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10 : 第十話




第十話「想い」



わたしはずっと姉さんを探してるの。


その言葉は、彼の心臓を大きく脈打たせた。
少女の表情は辛そうで、しかし自分は彼女から目を背けることはできなかった。



あれから数日が経ったが、それでも彼女のあの瞳は忘れることができない。
その話はフィアナの部屋で始まった。
本当は話す必要などない。誰を探しているのか、その理由は何なのか。詳しくそれを知ったところで、協力者である浩輔にはおそらく重荷にしかならない。
それでも彼女は彼に話す必要があった。自分が歩いてきた過去を、フィアナという少女のことを知ってほしかった。
たとえそのことで彼女の傷が深くなっても、自分の覚悟とともに知ってほしい。浩輔もそのことを望んでいた。
協力する以上、できる限りの彼女のことを知りたい、もう逃げたくないから。彼もまた答えを出したのだ。
「じゃあ、話すね。本当はどこから始めればいいのか、わたしにもわからない」
「いいよ、フィアナが話しやすいように話してくれればいいから」
「うん、ありがと。わたしには姉さんがいるの。わたしたちは双子で、わたしが妹になるの」
知っている言葉は少ないが、フィアナはそれでも懸命に選んで少しずつ話し始める。彼にもわかりやすいように結論から出たのだが、浩輔は複雑な表情をしていた。
同じ時に生まれ、そして同じ時を過ごした半身。
「双子」という言葉がどうしてか彼の心に深く突き刺さった。
フィアナは視線を人間の少年の瞳に据える。エメラルドグリーンの瞳がフィアナを見返すのを見て、彼女は問いかけた。
「浩輔も双子なんだよね。浩輔はどう思う?」
髪、肌、顔立ち。全てにおいて彼女と似ていて、その姿は母親ですら見間違うほどだった。
浩輔はフィアナの問いの意図がわからず、首を傾げると彼女は説明を付け加える。
「双子ってどうしても周りの人から個人として見てくれないよね」
どこへ行くにしても双子という括りは付いて回る。それは一生変わらない。
ようやくその意味を理解した浩輔は納得する。
たしかに洋輔と同じに見られていた。そしていつも決まって洋輔が兄として可愛がられる。
それを俺は。
「……俺は嫌だったな。別に洋輔が嫌いなわけじゃないし、両親は俺たちを別々に見てくれている。でも周囲は違って絶対に洋輔を優先させる。それを俺は納得がいかなかった」
何か二つのものを選ぶのにも洋輔から。二人を呼ぶときもそうだ。同じなのに、どうして自分だけが引け目に感じなければいけないのか。
顔が似ていても心や感情、感じ方は一人ひとり違うのに、それを「双子」という枠で括って欲しくない。
だから浩輔は未だに「双子」と呼ばれることに抵抗を持っている。
「俺は浩輔で、洋輔じゃない」
兄だからって、別段偉いわけではない。それを大人はわかっていない。
フィアナはただ彼の話をじっと聞いていた。
そしておもむろに口を開いた。
「そうだよね。誰だってみんなには自分を見てほしいよね」
それまで平静を保っていたフィアナの表情がふいに翳ったのを、浩輔は見逃さない。
「でもわたしはそれでよかった。リオナと同じに見られるなら、それでよかった」
どれほどそう望んだか。そしてどれほど自分を憎んだか。
お互いがどれほど似通っていても、フィアナとリオナとでは決定的な違いがあった。
「浩輔のゆうとおり、いくら双子でも、同じ顔でもわたしはリオナじゃない。わたしの瞳は姉さんと違って赤いから」
どれほど望んでも紅蓮の瞳が彼女と同じトパーズの色になるはずがない。
話す彼女の声が震え、そこで途絶えてしまった。
浩輔は代わりに隣にいた蓮呪に視線を向ける。
「赤い瞳…………?」
そう問いかけながら彼は少女の赤い瞳を一瞥する。
たしかに彼女の瞳は綺麗な赤色をしている。しかしそれがいったいなんだというのだろう。
意味を掴みあぐねて呟く浩輔に答えたのはフィアナだった。答えようとした蓮呪は彼女自身が答えてくれたので、黙って聞いている。
「白界と黒界では真紅の瞳が不吉なの。だから赤い目の人は嫌われてる」
そうだ。どれほどそっくりでも父親がリオナを見る目と自分を見る目は全く違っていた。いや、正確には父親が自分を見たことなど一度もなかった。
だから思った。

