あの月露がのぅ。あやつも大分変わったな」
「セノトだけじゃねぇよ。フィアも変わった。俺から見たら、たぶんいいほうに」
ユアの声音が無意識のうちに柔らかくなった。
それに気づいた長は目許を和めせ、声に出して笑う。
四人とも何かしら変わってきている。
変わらない人などこの世には存在しないけど、その中でもいい方へと変わるのはとても望ましいことだ。
彼らはお互いを想い、支えあって成長している。ユアの言うようにいいほうへと。
「この際、人界のことを学ぶのも悪くないじゃろ。準備はしておく。明日杏癒(きょうゆ)に頼んで用意をさせる。二、三日はかかるがそれでもよいかの?」
「十分だ。じゃあ頼んだ」
ユアは満足な答えが得られ、ひとまず息を吐き出すと礼を言って水鏡を解こうとした。刹那、ふいに老人は彼を呼ぶ。
「水皐、前だけを見て突っ走るのはいいが、たまには立ち止まることも大切じゃぞ。お前の性格はわかっておる。だからこそもう少し周りを見ることも大事じゃ。お前は桜華を守るために水珠(すいじゅ)と契約したのじゃろ?それを忘れてはならぬぞ」
彼は他人よりわかりやすく、それゆえに純粋で一つのことに専念しすぎて周りが見えなくなる癖がある。本人もわかっているのだろうが、わかっていない部分もあるからいつまで経っても直らない。
彼の心が一番脆いのだ。フィアナが大切すぎるからこそ彼女を失うのが怖い。今の彼は無意識に彼女に縛られている。
老人は厳しい口調で諭す。
それを受け止めてユアは口を開く。
「わかってる。でも俺は…………いや、なんでもない。もう切っていいか?」
しかし思い留めて首を横に振る。
長は彼の思いを把握しながらも頷くと、彼はそれと同時に神気を解いた。
辺りは徐々にもとの夕焼けへと姿を戻し、その場は静寂に満ちる。
わかっている。でももうあんな思いはしたくない。あの子にあんな思いはさせたくない。
だから俺が強くならなければならないんだ。あの子を守れるように。
他の誰でもない、自分が。幼いあの子にそう誓ったのだ。
大切だから、この命に代えても守る。そう誓った。
そういえば、初めて彼女に会ったのはいつ頃だっただろうか。
ユアは近くにあったベンチに腰かけ、ぽつりと思い出す。
街で見かけたときは、正直関わりたいとは思わなかった。その頃は別段街の住人を嫌っていたわけではないし、普通に行き来をしていた。
だからあの頃はこうまでして、命を賭けてまで守りたいと思う存在になるとは思いもしなかった。
でもそれを後悔しているわけではない。これからもずっと彼女を守っていきたいと思っている。
ユアはふいに自嘲気味に笑みを浮かべる。
彼女は本当に自分よりも強い。どれほど傷ついても自分の決意に嘘はつかない。どれほど辛いことがあっても、少しずつでも前に進もうとする。
でも時々危なっかしいから自分が支えてやらないといけない。
老人の言うことは最もだ。でも今はそれを考えているときではない。闇の守護神である浩輔が力を貸してくれるようになった。これからが本番なのだから。
学校へ行くことは、ある意味息抜きになればいいと思う。彼女の心が少しでも落ち着けるように。
「さって、そろそろ戻るか」
だいぶ日も暮れてきた。
そろそろ帰らないと本気で心配させそうだ。
ユアは立ち上がると、公園をあとにした。



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