≫ NO.3



クラウディスの裏通りは複雑に入り組んでいて、うっすらと暗い。
もうここがどの辺りなのかわからなくなってきた。
少女の足はやがて歩きに変わり、とうとう立ち止まってしまった。
肺が爆発しそうで、少女は懸命に息を吐き出す。
苦しい。まともに息もできずに眩暈がする。
少女は一歩も動けずに近くの物陰に息を潜めて隠れ、座り込んだ。
「………どうして、こんなことになったんだろ………」
誰に答えを求めるわけでもなく、ふっと口からついて出た。
しかしそのような答え、彼女には当に知っている。
全ては十二年前に起こり、それから歯車が狂い始めたのだ。
ほうと息を吐き出し、空を振り仰ぐ。雲がぽつぽつと浮かんだ真っ青な空がどこまでも広がっている。あの人の瞳と同じ綺麗な色だ。
もうずいぶん記憶が薄れてきたが、あの瞳は今でも覚えている。自分の好きな色だった。
「……わたしはここから出られるのかな」
それどころか、何の力も持たない自分が果たしてこの先生きていけるのだろうか。
早くも不安が胸に重くのしかかってくる。
少女は肩を落とした。
ううん。こんなところで立ち止まるわけにはいかない。行くと決めたのだから。
再度決意を固めた彼女は少し呼吸が楽になったことを知り、その場に立ち上がった。
「………!」
その瞬間、ごく近くで複数の足音が聞こえ、次いで何人かの話し声が聞こえてきた。
このままここにいれば見つかってしまう。かといって無闇に動いても見つかる確率のほうが高い。
いったいどうすればいいのだろうか。
とりあえずその場を離れようとした刹那、突然後ろから伸びてきた手に口を塞がれて後ろに引き込まれる。
「………!!?」
思考が止まり、抵抗する暇などなかった。
まさか別の警備兵に見つかったのだろうか。
そう考えると彼女はなんとか振り払って逃げようと暴れるが、彼女ではいくら暴れてもびくともしない。どうやら男のようだ。それに加えて先ほどから走り続けているので、もはや体力は残っていなかった。
すると見かねた後ろの男はほうと息を吐き出すと、耳元で静かに囁いた。
「安心しろ、お前の敵ではない」
「……………」
その一言で少女はあっさりと大人しくなった。
彼の声がなぜか安心できたのだ。
抵抗しなくなったことを確認して、男は少女を解放すると彼女は身体ごと振り返った。
青空をそのまま切り取ったような、綺麗なサファイアブルーの瞳だ。記憶の中にあるあの人の目と同じ色。
ただせっかく綺麗な瞳なのに、長く伸ばされた前髪に隠れていて少し勿体無い気がする。
「あ、あの………」
ひとまず落ち着いた彼女はどうしてこのような真似をしたのか、それを尋ねようとすると、それよりも早く男は少女の腕を引いた。
「話は後で聞く。ここもじきに見つかるだろうし、とりあえず来い」
ここに来る途中、警備兵の姿を目撃したのだ。この場所もそう長くは隠れてはいられない。
少女の意向など確認せず、男は走り出した。



いくつかの角を曲がり、さらに次の角を右に曲がったところに一人の男が腕を組んで民家の壁に背中を預けていた。
「あ……」
それに気づいた少女はぴくりと肩を震わせると、藍色の髪の青年は肩越しに振り返った。
「あいつは俺の仲間だから、大丈夫だ」
突然理由もわからずに連れてこられた上に、見知らぬ相手では不安に思うのも無理はない。そう言う自分もなんら変わりはないのだが。
ここまで抵抗もなしについてきてくれたのは幸いだった。
ほうと息を吐き出し、男はそのまま歩を進める。
「あ、カイル。もうどこ行ってたんだよ」
仲間が戻ってきたことに気づいた彼はカイルに気づいて組んでいた腕を解き、腰に当てる。
結局見失ってしまい、これではただ闇雲に探していたのでは入れ違い、もしくは自分のほうが迷子になりかねないので、それを防ぐためにも冷静に考えて先に借家に戻っていたのだ。
そしてそれはカイルも考えていたことであり、無事に合流が果たせた。
「………悪いな、アルト」
「まぁ、お姫様を助けるためなら仕方ないよね」
詫びるカイルにアルトは気にした様子もなく、肩をすくめてみせてくすりと意味ありげな笑みを浮かべる。
それにしてもあのカイルがこのような面倒事に自ら首を突っ込むとは驚きである。
「どうして助ける気になった?」
彼女を追っていたのはこの街の警備兵だ。それなりの事情を持っている少女なのだ。
それをわからないカイルではない。
詮索するような視線を向けられるが、カイルは答えようとはしなかった。黙ったまま二人の間には微かな沈黙が降りる。
「ま、言いたくないならいいよ。たいしたことじゃないし」
結局アルトが折れ、ほうと息を吐き出した。
この引き際のよさは絶対に後で助けた礼をさせる気なのだろう、と考えついたカイルだが、何も言わなかった。
「とりあえず、彼女には中に入ってもらおう。あいつらしつこそうだしね」
そうしてアルトは何事もなかったようににこりと笑うと、今度は少女に視線を移して扉を開ける。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます………」
満面の笑みを浮かべた彼に促され、少女は軽い会釈をしてからおずおずと中に入った。
造りは木造で一階建てのようだが、建ってまだ間もないようで新しい木の匂いがする。
一歩室内に足を踏み入れた途端、少女の身体は力が抜けたようにくらりと傾いた。
「わ、大丈夫?」
とっさに気づいたアルトが少女のか細い身体を支え、気遣わしげに容態を尋ねる。
「ごめんなさい、ずっと走り続けてたので………」
疲れは当に頂点に達していて、その上少し安心をしたら張っていた緊張の糸がふつりと切れてしまったようだ。
アルトに支えられるままにソファに腰を下ろした少女はほうと息をつき、気持ちを落ち着けた。



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