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00 : プロローグ




老人のあとに続いて書斎に入ったフィアナは彼から一枚の白い紙を受け取った。
「今朝届いたものじゃ。闇の守護神の情報はそこに書かれているとおりじゃが、人物は特定できなかったそうじゃ」
今回の守護神の覚醒は通常に比べて遅い。本来ならば、もう完全に力に目覚めていても不思議ではないのだが。
申し訳なさそうな彼の表情にフィアナは首を横に振り、渡された資料に目を通すと、ふいにぴくりと肩が震える。それを長は見逃さなかった。
ここに書いてある街の名前に見覚えがある。この街は………。
しかし少女は目を伏せると、その記憶を消し、長に紙を返す。
「蓮呪にありがとうってゆっといて」
彼のことだから今頃は仕事が一段落つき、屋上で昼寝でもしているだろう。
いつもわがままな自分のために力を貸してくれる。彼らのためにも今度こそ見つけなければ。
フィアナは一度深呼吸をすると、いってきますと笑って部屋を出て行った。
ぱたりと扉が閉められたあと、今までばたついていた書斎が静けさを取り戻し、長はほうと息を吐き出した。
あの子は一生懸命自分の信じた道を進んでいる。たとえくじけたとしても。それはいつか彼女の力となる。
「今日は忙しい日じゃな」
長は複数の気配を感じ取り、苦笑を浮かべる。
刹那、部屋の扉が壊れるのではないかというほど勢いよく開け放たれた。
全く少しは静かに入ってこないのか。
そんな彼の気持ちもおかまいなしに入ってきた少年は長に詰め寄る。
「長、フィアは今どこにいるっ?」
「……会わなかったのか」
少年の言葉に老人は軽く眉をひそめる。
やはり彼女は何も告げずに一人で行くことを選んだようだ。
「桜華なら神殿へ向かったはずじゃ」
真剣な瞳で言われた言葉にユアは瞠目する。
それには後ろにいたセノトも同様の反応を示していた。
「まさか、覚醒して………」
「その答えを聞いてどうするつもりじゃ?水皐」
いつもの老人の声音より数段低い声で問われ、少年は喉が萎縮したように答えられずに沈黙が降りる。
「もし、覚醒してるんなら……フィアは……」
ようやく出てきた言葉にユアは噛み締めるように呟く。
守護神が目覚めれば、彼女は必ず戦いに行く。
でもやはり彼女の力だけでは危ない。またあの時のようになるかもしれない。
そうならないためにも守ると誓ったのに。
そこまで聞いた老人はその先に言わんとしていることを正確に読み取り、小さく首肯する。
「覚醒しておるよ。今朝杏癒から報せがあった」
「蓮呪から?」
問い返したのはセノトだった。それに長はそうだとうなずき、ユアに視線を戻す。
「闇と光、それと風と氷だ」
「……四人も同時にとは珍しいな」
普通は数年差があるものだが、稀に他の神気の影響を受けて早くに転生すると聞いたことがある。
しかし驚くのはそれだけではなかった。次の長の言葉に二人は軽く目を瞠る。
「四人とも同じ街にいるって……」
今までにないかなり低い確率だ。
「でもそのほうが助かる」
ユアはその言葉を聞き、安堵の息を吐き出した。
自分の守護神と彼女の守護神が同じ区域にいるのならいろいろと便利になる。
少し希望が見えた彼に長はさらに重い尋問を下す。
「それからひとつ言っておくが、桜華はお前のことを考えてひとりで行くことを決意したのじゃ。それを覆してまで、お前は行くのか?」
彼女の想いを無視してでも自分の想いを貫くのか、と彼は聞いている。
どんな問いかけが老人の口から出ようと絶対に自分の意思は曲げないと思っていたのに、それを前にするとユアの喉は瞬時に凍りつき、思うように言葉を発してくれない。
自分は彼女にとって重荷にしかならないのか。渦を巻く迷いが彼の思考を鈍らせる。
「たしかに俺はあいつにとって荷物でしかないかもしれねぇ。でもあいつはずっと苦しんでんだ。もうあんな姿、見たくないし、俺は俺に嘘をつきたくねぇ」
もちろんフィアナにも。
彼女は今も暗闇の中であの日の苦しみと戦っている。
ユアの知っている中で長を納得させるだけの言葉は思いつかない。でも取り繕っただけの言葉ではすぐに見抜かれるし、老人がそれを求めていないこともわかる。
自分の心が感じたまま答えると、長はまっすぐな澄んだ瞳を彼に向ける。
「水皐」
「………っ」
ふいに名前を呼ばれ、無意識のうちにユアの身体が一瞬強張る。
彼にとって「ユア」と呼ばれるより「水皐」と呼ばれるほうに抵抗があった。それは事実本当の名前ではないから、未だにどうしても慣れない。
しかし長は気にせずに続ける。
「お前は桜華をどうしたい?」
静かな質問だが、その中には老人の様々な思いがはらんでいた。
ユアは一度目を閉じ、あの子の姿を映し出す。
それには答えられる。初めから答えは決まっているのだから。
「守る。あいつがこれ以上傷つかないためにも、俺が守り通す」
そのためなら何を犠牲にしてでもいい。この命さえも。一刻も早く苦しみの中からあの子を助けられるのなら。
迷いの消えたユアの強い瞳を見た老人は微かに笑みを浮かべた。
「なら行くがいい。それだけの決意なら案ずることもないじゃろう。月露はどうするんじゃ?」
ユアに迷いがあるのは知っていた。心の迷いはひとを惑わす。そのままではいつか取り返しがつかなくなる。
そうならないためにも老人は問いかける必要があった。
そして話の矛先がもうひとりのファイネルに向き、彼も即決で覚悟を決める。
「俺も行く」
セノトにもやらなければならないことがある。それを成し遂げるためにも守護神の力は不可欠だ。
その短い答えに長は小さくうなずくと、彼らに資料を手渡す。
そこに示された街の名前にセノトの柳眉が微かに動いたが、すぐにその違和感はいつもの無表情に掻き消された。
仲間の様子に気づかずにユアは書かれた情報に一通り目を通すと、それを老人に返す。
「じゃあ、行ってくる」
身を翻すユアに遅れてセノトも資料を戻すと、彼に続いて部屋を出て行った。
廊下に出て右に曲がっていく彼らの背がやがて見えなくなってから、長はほうと息を吐き出す。
「まったく、世話のかかる奴じゃ」
放っておくと何をしでかすかわからない。それは相手を想えば想うほど気持ちは強くなる。
まだまだ気の休まる時は遠いのかもしれない。


