≫ No.3

10 : 第十話




学校への道のりはまず商店街を抜けなければならない上に、丘に位置している。とても不便な場所に敷地を構えているのだ。
通学路を進むにつれてようやくフィアナが覚醒し始めたのか、辺りを好奇心旺盛な様子で見回している。
他に比べて都会というわけではないが、少なくとも白界の街よりは活気があると思う。
それにフィアナにとっては珍しいものばかりだった。
「ねぇ、あのお店はもう開いてるんだね」
「……?」
ふいに立ち止まったフィアナに一歩遅れた浩輔も足を止めると、彼女の視線の先を見る。
「ああ、あれコンビニって言ってずっと開いてるんだ。昨日行ったでしょ?」
昨夜の花火を買いに皆で立ち寄ったところだが、フィアナは完全に忘れている様子だった。
彼女の観点から見れば、店というのは経営者とその家族が営んでいるもので、朝の九時頃になれば店が開いて夜の八時頃になれば閉まるのが普通なのだ。
それを覆すがごとく一日中、二十四時間開いている店というのは大変奇妙な光景なのだ。
しかしそれも住む世界が違うので仕方はない。
「そうなんだ。こんびに……」
小さく反復して呟くと、二人は再び歩き出した。
またきょろきょろと周りを見ている彼女を見て、浩輔は口許を緩める。
フィアナは人間のことを、たくさんのことを知ろうとしている。なのに、自分は知るのが怖かった。今の生活を望んで自ら先に進もうとはしなかった。
こうして何かに自ら進もうと思えるようになったのは、フィアナのおかげだ。だから彼女には感謝している。
それから少し歩くと、ようやく待ち合わせの場所に着いた。すでに藤とクロカは到着していて、二人が来たことに気づいている。
「遅くなってごめん、藤くん」
待ち合わせの時間より少し遅れ、待たせてしまったことに詫びると、藤は首を横に振ってにこりと笑う。
「俺らもさっき来たばっかだし。洋輔待つよりは全然」
そう言って苦笑を浮かべた。
「そうね。あの子待ってたらいつも遅刻間際だものね」
クロカも同意を示し、浩輔は小さく嘆息した。
確かに容易に想像がつく。自分が悪いわけではないのに、どうしてか申し訳なく思えてくる。
「とりあえずこれが制服ね。フィアちゃんだったらちょっと大きいかもしれないけど、もし大きかったらうちの母親が裾上げしてくれるって言ってたから」
はい、とフィアナに紙袋を差し出し、昨夜彼の母親と話していたことをそのまま浩輔に伝える。
「うん、ありがとう。ごめんね、急に言って」
「気にすんなって。どうせもう使わないしさ。ていうか、洋輔も無茶なこと考え付くよな。よくもまぁ、彼女とか発想が出てきたもんだな」
さすがの彼でもそこまで考えられない。
心底洋輔の柔軟性に富んだ思考力を尊敬する。しかもそれについても両親はあまり詮索してこなかった。
しかしそのおかげでいらない気遣いが増えた上に、いつも危険が隣り合わせにあるのだ。
それに釘を刺すかのように、クロカが止めを刺した。
「ユアが知ったらどうなるか知らないわよ。私的には速攻でバレると思うけど」
「……俺もそう思う」
浩輔は深い深いため息を吐き出した。
どうせ、洋輔が勝手に決めたといったところで、彼の怒りの矛先で変わるわけでもない。
「まぁ、とにかく学校に向かいましょ。バレるときはバレるわよ」
「……クロカちゃん、それ全然フォローになってないよ」
「あら、そう?まぁ、いいじゃない」
満面の笑みを浮かべて見せたクロカはそれ以上は応じず、さっさと踵を返して歩き出した。
そのあとを三人は次いで進み始めた。
自然に藤と浩輔が並ぶ形になり、その後ろをクロカとフィアナがついていく。少年たちの後ろに移動したのには理由があった。
クロカは隣をちょこちょこと小股で歩いている少女を横目で見下ろして、小さく口を開いた。
