五人が学校に着いた頃には、すでに浩輔とユアは門前で息を切らして座り込んでいた。
ユアの怒りが落ち着いているということは、どうやら説得に成功したのだろう。
まったく朝からとんでもなく激しい運動をしてしまった。……二度とするものか。
死の追いかけっこが終わり、そう感じつつも浩輔は嘆息した。
「お疲れ、浩輔くん」
クロカは笑みを堪えながら彼の肩を叩く。
彼らは予想通りのことをするから面白い。
浩輔はまだ疾走している心臓をどうにかなだめ、立ち上がると大きく深呼吸をする。
「ほらほら、早く行こうよ。遅刻するよー」
「誰のせいだと思ってんだよっ」
相変わらずのマイペースぶりにさすがの浩輔も間髪入れずに不満を洩らす。
だいたい洋輔が余計なことを言わなければ、こんなことにはならなかったのだ。毎度毎度問題を起こしてくれるものだ。
「じゃあ、私たちはいつもどおり屋上にいるわ」
いつも守護神たちが学校に行っている間は、屋上で待機しているか、誰か一人が残ってあとは各自目的のために動いているのだった。
クロカの言葉に守護神たちは軽く頷くと、校門をくぐって構内に入っていく。
その後ろ姿を見送ったあと、三人は裏口へと回った。
彼らが通う学校には非常階段が屋上まで続いている。それを上っていくのだが、その前にフィアナが二人を制止させた。
「あ、ちょっと待って。わたしこれから白界に行こうと思うの」
突然の発言にユアとクロカは互いに顔を見合わせ、小首を傾げる。
それもそのはず。フィアナは昨日戻ってきたばかりなのだ。それなのにまた戻るということは何かあったのだろうか。
「着替え持ってこようと思って。浩輔に迷惑かけたくないから。それにあれをもらってこようと思うの」
最後の言葉には二人の表情も翳った。
フィアナは極力人界の人に迷惑をかけたくない。それは浩輔も例外ではない。
「まぁ、気をつけて行ってこいよ」
白界までの道のりに危険はない。あるとすれば街人の対応くらいだ。
一人で行かせるのには少し抵抗があるが、彼女なら大丈夫だろう。
珍しく素直に了承したユアをクロカは感心した風情で見ていたが、それは一瞬ですぐに視線を逸らす。
「ありがとう、ユア。じゃあ行ってくる。すぐに戻ってくるよ」
そう言ってフィアナは満面の笑みを彼に返し、小さく神呪を唱えた。
暖かな風が路地に吹き込み、彼女の肢体は桜の花に包まれて姿を消した。
そのあと、少しの間ユアは空を見上げていたが、やがて気は済んだのか屋上に上がっていった。
☆☆☆
瞳を開けるとそこは白界の中心都市から少し離れたところに建つ神殿だった。
昨日の今日で戻ると仲間が驚くだろうが、それも致し方ない。
フィアナは神殿の向こう側から吹き込んでくる潮風を感じながら、街に向かって足を踏み出すが、なぜか思い通りに足が動いてくれない。
その原因を彼女は知っていた。
立ち止まって大きく深呼吸をする。そうして自分の胸に手を当て、じっと精霊の存在を感じる。
必要以上に街へは赴かない。しかし必要なら街へ行かなければいかないし、そのときはいつも仲間が一緒にいてくれた。
昨日だってそうだ。隣には蓮呪がいて、浩輔もいてくれた。だから街人に何と言われようと平静を保っていられたのだ。
それが今は隣には誰もいない。でも一人ではないのも確かだ。
目には見えないが、レイカはずっと自分の傍にいてくれている。
ふいに桜の神気が強くなったことに、フィアナは気づいた。
次いでどこからともなく青年の声が聞こえてくる。
『怖いか?フィア姫』
短い問いかけだが、その意図は彼女にはよくわかり、フィアナは苦笑を浮かべた。
同じ身体にいるのだから、自分の考えは全てレイカに伝わってしまう。瞬間、少し恥ずかしく感じた。
「怖いのかな。みんなの視線がすごく怖い」
皆が自分を鋭い目で見てくる。それがすごく怖い。
うんと頷いて肯定した主人にレイカは薄く微笑を浮かべた。
