プロローグ「それぞれの選択」
この世は三つの世界でバランスを保っている。
人間が暮らす人界(にんかい)。ファイネルと呼ばれる人たちが住む白界(びゃっかい)。そしてファイネルと対になる存在、ナフィネルが住む黒界(こっかい)。
どの世界にも行き来は可能だが、いまだかつて種族間の争いはなかったという。
☆☆☆
一面、緑に囲まれた芝生によく映える淡い色の花を咲かせた木々が風に吹かれてさぁと音を立てる。
その中でも少し色の違う桜の木に少女は寄りかかり、軽い寝息を立てていた。
風の音に紛れてさくりと草が踏まれる音が微かに響く。
「桜華よ、闇の力を持つ人の子が覚醒したと先ほど報せがあった」
現れた老人は両手を後ろに回し、幸せそうに眠っている少女を見下ろす。
ふいに凪いだ風が彼女の、空をそのまま映したかのような淡い空色の長い髪をふわりとなびかせ、同時に髪を高く結った桜色のリボンが小さく踊る。
幼い顔つきから年の頃は十四、五才と推測できるが、ファイネルは人間とは年の取り方が異なるので、実際年齢は見た目では判断できない。
少女はフィアナという。別の名を桜華(おうか)。その意味は「舞い散る桜の花」。
二つの名を持つファイネルはこの世界に存在している精霊と契約している証である。そのことから彼女もまたその身のうちに精霊を宿しているのだった。
フィアナは聞き慣れた老人の声に意識が覚醒し、うっすらと瞼を開ける。
その隙間から透き通る紅蓮の瞳がのぞいた。
「あ、長」
眠たそうに目をこすりながらしばらくの間宙をさまよっていた紅の瞳が長を見つけ、うれしそうに笑う。
どうしたの、と問いかけてくるフィアナに老人は軽く息を吐き出すと、彼女にもわかるようにもう一度詳しく説明する。
「闇の守護神が見つかったそうじゃ。ついでに言うと、光と風、氷もともにな。じゃが、おそらくはまだ完全に目覚めたわけではないはずじゃ」
それが今朝届けられた報告書に書かれていた内容だ。
守護神の持つ神気(しんき)と呼ばれる力はごく少数の人間が生まれつき宿っているものだが、眠りについている状態でそこから徐々に覚醒していき、およそ十年で完全となる。
そうなると神気の波動を正確に感知できるのだが、今回は覚醒が遅れているようで詳細は未だわかっていない。しかしどの守護神も中途半端な状態であることは確かだ。
その報告にフィアナは納得すると、ふいに落ち込んだ表情になる。
「………今度こそ、終わらせたいな………」
呟いた彼女の言葉に長は答えきれずに目を伏せる。
「水皐はどうするつもりじゃ?」
代わりに別の問いかけをすると、フィアナはう〜んとかわいらしい仕草で考える素振りを見せる。
「これはわたしの問題だし、もう迷惑かけたくない。それにユアにはもうあのときのような哀しい思い背負わせれないよ」
あの人を探すと決めたのは紛れもなく自分自身。これ以上他人を巻き込みたくない。本当は守護神だって。
少女は寂しそうな笑顔を老人に向けると、立ち上がって服についた砂を軽く払う。
「それはお前次第じゃ。好きにするがよい」
彼女の目的には神気を宿す人間の協力が必要だということを長は知っている。
その人間は白界では守護神と呼ばれ、彼らが宿す神気はおよそ二十種類あるといわれている。
宿体が死ねば、消滅することのない力は月日を重ねて転生し、次の宿体へと宿る。そのことで輪廻が循環している。
そして神気は人間である守護神の身体では宿すには器が脆すぎ、耐えられない。もともと人間の生命はファイネルより遥かに短く、儚い。守護神はそれよりもさらに短い寿命である。
ひとが死ぬのは自然のセツリだが、ひとにとっては哀しいこと。それを彼女は十分理解している。
「桜華、詳しいことを説明するからわしの部屋に来るように」
あまりのフィアナの表情に長は見ないように背を向けて伝えると、自分の書斎へと戻っていった。
☆☆☆
白界は自然を象徴としている。街の大半は自然が同調していて、外れには海を一望できる高台がある。
そこに二人の少年が海から吹き上げる潮風を浴びていた。
「なぁ、セノト。………………。……?」
若草色の髪をした少年は何かを考える様子で、隣にいる仲間に呼びかける。