「フィアナ。あのことは話したの?」
短い問いであるが、その意図をフィアナは十分にわかっている。
彼女はうん、と頷くが、ふいに苦笑を浮かべた。
「一応話したよ。蓮呪にもいっしょに聞いてもらったの」
自分ひとりでは話せないと思ったから、ある程度知っている彼に同席を頼んだ。逃げられないようにするために。
しかし。
フィアナはクロカから視線を逸らして、若干俯き加減になる。
「でも最後まで話せなかった。話せると思ったけど」
あの光景は今でも鮮明に思い出せる。昨日のようにくっきりと。
泣かないと決めていた。リオナと会えるまで、決して泣かないと決めていたのだ。
それなのに、涙に詰まって喉が凍りついたように言葉が発せなかった。
視線を上げた彼女はもう一度クロカのオレンジ色の瞳を見る。
「蓮呪はよくがんばったってゆってくれたけど、やっぱり最後まで話せなかったのがくやしい」
浩輔もわかったから、もう話さなくていい、と言ってくれた。
でも話せなかったのは、自分に勇気がなかったからだ。
自嘲気味な笑みを浮かべるフィアナをクロカは何とも言えない表情で見返す。そしてその額を軽く指弾した。
「馬鹿ね。あんたは十分強いよ。ずっと思ってた。私はあんたのその強さがいつも羨ましかったのよ」
彼女の勇気に比べれば、自分のそれは小さいものだ。
フィアナはどんなに拒絶されても、それによって傷を負ったとしても信じることを諦めない。覚悟を揺るがさずに自分を貫き通す彼女を本当に尊敬している。
しかしフィアナはそれを首を振って否定した。
「そんなことないよ。だってわたしが前に進めるのはクロカちゃんやみんながいてくれるから。わたしひとりの力じゃないよ。それに今は浩輔がいてくれるから、浩輔の覚悟は裏切れないよ」
言い方を変えれば、ただがむしゃらに前に進もうとしているだけなのかもしれない。
しかしもう一人ではないのだ。世界がたった二人で構成されていたあの頃の自分ではない。
先ほどとは打って変わった優しい笑みにクロカはほっと息を吐き出すと、そうねと同意を示す。
彼女は決して自分ひとりで生きてきたという顔はしない。
私はこの子を見守ってやりたい。この子が切実に願うものが叶うことを。
話が終わってフィアナは小走りに前を行く二人の隣に移動すると、その後ろ姿をクロカは眩しそうに見ていた。
あの子の思いは本当に強い。その信じる力がいつか実を結ぶことを願っているよ。
肩をすくめたクロカはふいに気配を背後に感じて後ろを振り返った。
「あら、おはよう」
そう言って、にっこりと微笑んだ。
いつの間にか前を行く藤たちとは距離が開いていて、彼女に挨拶を返したあと二人の人影は藤たちに近づいていく。それに続くように彼女も少し歩く間隔を早めた。
「そういえば今日島崎くん家に行くんでしょ?庭直しに」
突然話を変えられ、質問された内容に藤は昨日の親友の言葉を思い出し、苦虫を噛み潰したような表情になる。
「……そうなんだよなぁ。帰りに行かないといけないんだよな…………」
昨日の晩、花火をしに島崎邸を訪れたのはいいが、最後に打ち上げ花火を一気に打ち上げようと悪巧みをした藤の提案にクロカが火を点けたのだ。その際に若干強い風が吹いたことによって火が飛び散り、運悪く火薬部分に引火した。
そしてその瞬間、盛大に爆発し、その場にいた一人を除く全員が煤で黒く染まった上に、庭には隕石が落ちたかのようなクレーターができていた。
そのあと、追い打ちをかけるようにいらない提案をした張本人に庭を直すようにと、命令が下ったのである。
「絶対疲れそう……てか、放課後からって明らかにムリだろ」
「お前が打ち上げ花火を一度にやろうとしなければよかったんだろう」
「………………あ、あれ?」