わたしは姉にはなれない。わたしはリオナじゃない。

初めて確信した。そして初めて自分のことで泣いたのだ。
「お父さんは絶対にわたしに触れなかったし、近寄らなかった。わたしは不吉な子どもだから」
関われば不幸になる。
フィアナは視線を落とし、何度も深呼吸をしている。それを見た浩輔はもう一度蓮呪を見た。
「なんで、赤い瞳は不吉なんだ?俺はまだフィアナのことよく知らないけど、少なくともユアもクロカもフィアナのことを大事にしてる。蓮呪だってそうじゃないのか?」
これ以上は関係ないことぐらい自分でもわかっているが、どうしても聞いておきたかった。
だって、理解できないではないか。
ユアはとてもフィアナを大切にしている。それこそ避けるような真似は一切していないはずだ。
それに蓮呪もクロカも、そう思っているからあれほど必死に彼女を救おうとしたのではないだろうか。
蓮呪は浩輔の話を最後まで聞いてから口を開いた。
「当たり前だ。そう思ってたらフィアナとは関わってないし、もしも赤い目が不吉なら関わってる俺たちにも何かの不幸があっても不思議じゃない。でもそれがない」
そこで切って、彼は言葉を探す。
「紅眼が不吉だっていうのはただの伝承なんだ。詳しくは俺も知らないけど、何千年も昔にこの街の外れに不吉を招く老婆が住んでいたらしい」
もとは街に住んでいたのだが、彼女と接触した子どもが次の日に大怪我をするとか、触れたものを壊してしまうなど言い伝えでは様々なことが噂されていた。
やがて老婆は街の外に迫害され、誰にも知られずに生涯を終えたと。そして語り継がれている中の一文が、彼女の瞳が真っ赤に燃える炎のような色をしていたということだ。だから赤い目の持ち主はその老婆と同じく、忌み嫌われるようになった。
「もともとファイネルにもナフィネルにも紅の瞳は稀少なんだ。ただの言い伝えであって、実際にフィアナが不幸を呼ぶわけじゃない」
しかしその考えを改めない街人たちは今もフィアナを白い目で見続けている。
「でもね、わたしにはリオナとお母さんがいてくれた。二人はわたしを愛してくれたから。それに今はみんながいてくれるから幸せだよ」
傍にいてくれる人がいるから今もこうして生きていける。
だから父親が自分を見てくれなくとも、存在を認めてくれなくとも、ただ大切な人たちが幸せに暮らせていればそれだけで十分だったのだ。それだけを望んでいたのに。
フィアナはふいに表情を曇らせ、浩輔の顔をまっすぐに見つめた。
「わたしはみんなが幸せならそれだけでよかったの。なのに……お父さんは、わたしを殺そうとした」
「……!」
浩輔は目を瞠った。
どうして親が子を殺そうとしたのか。
彼女の父親は黒界で生産業を経営していた資産家だった。しかしフィアナたち双子が九歳のとき経営が急速に悪化し、廃業にまで追い込まれた。当時は結構な話題になっていたので、小さいながらも蓮呪も耳にしたことを覚えている。
今でもあのときの父の顔は覚えている。
絶対に目を合わせようとしなかった彼は娘の赤い瞳を見ると、豹変した顔でフィアナに怒鳴った。
「お前のせいだって。わたしがいるから………家族が不幸に、なる」
フィアナは耐え切れず、下を向いた。
怒鳴る父親はしかし、けっして彼女に触れようとはしなかった。
そしてそのときは来た。
彼はやつれた、疲れきった顔でフィアナに近づいていく。その手には鈍色に輝くナイフが握り締められていた。
浩輔ははっと息を呑んだ。そのあとの展開など容易に想像できる。
ある程度事情を知っている蓮呪は目を伏せていた。
「お父さんはわたしを殺そうとした。でもそれを止めようとしたリオナが逆にお父さんを刺したの」
そのあと惨劇はさらに続いた。
フィアナの母親はそれに気づくと、何も言わずに二人の我が子を優しく抱き締める。
そして彼女は倒れた夫の傍に落ちていたナイフを持ち上げて二人を振り返った。

フィアナ、ごめんね。どうかお父さんのこと嫌わないで。私は貴女のその瞳が優しくて、綺麗で好きよ。
だから生きなさい。リオナと二人で、負けないで、強く生きて。
お母さんは貴女たちをずっと愛しているから。

美しい母の頬を涙が滑り落ち、彼女は最後に綺麗に微笑んだ。
その瞬間、彼女は自分の首元を夫を刺したナイフで切り裂いた。
「お母さんが死んだときのこと、あまり覚えてないの。ただリオナの手が真っ赤で、わたしは………」
ただ震えて泣いているしかできなかった。
ただリオナにすがって、泣きじゃくるだけだった。
そのあとの言葉が詰まり、フィアナは大きく息を吐き出す。
「怖かった。死ぬのも怖いけど、わたしのせいで大切なひとが傷ついていくのを見ていることしかできない。それが怖かった。……一瞬でも、生きたいって……思ったのが…いけなかった、のかなぁ………」
だんだんと声が震えていく。泣かないと決めていたのに、せき止められない。
大粒の涙が彼女の瞳から零れ落ち、服に染みを作っていく。
ただ幸せに暮らしていたかった。リオナがいて、お母さんがいて、みんなが笑っていられるなら、どれほどお父さんに嫌われようとかまわなかった。
なのに、どこで歯車が食い違ったのだろうか。
今になってあの時死んだ方がよかったなんて言えば、きっと怒られるだろうけど、もしも自分がいなければリオナが手を血で染めることもなかった。
お父さんもお母さんも死なずに済んだ。皆が幸せに生きていけた。
でも自分が生きているから。
「……フィアナ、もういいよ。十分わかったから、もう話さなくていい」
詰まりながらもさらに懸命に話そうとする少女の小さな手の上に自分のそれを重ねると、浩輔は悲痛な瞳で彼女を見る。
こんなに辛そうなフィアナは見ていられない。見ていることしかできない自分が歯痒い。
「ご、めん…浩、輔……」
涙はあとからあとから溢れてきて、言葉を奪っていく。
もう遠い昔のことなのに、今でも忘れられない。忘れてはいけないが、話せると思ったのだ。
傷を思い出に変えることができるかもしれないと思ったのに、まだ足りなかったようだ。
「あのことをこれだけ話せればいい方だよ。よくがんばったな」
小さく謝る少女に蓮呪は優しく目許を和ませると、その髪を軽く撫でた。
「……、うん……」
自分の我が儘に付き合ってくれた蓮呪に無理に作った笑みを返し、もう一度浩輔に視線を戻す。
「わたしは、なんで……リオナがいなくなったのか、本当のことが知りたい。……できれば、またいっしょにいたいから……」
最後に震える声で何度も息継ぎをしながら、そう言った。



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