第一話 「始まりを告げる出会い」
西の空が橙色に染まり、鳥の影が夕日に反射して点々と映っている。
もうすぐ夜に変わろうとしている。
白いカッターシャツに黒のズボン、肩にカバンをかけた少年が疲れた様子で道を歩いていた。
どうやら学校帰りのようだ。
海をそのまま切り取ったような綺麗な青髪は襟足より少し短く、セノトより濃厚なエメラルドグリーンの瞳は大きめで若干疲れを帯びていた。
幼さの残る顔立ちではあるが、年はユアとさして変わらないように見受けられる。
今日も騒々しい一日が終わり、ほうと息を吐き出した刹那、ふいに風が吹き抜けた。
突然吹いた風に違和感を覚えた少年は反射的に立ち止まる。
「………?」
おそらく普段の風ならさして気にせず、足を止めることもなかっただろう。しかしこれは明らかに妙だ。
今は六月に入ったばかりで、もうすぐ梅雨入りだろうと言われている。なのに夕日の中に舞っているあれは桜の花びらではないか。
ひらひらと舞い落ちてくる花はやがてゆっくりと一ヶ所に集まり始め、その様子に少年は目を瞠るが、次に吹いた一際強い風に視界を奪われる。
「うわっ」
少年はとっさに腕で目を庇い、風が止むのを待つ。
しかし思いのほかすぐに治まると、それを認めて改めて前方を見た彼はこの上なく目を見開く。
重力に従って落ちてくる桜の花弁とともに小柄な少女がスローモーションのように音もなく降り立った。
余韻のように巻き起こった風に少女の空色の髪がゆるやかに翻る。
「………!!」
さすがに驚いた少年は一歩後退る。
その影を視界の隅に捉えた不思議な少女はきょろきょろと辺りを見回していた視線を向け、彼女の動きは一瞬にして固まった。
「…………あ、あり……?」
もしかしてとんでもない場面に降りてしまったのだろうか。
自分でも今の状態をあまり理解していないらしく、困惑気味に首をかしげる。
一部始終を見ていた少年の不審な人を見るような目を見てから、自分なりに情報をまとめてみたりする。
そして思い至った。この状況は果てしなくヤバイ気がする。
「え、えっと……、とりあえずこんにちはぁ…………なんて………」
苦し紛れになんとか笑って誤魔化そうと試みるが、状況はたいして変わらない。
それどころか、少年の瞳は冷たくなるばかりだ。
「………。それでは、失礼しますっ」
こうなったら逃げるが勝ち。
最終手段に出た彼女はそのまま身を翻らせ、少年とは反対の方向へ全速力で走っていった。
その場にひとり取り残された青い髪の少年は追うこともできず、ただ呆然と混乱の中にいた。
少女は相当驚いたらしく、早く追いつけないところまで逃げようと脇目もふらずにただ全力疾走で、左右を家で囲まれた住宅街を走っていた。
途中曲がり角があり、そのまま直進しようとしていた彼女はしかしその角から曲がってきた人影と見事にぶつかってしまった。
「……っわ!」
衝撃に耐えられずに小柄な肢体は吹き飛ばされ、勢いよく尻餅をつく。
「ご、ごめんなさいっ」
少女は尻餅をついたまま慌てて謝るが、相当痛かったらしく語気が微かに震えていた。
ぶつかった相手は別段気にしたふうもなく、彼女に手を差し伸べる。
そして。
「大丈夫か?フィアナ」
「………………え?」
何気なく言われた言葉に一呼吸置き、改めて考えてみたフィアナは自分の耳を疑う。
今、名前を呼ばれなかっただろうか。
まだ相手の顔を確認していなかった彼女はそろそろと顔を上げて、これ以上ないほど目を見開く。
「セ、セノト!?」
逆光で顔は判別できないが、腰を優に超える綺麗な黒髪は彼が前かがみになるとさらりと背を流れる。
左腕に巻かれた包帯。彼女はそんな人をひとりしか知らない。
「どうして………」
来るときはひとりだったのに、どうして仲間のひとりが人界にいるのだろうか。
混乱しながらも差し伸べられた手をとって立ち上がると、服についた砂を払い落とす。
「俺は用事で来ただけだ。光の守護神が覚醒したらしいからな。……それと、ユアも来ている」
もっとも彼は今どこにいるのかはわからないが。
それでもフィアナには効果抜群だった。
「……な、んで………」
もうあんな辛い思いはさせたくないから言わずに来たのに、それでは意味がない。
無意識に瞳が揺れる。
心の中で様々な思いが渦を巻いている彼女の心情は手に取るようにわかる。
セノトはそっと息を吐き出し、その無防備な額を指で軽く弾く。