不満と言うよりむしろ愚痴をつらつらと並べていた藤はふいに話し相手だった浩輔とは全く違う低い声が背後からかけられ、恐る恐る振り返った。
そこにはいつもよりさらに表情が消えた顔の島崎が立っている。
全然気づかなかった。
藤はしまった、というような苦笑いを浮かべ、若干後退った。
「ま、まぁ楽しかったんだしいいじゃん。ね?夏の思い出」
必死に弁解をしようとしている彼の様子に島崎は本気で呆れ、嘆息を洩らした。
たしかに藤の言うとおり楽しかったのは事実だ。それは認めるが、どうも彼のペースに振り回されている感が否めない。しかしそれは今に始まったことではないので仕方なくやり過ごす。
「フィア。おはよう」
「おわっ」
果てして楽しそうにかは疑問が残るが、島崎と話していた藤を強引に押しのけると、島崎についてきていたユアはフィアナを見つけて後ろから抱きしめた。
そして不意打ちによろけた藤など目もくれない。
「おはよ、ユア。……?あれ、ユアは制服着てないんだね」
すぐに離れた彼の着ている服を見た瞬間、フィアナは軽く首を傾げた。いつもの水色の服ではなく、島崎に借りたのか半袖のパーカーを着ていた。
彼女の問いかけにユアは頷いて見せ、説明をする。
「貴久のとこ使用人しかいないし、詮索してくることないからそのままでいいって言われたんだ」
不思議に思うことはあるとしても、使用人はそれを口に出して問いかけることはしない。
それに仕える主人の頼みとあれば、断る理由は存在しない。
「そうなんだ」
フィアナはわかっているのか怪しい曖昧な返事を返すが、特に気にした様子もなく、今度はユアが何かを見つけたらしく問いかける。
「フィア、その袋は?」
彼女の小さな手に握られた茶色の紙袋を指し示す。
そのことに気づいたフィアナは同じように視線を落として笑みを浮かべた。
「制服だよ。藤くんに貸してもらったの」
「……ふぅん」
嬉しそうに話すフィアナに笑って応じるが、ユアは腑に落ちなかった。
どうして制服が必要なのだろうか。
彼は疑問の末、前方にいる浩輔に呼びかけた。
「おい、浩輔」
微かに少年の肩がぴくりと上がったのがわかったが、あえて何も言わない。
浩輔は恐る恐る彼を振り返り、用件を問う。
「なんでフィアが制服なんているんだ?ていうか、お前ちゃんとフィアを家に入れてやってるのか?」
ユアの蒼い瞳が細められる。
「ち…ちゃんと預かってもらえるようになったよっ」
浩輔は及び腰になりながらも誤解を与えないように必死に説明をするが、しかし次に割って入った声にその努力は空しく消えていった。
「浩輔の彼女だもんね」
いつの間にか合流していた洋輔が黒い笑みを浮かべて弟の肩を叩く。
「バカ……お前、余計なことを……っ」
そして、一瞬にしてその場の空気が凛と張り詰めたのが浩輔にもわかった。
続く低い声。
「ほう……いつからそんな関係になったんだ、浩輔」
これはもしかしなくとも、とても危ない状態なのでは。その上、もうすでに刀を召喚しちゃったりしている。
それを認めて浩輔の表情が一瞬にして青ざめる。
「ち、違う!これは洋輔が勝手に………落ち着け、ユア!!」
「問答無用っ!!」
誤解を解こうにも当の本人はまったく聞く耳を持たず、浩輔は意を決して走り出す。
そのあとをユアは追っていき、二人の姿はすぐに見えなくなった。
「あ〜あ、行っちゃったね」
問題を引き起こした洋輔はけろっとして、彼らの後ろ姿を額に手を当てて遠くを見晴るかす体勢で見送る。
本当に彼は何をしでかすかわかったものではない。
その場にいた全員が浩輔のことを哀れみ、その中でもクロカは冗談半分で言ったことが現実となり苦笑を噛み殺していた。



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