≫ No.2

01 : 第一話




街の中にある商店街は表通りは街灯で明るいが、一歩路地に入るとそこは闇に包まれていて、かなり見通しが悪い。
それゆえに柄の悪い連中も多いのだが、今日はやけに静かだった。
しかしその静寂は破られ、突如として水と炎が現れるとそれらは混ざり合ってふたりの人影を一斉に吐き出した。
「……きゃっ」
「……いでっ!」
どすんと何か重いものが落ちる音とともに水と炎は姿を消し、辺りは元の暗闇に戻った。
着地に失敗した少女は打ちつけた腰をさすりながら、苦渋の顔を作っている。
「…………」
いつまでも立ち上がろうという意思が見受けられないことに見かねた少年は拳を握り締める。
「…クロカ……、さっさと俺の上からどけっっ!!」
ついにはふつふつと湧き上がってくるものとともに吠え、その声に今頃になって気づいたクロカはゆっくりと下を見る。
「わっ、ごめん、ユア。そんな変なところにいるとは思わなかったわ」
どこまでも悪気のない言い方にさすがのユアも憤慨する。
「お前が上に落ちてくるからだろ!?ちゃんと下を見ろよっ」
「はぁ?だからごめんって言ったでしょ?耳悪いんじゃない?」
「お前の謝り方がいちいちむかつくんだよ。だいたい、なんでお前がここにいるんだよっ?」
相変わらずのけんか腰で二人の口撃は止まない。
二人が同じ場所にいるということは彼女たちの考えが一致したということだが、それが気に入らないようだ。
「見てわかんない?私はセノトが言ってた情報に従っただけよ。あんたにとやかく言われる言われはないわ」
「……っ、あっそ。なら、勝手にすればいいだろ」
「えぇ、そのつもりよ」
最終的には二人ともつんと顔を背けると、別行動を取ろうとする。
その刹那、自分たちとは別にこの世界に降り立った神気にはっとして気づいた彼らは互いに顔を見合わせる。
守護神の力を借りていない状態でこれほどまでにはっきりと判別できるのは、その神気が強大で抑制していないから。
そんな人を彼らはひとりしか知らない。
「………血の、神気……」
ということはあいつが動き出した。
もしかすれば、一番恐れていたことが起こるかもしれない。
ユアは小さく舌打ちをもらす。
「ユア、あいつが私たちに気づいてるとも限らないけど、一人より二人で行動したほうがいいんじゃない?」
本来ならば、犬猿の仲である彼と行動を共にするなど考えられないが、この状況ではそうも言っていられない。
意外な申し出にユアは少しの間逡巡したのち、そうだなと了承する。
はっきり言って自分なら少しは勝機があるが、彼女やフィアナでは手に余るだろう。
どれほど嫌っていても仲間であることには代わりはない。
「すっげぇ効率悪いけどな。あいつがいるとなると気も抜けねぇな」
できるだけ早くフィアナを見つけ出さなければ。
あいつが見つけるより先に。
深いため息を吐き出したユアはとりあえずクロカを誘って路地をあとにする。


だいぶ日も暮れかけ、東の空が紫色へと変わり始めている。街が夜に飲み込まれる黄昏時だ。
人通りの多い通りを歩いていたユアはふいに凪いだ違和感のある風に足を止める。
「……どうしたの?」
急に立ち止まった彼をいぶかしげに見上げたクロカは軽く首をかしげる。
何か違和感を感じる。空虚だが、闇を秘めた気配。
「……!クロカ、近くに魔神(ましん)がいる」
今は昼と夜の狭間に位置する時間。奴らがいてもおかしくない。
クロカもようやく気づいたのか、一段と険しい表情になると神経を研ぎ澄ます。
獲物を狙っているのだろうか。気配がその場から動こうとしない。
「動かねぇのなら好都合だ。それに相手が守護神かもしれねぇし。とにかく急ぐぞ」
魔神は神気を糧に生きている。標的が守護神だという可能性がある以上、放っておくわけにはいかない。