『なら、俺を召喚しろ』
「……え?」
一瞬、彼が何を言い出すのか戸惑っていたフィアナだが、すぐに笑って頷いた。
「”桜に舞かれ、我に堕ちる全てのものを桜の華より夢へと誘え。力の全てを我の精霊へと託す 瞬桜李紗(しゅんおうりしゃ)”」
自分でも驚くほど気持ちが落ち着いてくる。
フィアナは最後の神呪を紡ぐ。
「”我の精霊よ、我が願いのもと具現化し、この言葉を代行しろ。桜珠召喚”」
精霊を呼び出す神呪が完成するとともに、フィアナの身体が仄かに桜色の光を発し始め、具現化した神気が人型を作っていく。
「姿が見えていたほうが、フィア姫も安心するだろ?」
自分より下にある彼女の瞳を見下ろし、微笑を浮かべる。
彼もまたフィアナの中から外界の様子を見ていた。仲間の隣にいることに安心感を抱く主も、契約したときから知っている。
「うん。ありがとう、レイカ」
フィアナも彼のぺリドットの瞳を見返し、笑い返す。
そうして二人は街へ向かって進み始め、神殿を後にした。
やはり街の住人たちの態度は変わらない。
皆が自分を避けていく。しかし今はレイカが隣にいてくれているから、まだ大丈夫だ。
大通りを進む二人は極力街人と関わらないようにしながら中枢建物へと進んでいく。
大通りの中心には広場が設けられていて、たくさんの道に枝分かれしている。西の村にいくための街道や、海へ下っていける畦道。この街から道が始まっているのだ。
そこに差し掛かった二人だが、ふいに感じた気配にレイカが立ち止まった。
「……?どうしたの、レイカ」
一拍遅れてフィアナも立ち止まってレイカを振り返り、彼の視線の先を見る。そしてその理由を知ることになる。
「あれ、フィアナとレイカ」
ちょうど蓮呪が西の街道からこちらに向かってくるところだった。
二人の姿を見つけて彼は目を丸くしている。
「どうしたんだ?昨日戻ったはずじゃ……」
いるはずのない仲間とその精霊がいることに心底不思議がる蓮呪は首を傾げる。
それにフィアナは少し困ったような笑みを口許に浮かべ、昨日人界でなされた話をレイカの補足を交えながら端的に話す。
さすがの蓮呪もそれには驚いた。
「た、大変だな、浩輔も」
なんというか不憫な奴だ。
怒られるのが怖いから帰るのが憂鬱だと言っていた少年の姿を思い出し、蓮呪は同時に殺気を醸し出す仲間の姿も思い起こす。
これから苦労しそうだ。
「で、着替えを取りに来たんだな」
「うん。あとあれも」
ふいにフィアナの笑顔が違ったことを蓮呪とレイカは見逃さなかった。
彼女が指し示すそれを彼らは知っている。
しかしそれをあえて言わず、蓮呪はうなずいた。
「とりあえず戻ろう。ちょうど俺も帰るところだったし」
三人はそのまま大通りを進んで中枢建物へと向かっていく。
白界を統べる長が管理する中枢建物には現在人はいなかった。中に入ると妙にしんとしていた。
「今みんな出払ってるからいないんだ」
「お仕事?」
中に入って階段に向かっている途中で、蓮呪は申し訳なさそうに言うときょとんとした様子でフィアナは尋ねる。
「長は街に出向いてて、雨涅は西の村に行ってる。俺も雨涅といっしょに行ってたんだけど、一足先に戻ってきたんだ」
白界に存在する街や村にはそこを統治する統領と呼ばれる人がいるが、最終の権力は長が持っている。ゆえに勝手な判断や行動はできないし、必要以上に権力を振りかざすこともできない。
統領と言っても普通の街人、村人と同じ生活をしている。
先ほどの広場から続く街道を西に進むと小さな村があり、そこで少し問題があったらしく、雨涅と蓮呪が出向いて調査していたのだ。
「お前も大変だな。あそこの村は毎年雨が少ないからな」
「さすが、よく知ってるな。地形かわからないけど、あの村は水の神気が行きにくいんだ」
レイカを見上げて、蓮呪はどうしたものかと肩をすくめる。
「ま、とにかく今は雨涅がどうにかしてくれてるし、問題はないはずだよ」