その髪は襟足より短く、蒼穹の瞳は鮮やかで眼下に広がる海と同じ色をしている。若干幼さの残る顔立ちはおよそ十五才程度である。
少年の名前はユアといい、もう一つの名前は水皐(すいこう)である。その意味は「水を呼ぶ波紋」。
ユアは隣の少年に話しかけるが、先ほどからずっと海を見つめたまま険しい顔をしている彼は全く微動だにせず、返ってくる言葉もない。
「……はぁ」
彼の目の前でひらひらと手を振ってみるも全く気づかず、半ば諦めつつもため息をついたとき、ようやくその行動に気づいたらしくセノトは軽く首をかしげる。
「何だ?ユア」
非常に落ち着いた彼の声にユアは脱力した。
その様子にセノトは訝しげに眉根をひそめるが、ユアはもはや怒りを通り越して呆れていた。
さらりと背中を流れる漆黒の髪は首の後ろでひとつに結われ、吹いてくる風に遊ばれる。
澄んだうすい翠色の瞳はいぶかしげにユアを見ていた。
輪郭が鋭く、整っていて険しい顔をしていてもその秀麗さは損なわない。
黒を基調とする彼の出で立ちの中でも左腕に巻かれた白い包帯だけが対照的であった。何か理由があるそうだが、それをユアは知らない。
彼の名はセノト。もう一つの名前が月露(げつろ)。意味は「月光を浴びし珠(じゅ)」。
「で、なにぼーっとしてんだ?」
考えているそうで実は何もないということは日常茶飯事だが、今回はえらく深刻そうな表情だったので、ユアは怪訝そうに問いかける。
しかし予想に反して彼は首を横に振った。
「たいしたことじゃない。ただもうそろそろなんじゃないかと思ってな」
「……。たしかに、そうだな」
彼の主語のない言葉の意図を正確に理解した少年は悲しそうな色を瞳に映す。
「あれから五十年になるのか。早いな」
前の守護神たちと別れを告げてから知らぬ間に五十年以上になる。彼らの観点からだと時間が経つのは早く、人間の一生は短い。その中でも守護神は特に。
自分たちファイネルはあれから何も変わっていないというのに。
ユアはセノトと同じように海の彼方を見る。
深い藍色がずっと先まで広がり、太陽の光を受けて宝石を散りばめたようにキラキラと輝いていた。
「あいつはまだ諦めてないんだよな……」
今も行方を眩ませたあいつのことをずっと探し続けている。何十年も。
「……また行くのか」
「あいつが戦うんならな」
約束したんだ。何があろうとも必ず守ると。
短い会話でもそれだけで互いには、その中に宿る感情をわかっている。
ユアは今でも彼女を苦しめているあの人が許せないでいる。しかしそれをあの子に言えば絶対無理にでも笑おうとする。それを見るのが何より辛い。
「なら、フィアナに直接会いに行くか?話すこともあるんだろ?」
彼の決意は近くで見てきた。どれだけ硬いか。どれだけ真剣か。他人がどれほど反対してもユアは自分よりフィアナを取る。
仲間だからできる限り彼らの力になってやりたいと思う。それに自分にもやるべきことがある。
どちらにしろ一度長に会わなければ。
「そうだな。ここで考えててもしょうがねぇし」
頭で考えるより行動したほうが手っ取り早いし、自分の性に合っている。
ユアは薄く微笑んでうなずくと、セノトとともに街へと戻っていった。
☆☆☆
「……私は絶対に貴方を許さない。必ず、見つけ出してやる」
片ひざをついた少女の前に小さな石の女の像が立てられていた。
少女は像の前に色とりどりの花を包んだ花束を静かに供える。
彼女は宝石のような瞳をゆっくりと上げた。すらりとした滑らかな輪郭はしかし鋭く、年の頃は十五、六才といったところだろう。
少女はクロカといい、もう一つが紅炎(こうえん)。その意味は「烈しく燃えたつ炎」。
ふいに強い風が吹いた。
丘の上なのでその影響も強く、置かれた花束が風に煽られて数枚の花びらが舞う。
両耳の後ろで結われたくせのあるラベンダー色の髪が彼女の横顔にかかり、表情が見えなくなる。しかしわずかにのぞいた口許が悔しさを滲ませていた。
「なんで、置いていったのよ……」
誰に答えを求めるふうもなく、呟いた言葉は風に紛れて消えていった。
クロカは大きく息を吸い込むと、吐き出して気持ちを落ち着けて丘を降りていった。
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