駆け出した二人は魔神の気配が漂うほうへと全力疾走していく。
あれほど人がたくさんいたのに、だんだんと人気が薄くなり、代わりに民家が建ち並んでいる。
気配を探っていた二人は別の気配を感じて立ち止まる。
「あれは、人間のようね」
彼らの前を二つの人影が歩いていた。制服を着ていることから、彼らが学生であることは一目瞭然だ。
「………!」
クロカとユアはふいに大きくなった闇の気配に警戒態勢に入る。
人間の背後の道路に写った影から獣に似た黒い狼がするりと這い出してきた。
「やっぱり魔神だったのね。ということは、あの人たちが守護神なのかしら」
「わからねぇけど、このまま見過ごすわけにもいかねぇからな」
守護神だという確証はないが、近くにいながら犠牲者が出るのは後味が悪い。
たとえ彼らがそうでなかったとしても、やるほかないだろう。
ユアは助けにいこうと、両手に神経を集中させた刹那、魔神の気配に気づいた少年が後ろを振り返った。
「……!」
気づいていないとばかり思っていたユアは予想外の反応に、一瞬動きが鈍る。
自分たちに牙を剥く獣に栗色の髪をした少年は絶句したまま硬直する。
「……?どうした、島さ……て、うっそぉ!?」
友達が急に立ち止まるのでもうひとりの少年もいぶかしげに振り返り、くわりと口を大きく開けて獲物に飛び掛ろうと体勢を低くしている狼のような得体の知れない生き物を認めて叫ぶ。
もしかしなくとも危ない状態ではないか。
「ちっ……」
魔神を見れば誰だってああなる。
それは仕方のないことだが、立ちすくんでいる彼らが無性に腹が立つ。
ユアは小さく舌打ちをもらすと、左手に水を召喚しながらすばやく地を蹴る。
「そこのオレンジ頭、伏せろっ!!」
「………!」
聞き慣れない鋭い怒声にオレンジの髪をした少年は反射的にしゃがみ込み、その残像に獣の爪が掠める。
「さっさと失せろっ」
怒号とともに魔神の背に神気の塊をぶつけると、激しい音と風を撒き散らせながら、姿は闇色の煙となって消滅した。
うまくその場に着地したユアはさらに襲いかかってくる魔神を薙ぎ払っていく。
刹那、影に身を隠していた一体の魔神が、守りの手薄なもうひとりに狙いを定める。
「……!しまった、まだいやがったのかっ」
視界の隅にそれを捕らえるが、影に気づくのが遅すぎた。いくら瞬間的に移動したとしても届かない。
それでも諦めずに手を伸ばした瞬間、彼と獣との間に炎が生じ、それによって阻まれた魔神はもんどりうって転がる。
立ち上がろうとする獣にユアは無感動な瞳を向けると、容赦なく神気を放つ。
「大丈夫?」
全て消滅したことを確認すると、クロカは人間の少年を見上げる。
短く切られた曲のない栗色の髪の少年は困惑した紫苑の瞳を突然現れた正体不明の少女に向けた。
常人ならば失神するところだが、ある程度肝が据わっているようで固まっているに留まっている。
少女の問いかけに人の子は小さく頷いた。
「あ、あぁ。大丈夫だ……一応」
「そう、よかったわ。怪我もなくて。………。やっぱり、貴方が風の守護神なのね」
「………?」
歯切れの悪い少年に対して別段気にしたふうもなく、にっこりと笑う。
そのあとに確認するように呟かれた聞き覚えのない言葉に少年は首をかしげる。
いったいあれは何だったのだろうか。
あいつらは間違いなく自分たちを狙っていた。
先ほどのことを思い起こしていた少年はもうひとりいた得体の知れない少年の困った声にはっと現実に引き戻される。
「おい、クロカ。こいつをどうにかしてくれっ。氷はお前の担当だろ!?」
すっかり彼のことを忘れていたクロカはユアの声にそちらを振り向き、思わず吹き出しそうになる。
栗色の髪の少年と一緒にいたもうひとりの少年に彼女の仲間が絡まれていた。
オレンジの髪は肩につく程度で、顔にかかる前髪はピンで留めている。瞳はくすんだ灰色をしていた。