階段を上りきり、フィアナの部屋がある階に到着するとその踊り場でいったん立ち止まる。
「とりあえず取って来るから」
「うん、わたしは準備してくる」
そこで蓮呪は二人と分かれ、階段を上っていく。
「蓮呪はすごいね。長のお仕事ちゃんとやってて」
フィアナは自分の部屋に向かいながら後ろをついてきているレイカに話しかける。
彼と出会って六十年も経っていないが、闇の守護神が覚醒するまではともに生活をしていたので彼が何をやっているのか、しょっちゅう傍で見ていた。
情報を集めに街に下りたり、要請があればその土地に行って調査や手伝いをする。もしも自分の手に負えないものならば、詳しく調べて長に回す。蓮呪も少なからず街からの信頼を得ている。
だからすごいと思う。自分にはできないから尊敬する。
しかし仲間がそういうふうに活躍しているのは、フィアナにとっても非常に嬉しいことだ。自然に顔が笑みを作っている。
それを見て桜の精霊はくすりと笑う。
「あいつは意外に頭が良いからな。向いているのかもしれない。フィア姫にも得意なものがあるだろ?人それぞれだからあまり気にすることじゃない」
「うん、そうだね」
頭をくしゃりと撫でられ、くすぐったそうにしながら大きく頷く。
決して妬むようなことはしない。それは自分は自分で仲間は仲間だからと思っているから。皆それぞれ良いところがある。
フィアナは部屋の扉を開け、中に入るとそのあとをレイカが入り、彼は入り口で待つ。
クローゼットを開けて掛けられている服を五、六着取り出すとそれを鞄に詰めていき、そのほかにも必要になりそうなものも一緒に入れてボタンを閉める。
いつも洋服を畳んでくれるは地の精霊雨涅で、ピンクのリボンがついたリュックの中に詰め込んでいく彼女の様子を見ながらレイカは若干呆れていた。文字通り押し込んでいるのだった。
「よし、できた」
少女はリュックを背中に背負い、立ち上がってレイカを振り返る。
レイカはその背負われた小さいリュックがもとの大きさよりさらに一回り大きくなっていることに気づくと、ほうと息を吐き出した。
しかし何も言わずに頷くと、二人は廊下に出た。
ちょうどそこに蓮呪が戻ってきたところで、フィアナの前まで近づいてくる。
「はい。三回分あるから。使い捨てだから連続で使わないようにな」
言いながら彼は少女の小さな手のひらに白い箱を乗せる。
「ありがと、蓮呪」
フィアナはにっこりと笑みを浮かべると、その箱を鞄の中に仕舞う。服でいっぱいいっぱいなのにさらに入るわけがないが、それを彼女は無理矢理押し込んだ。
桜の精霊は呆れて見ていたが、別段口を挟むことはしなかった。
リュックを背負いなおし、少年の空色の瞳を見上げて可愛らしい笑みを浮かべる。
「じゃあ、わたしは人界に戻るね」
「ああ、気をつけてな」
最後にもう一度礼を言うと、フィアナとレイカは踵を返して階段を下りていった。
残された蓮呪は二人の姿が消えてから自分の部屋へと向かっていく。
行きに歩いた大通りを抜け、神殿に着くとフィアナはレイカを振り返る。
彼は神殿の入り口に立ってこちらを見ていた。
「ここまで来ればあとは大丈夫だな?」
一歩フィアナに近づき、そう問いかける。
それに彼女は自分のためにレイカが顕現してくれていたことを思い出し、慌てて頷く。
「もう大丈夫。ありがと、レイカ」
花が咲くように優しく笑う少女を桜珠も笑みを返す。
「フィア姫が契約を切るときまで傍にいて力を貸すと約束したからな。気にするな」
そう言うや否や桜の精霊は優しい光に戻ると、フィアナの身体に吸い込まれていき、辺りは沈黙が降りて波の音が静かに聞こえてきた。
フィアナは魔法陣の上に立ち、神呪を詠唱する。
ふわりと風が薙ぎ、一瞬のうちに姿を消した。
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