「ユアのこと、馬鹿だと思ったか?たしかにあいつは考えもせずに行動することが多いが、それはお前を守るためだ。そのためなら命も賭けられる。それほどユアはお前のことを想っている。一番身近にいたお前ならわかるだろう?」
フィアナが何も言わずにひとりで人界に来たことを責めているわけではない。
むしろ彼女の気持ちもわかるからこそ、次の事態が予想できてユアは心配するんだ。
もう少し仲間を頼ってもいいと思う。皆彼女の力になってくれるから。
しかしフィアナにはどうしても納得がいかなかった。
「あの人を探すって決めたのはわたしだよ?それなのに頼ってばっかりでユアに迷惑かけてる。これまでユアは何人の人と別れたの?ユアに、もうあんな思いはしてほしくないよ」
大切だから、その人に辛い思いはしてほしくない。
いつも中途半端に解決もできずに、ずっとわだかまりを抱えて、傷ついて。
それならいっそひとりの方がいい。決意した自分だけが傷つくだけで済むから。
「ねぇ、今からでもいいから、白界に戻ってよ」
まるで彼が目の前にいるかのようにセノトの上着の裾をつかんで、それに額を押し当てる。
流れ出そうな涙を懸命に押し殺し、フィアナは震える声を振り絞る。
「フィアナ、お前はユアの本当の気持ちを考えたことあるか?」
彼の言葉に少女は顔を上げ、泣き顔にも似た表情でセノトの碧い瞳を見上げる。
その表情が否定を表しているので、彼はそのまま続ける。
「あいつがいつもお前を守ると言っていたのは知っているだろ?あれに偽りはない。今回だってあいつは相当悩んでいた。自分はお前の重荷にしかなっていないのではないかと」
―――俺はもしかしたら、フィアにとって邪魔な存在かもしれない。
打ち明けた彼の瞳が微かに揺れていて、セノトは目を反らせたまま首を横に振った。
それだけユアは彼女のことを一番に考えている。
失いたくないから、自分ができることを精一杯やろうとする。それがたとえ命に関わることだとしても。
「知らなかった………」
自分を想ってくれていることは知っていた。でもそれは他の仲間と同じくらいだと思っていた。
ユアも自分と同じことを考えていたんだ。
「それでも、ユアに白界に帰れと言うのか?」
彼の気持ちを無視するのか。
白界で長がユアにしたのと同じ質問をする。
再度尋ねられた問いかけにフィアナは慌てて頭を振る。
「本当はユアに頼みたかったよ。ユアがいてくれたからあのときだって助かった。でも………」
それ以上に彼を失うことが怖かった。あの人のように消えてしまうようで。
本当はわかっていた。あのとき彼がいなかったら、おそらく命を失っていただろう。
ユアのおかげで今も自分は生きている。
「それでも今はどっちも生きてるんだから、お前が気負う必要はないだろ。あいつは好きなように行動してるんだ」
ユアならきっと笑って許してくれるだろう。彼自身もそれを望んでいる。
「それに、悔しいがあいつの力は白界の中では一番手だ。そう負けるわけがない」
微苦笑を浮かべたセノトは少女の髪をくしゃりと撫でる。
「うん。わたし、今度こそリオナを見つけるから」
彼女といっしょにいたい。それだけのためにいろんな人に迷惑をかけている。
だから決めたことを最後まで貫き通したい。それが今まで関わってきた人たちへの感謝と侘びだ。
フィアナの瞳から迷いが消えたことを認めたセノトは薄く微笑を浮かべると、ふと考える素振りを見せる。
「とりあえず、お前の守護神を探すことが先だな」
「……え、でもセノトも探さないといけないんじゃ………」
何気なくさらりと言ってのけられた言葉に、意味を掴みあぐねたが、すぐに聞き返す。
自分の力となってくれる闇の守護神を先決して探してくれるのはありがたい話だが、今までの流れからして彼にも彼の目的があるはずだ。
それなのに自分のためだけに時間を潰させるのにはいかない。
「気にするな。俺もお前の行動には心配だしな」
フィアナは突然思い切った行動に出ることがあるので、それを抑制してくれる誰かが近くにいないと自滅してしまいそうだ。
セノトの心の中まではさすがに察せなかったフィアナは満面の笑みを浮かべると、素直に礼を言う。
そのあと、彼らが動き始めた頃には辺りはすでに暗闇へと転じ始め、丸い月が顔を覗かせていた。
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