おそらく親友であるもう一人の少年とは印象が対照的である。
「なぁ、今水とか炎とか出してただろ?あれってなに?」
驚くばかりか輝いた瞳で詰め寄り、珍しくユアが対応できずにいる。そうやって困惑している彼は実に珍しい。
「頼むから落ち着けってっ」
「ユア、もう話してもいいじゃない?どうせ守護神なんだし」
しょうがなく助けてやろうと彼らに近づいたクロカは、ユアに小さく耳打ちする。
ユアは氷の守護神を無理矢理に引き剥がすと、ほうと息を吐き出し、改めて彼を見る。
どうも彼はユアの苦手なタイプなようだ。
「話すから、もう俺に近づくな」
「え、マジで?」
「………」
まったく動じていない彼の様子にユアは返す言葉も見つからない。
こういう人間は初めてだ。
とりあえず自分の担当ではない氷の力を持つ人間は置いておいて、改めて風の守護神を見上げる。
そして思った。彼の意思ひとつであの子の運命が決まってしまう。
できれば、力を貸してほしい。
ユアのもの言いたげな表情に少年は首をかしげるが、何も聞かないでいる。
「ねぇ、明日の夕方時間あるかしら?」
「え、なに?デート?」
「違うわよ。今日のこと話そうと思うの」
瞳を輝かせる氷の守護神を鬱陶しそうに回避して、クロカは目を半眼にする。
確かにくせのある性格のようだ。
「まぁ、来ても来なくてもどっちでもいいんだけどな」
補足するようにユアがにっこりと笑う。
もし無視してみろ、ただじゃ済まさないからな、と彼の瞳が告げていた。
「聞きたいって思うなら、明日の夕方五時にこの先にある公園に来てほしいの」
脅しているユアとは別に強制ではないことを告げ、彼女は公園があるほうを指差す。
「来るかわからないのに、そんな約束していいのか?」
助けてくれたのだから危害を加えないとは言い切れないし、まだ彼らのことを信用したわけではない。
ほんの少し鎌をかけたつもりだが、少女は綺麗な笑みを浮かべて見せた。
「私たちの目的は私用だから、貴方たちの意思を尊重したいと思ってるわ。命に関わることだし。だから、もし明日来なかったとしても何もしないし、今後一切関わらないから」
彼らが今を望むならそれ以上言う権利は自分たちにはない。できることなら巻き込みたくはないから。
クロカはそれでいい?とユアに目配せをすると、彼は軽くうなずいた。
「警戒しなくても大丈夫よ。危害は加えないから。じゃあ、また明日ね」
身を構える風の守護神にくすりと笑ってみせ、二人は踵を返した。
彼の判断は正しい。簡単に人を信じない。いや、正確には人外の言葉を、だ。
それでいい。でも、本音は協力してほしい。すごく矛盾している。
取り残された少年たちは呆然と彼らの背中を見ていたが、やがて栗色の髪の少年は親友を見る。
「どうするんだ?藤」
彼女にはああいったが、もう巻き込まれているのではないだろうか。
もし自分が否定したとしても親友である彼がうなずいても結果は同じ。
その問いかけに藤は口許に手を当て、う〜んとしばらく考え込む。
「悪いヤツらじゃなさそうだしな。話聞くくらいならいいんじゃないかなぁ?てか、島崎だって気になってんだろ?」
「……そうだな」
彼の返答に気づかれていたことを知った島崎は空を見上げる。
あの少女が言っていた。自分のことを風の守護神だと。その言葉をどこかで聴いたことがある気がする。
それにあの魔物が何なのかも謎のままだ。
「その先のことはそんとき考えればいいっしょ」
「あいかわらず気楽だな」
なんだかんだ言っても、こいつとは長い付き合いだ。
自分に決断力がないときには背中を押してくれる。
「なら、行くか」
どうせもう巻き込まれているのだから、この真実を知りたい。
守護神というのが何なのかを。



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