☆☆☆
人界へ行くためにはそれに必要な魔法陣がいる。街を出て少し外れた海沿いの崖の上に建てられた神殿の中にそれは描かれている。
唯一、白界と人界とを繋ぐ場所だ。
街を出たフィアナはようやく神殿の近くまで着いていた。
ここに来たのはこれで二回目だ。本来ならば来ることのなかった場所。
森より浅い緑の木々の隙間から白い壁がちらりと見えた。
彼女の表情が神殿に近づくにつれて険しいものになっていく。
神殿は近くに行けば行くほどどれだけ古いのかがわかった。何十年も前に建てられた神殿は時が過ぎるごとに利用する者は減り、今では寂れている上に所々亀裂が刻まれていた。
フィアナはふいに立ち止まり、空を見上げる。青空の向こうには二羽の白い鳥が仲良く飛んでいた。
「ユア、怒ってるかな……」
結局何も言わずに来てしまった。あれほど自分のことを想ってくれているのに、自らそれを手放した。
彼が怒るのも無理はない。でも
「ユアがわたしのことを想ってくれてるのと同じで、わたしもユアのこと大切だよ」
だからあんな思いはさせたくない。
フィアナは仲間の怒った表情を想像し、苦笑を浮かべると吹き抜けの神殿へと一歩ずつ確かめるように足を踏み入れる。
床の中央には円状の魔法陣が描かれ、彼女が近づくににつれて神気に呼応するかのように淡い光を放つ。
それを認めた少女は光を放つ魔法陣の上に立ち、口の中で何かを小さく呟く。
刹那、ふわりと優しい風が神殿の中へと吹き込み、桃色の花弁が宙を舞う。
花びらは彼女の肢体を下から包み込むと、それらが消えた頃にはすでに少女の姿は消えていた。



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