街に出たユアは脇目も振らず、急いで神殿に向かっていた。
彼のあとをセノトはいつもの無表情で追っていたのだが、途中で見知った少女に声をかけられ立ち止まる。
「どうしたの?セノト。そんなに慌てて……」
常に冷静沈着で落ち着いている彼が珍しく急いでいるふうだったので、クロカは訝しげに首を傾げる。
セノトは先に行った仲間の姿があったほうを見るが、すぐに視線を彼女に向ける。
「フィアナがひとりで人界に行ったそうだ。ユアはそれを追っている。俺も行くつもりだ」
けっこう時間が経過しているので、おそらく彼女は人界へ行ってしまったあとだろう。
その意外な返答にクロカは驚いたように軽く目を瞠る。
「てことは、守護神が覚醒したのよね。ねぇ、氷は?」
今朝長のところに行ったが、彼はそのようなことを一言も言ってなかった。ということはそれ以後に報告があったのだろう。
クロカの妙に焦った問いにセノトはほうと息を吐き出す。
「覚醒している。今回は同じ地域らしい」
「……え!?……それはまたすごい確率ね」
先ほどまでとは打って変わった驚いた顔できょとんとしている。
やはり四人同時に、それも同じ区画となるともはや奇跡に近いのだろう。
予想通りの彼女の反応に小さく笑うと、すぐにその笑みを消す。
「俺はもう行くが、お前はどうするんだ?」
彼女の事情は多少なりとも知っている。なぜ守護神の力が必要なのか。
その問いかけにクロカは真剣な表情をする。
「行くわ」
「なら急ごう。ユアが先に行って待ってる」
自分に彼女の問題に口出しする権利はない。素直に了承したセノトは再び神殿に向かって駆け出す。
「ユア」
神殿の前で立ち止まっている少年を見つけたセノトは駆け寄りながら呼び止めると、彼はゆっくりと振り返り、ひとり多くなっていることに気づいて顔をしかめる。
「なによ、その顔」
あからさまに嫌そうな顔のユアにクロカはにらみつけるような視線を向ける。
「別にあんたに関係ないでしょ?」
失礼だと言わんばかりにわざとらしいため息をついてみせると、ふいとそっぽを向く。
ユアはその言葉に言い返そうとするが、今はそれどころではないと理性で抑えると、セノトを見上げてその手に何かを乗せる。
いぶかしんだセノトは自分の手のひらを見下ろしてそれが小さな桜の花びらであることを認める。
これは間違いなく彼女の神気から具現化したものだ。
花びらからユアに視線を戻すと、彼の表情が真剣なものになっていた。
「今から行けばまだ間に合う」
神気から具現化した花びらは少し経つと消滅する。それがまだ形を保っているということは彼女がここを去ってからさほど時間は経っていないはずだ。
それに人界に降りていたとしても行動範囲は限られてくる。
しかしそれを間髪入れずに反論する声があった。
「ばっかじゃないの?同じ区域だとしても風の守護神と闇の守護神が近い場所にいるとは限らないわ」
それぞれの世界を行き来するためには魔法陣を用いらなければならない。人界は白界や黒界と違い、その世界自体が魔方陣なので利用者の意思に従っていくことができる。
守護神の数は極めて少なく、彼らの守護神同士が近くにいるということは確率的にかなり低い。
「それでもいい、探す。お前だって知ってるだろ?フィアの持つ神気は一番弱い。それに大半が防御系神呪だ。もしあいつと戦うようなことがあったら……」
今もあのときの情景は鮮明に覚えている。だからこそ不安で恐怖さえ感じる。
「わかったわよ。そこまで言うなら行けばいいじゃん。どうせあんた馬鹿みたいに強いんだし」
「……。言われるまでもねぇ。とにかく行こうぜ」
クロカに言われるのは釈然としないが、こうしている間にもフィアナの手がかりが消えていく。
ユアに続いて二人は神殿の中に入ると、描かれていた魔法陣を囲むようにして立つ。
「あんたが先に行けば?」
三人の神気に反応した魔法陣がぽうと光を放つのを見て、クロカは向かいに立ったユアを見る。
どうせ誰から行ったとしてもそれほど大差はないが、彼がどれほどあの子を想っているのかも知っている。
気持ちの問題だが、早く行けることに変わりはない。
しかしユアはそれを首を振って彼女に先を譲る。
「俺は最後でいい。お前から行けよ」
どうも初めに行くのは性に合わない。いつも誰かの背中を守っているから。
苦笑混じりに肩をすくめる彼にクロカはきょとんとするが、別に悪い気はしないので素直に了承すると魔方陣の上に立つ。
「じゃあ、先に行かせてもらうわ。あっちで会ったらそのときはよろしく」
冗談のように軽口をたたくと、小さく神呪を紡いだ。
人界で出会う確率はゼロに等しいものだが、今回は同じ街ということなので可能性がないとは言い切れない。
彼女の身体が真っ赤に燃える炎に包まれると、行ったことを認めてセノトはユアを見る。
「ユア、従うかはお前次第だけど、フィアナを探すより先に守護神を探したほうが賢明だと俺は思う。守ると言っても力が十分でないと意味ないからな」
彼の強さは自分を凌駕していることは知っている。しかしそれは守護神の力を借りたときの場合だ。
もし彼女を見つけることができたとしても、守れるだけの力がなければ元も子もない。
セノトはこつんとユアの額を小突くと、魔法陣に近づく。
「まぁ、好きにすればいい。仲間だからな。必要な時は助ける」
いまさら他人の振りなんてできるわけがない。
彼がありがとうと礼を言ったのを聞き届けると、セノトは神呪を詠唱する。
光がみるみるうちに大きくなり、ぱっと弾けたときにはもう彼の姿は消えていた。
「待ってろよ、フィア」
仲間の言うことも最もだ。しかしできれば彼女を優先させたい。もうあんな思いをさせないためにも。
ユアは険しい表情で陣の中に足を踏み入れる。
今度こそ必ず守り抜くんだ。この命を賭けても。
神呪を唱えた刹那、水が召喚され、柱のように噴き上げてユアを覆うとそれとともに彼の姿もそこにはなかった。
気配が途絶えると、神殿には優しい心地のよい風が吹き抜け、白い小鳥が魔法陣の上に降り立って高い声でさえずっていた。
プロローグ終わり
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