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10 : 第十話




あれからまだ一日と経っていない。
彼女の笑顔が頭から離れず、今も脳裏に焼きついている。悲しそうに、しかし必死に笑おうとする少女の笑顔が。
浩輔はうっすらと瞼を開けて起き上がると、頭上に置いてある目覚まし時計に手を伸ばす。いつもは七時に鳴るように合わせているのだが、針はまだ六時半を示していた。
白界から戻ってきてフィアナが居候することが決まってから、早くも二日目の朝を迎えている。
当の本人はおそらく隣の部屋で熟睡していることだろうが。
「……昨日帰ってくるの遅かったからな」
仕方ないと言えば仕方ない。
昨夜は藤の提案で花火をすることになり、島崎の家に集まったのだ。そこで大変な事件が発生したが、けっこう楽しかったと思う。
浩輔は無意識に口許を緩めながら、壁にかけてあるカッターシャツに手を伸ばす。
今日からまた普通の学校生活が始まるのだ。先週一週間は様々なことがあって休んでしまったが、洋輔が気を遣ってくれていたので不審に思われることはないだろう。
ただし、洋輔の手助けというのが、後々大変なことになるのだが、そこは今はあえて考えない。
「あ。そういえば……」
ふいに思い出した記憶に彼はボタンを留めていた手を止め、フィアナの部屋があるほうを見る。
「藤くんのとこに制服借りに行かないと……」
まだ若干眠気が覚め切っていない頭で昨日のことを思い出すと、視線を時計に移す。
まったく洋輔もわかっているのだったら、なんでこんなに面倒な設定にしたんだか。
そうして姉が二人いる藤に制服を貸してもらえることになったのだ。
そういえば待ち合わせをしているのだった。
手早く制服に着替え終わると、浩輔は部屋を出て一階に下りていく。
「おはよう、浩輔。今日は早いのね」
台所に入ると、真弓が四人分の弁当を包んでいる最中だった。
姿を見せた息子に気づいた彼女は優しい笑顔を浮かべた。
包んでいる弁当のうちの一つはフィアナの分らしく、他のものより一回り小さく可愛らしいものだった。
「うん、おはよう、母さん。あのさ、フィアナのことだけど制服を家に忘れたらしいんだ。だからあいつ連れて早めに行こうと思うんだけど」
これが彼の精一杯の嘘だ。
静かに聞いていた真弓は口許に手を当てきょとんと浩輔を見ている。
「そうなの。わかったわ、じゃあフィアナちゃん起こして早く朝ごはん作らないとね」
真弓は快く了承すると、弁当を包み終えてさっそくフィアナを起こしに居間を出た。
いつも彼女は詮索することをしない。それはおそらく自分の子どもたちのことを信じているからなのだろうが、そんな彼女に嘘をついていることが心苦しい。
しかしフィアナの正体を話すわけにはいかない。知られる時が来るかもしれないが、今はこれ以上心配はかけられない。
母親の背を見送ったあと、浩輔はとりあえず顔を洗った。



そうして用意を済ませて家を出たのは七時半を過ぎた頃だった。洋輔のことは真弓に任せ、浩輔とフィアナは外に出る。
声に気づいたセノトは屋根から地上を見下ろして、フィアナたちに声をかけた。
「えらく早いな」
屋根の上の見上げると、表情に乏しいセノトが顔を出している。
浩輔はそれにうなずいて、フィアナの制服を藤に借りにいくことを簡単に説明する。
「なるほど、たしかにそうだな。昨日話していたのはそういうことか」
「うん。これ以上不審な行動取れないし、詳しく聞かれなかっただけよかったよ」
普通ならこれほど快くフィアナを受け入れるわけがない。
そうなれば、自分の家族って曖昧だな。
ほうと息を吐き出し、肩をすくめる浩輔にセノトは微苦笑を浮かべると、フィアナに視線を移す。
まだ半分寝惚けた様子の彼女はいつにも増して顔が緩んでいた。初めて彼女と出会ったときの服装とは違い、今時の女の子なら誰でも持っていそうな桃色の生地に裾には白い花が刺繍されたワンピースで、その上にはレースのついた薄手の上着を着ている。
「じゃあ、先に行くから悪いけど洋輔のこと頼む」
母親にも同じことを言ったが、これくらい予防線を張っておかないとあいつは絶対に遅刻する。それで呼び出されるのは浩輔なのだ。
セノトは無言で首肯すると、それを見届けて二人は踵を返した。



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