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「どっきどきバレンタインデー」



二月十四日と言えば、バレンタインである。
女の子が好きな男の子のためにチョコレートをプレゼントするという、女の子にとっては一大イベントなのである。
そんな、女の子にとっても男の子にとっても大切な大切な日を明日に控えた本日十三日、登校してきた八人のうち藤だけが何やら嬉しそうだった。
「……なんか、最近嬉しそうね、藤くん」
ここ数日上機嫌な藤を横目で見たクロカは、少し引き気味に呟く。
はっきり言って、これほどまでに浮かれている彼は気持ちが悪い。
彼女の呟かれた言葉を聞き取った洋輔は笑みを浮かべてクロカを見る。
「明日バレンタインだしねぇ。もしかしたら告白されるかもって、馬鹿な淡い期待を持ってるんだよ」
「洋輔くん、ほんといつも容赦ないわね」
あまりの言いように彼女は苦笑を浮かべてから、もう一度心の中で反復する。
明日がバレンタインなのだ。だから店でもバレンタインのコーナーが設置されていたわけなのだ。
島崎が後ろで話している洋輔の声を拾って藤に、あんなこと言っているぞ、と肩をすくめながら教えるが、聞こえていなかった藤には何のことかわからず、首を傾げているだけだった。そして洋輔が先輩である藤に対して厳しい言葉を言っているのを浩輔にもわかっていたが、特に口を出すことはしない。
「ばれんたいん?明日?わたしもやりたいなぁ」
そこにフィアナも聞きつけ、会話に参入してくる。
「そうね、今年もお菓子を作って日ごろお世話になってるみんなに配りましょうか、フィアナ」
去年は二人でチョコレートケーキを作って配ったのだった。
フィアナの願望にクロカも賛成を示す。
「本当!?」
まるで小さい子どものように瞳を輝かせて見上げてくるフィアナに、クロカは笑って頷いた。


その日の放課後、フィアナとクロカは男子組とは別々に学校を出て、材料を買いに商店街にある店へと立ち寄った。
二人がそれぞれ作るお菓子の材料を購入して居候先の家へと足早に帰り、着いたのは五時前のことであった。
フィアナは自分の家のようにただいま、と一声かけて中に入る。
おかえり、と言う言葉と共に出迎えてくれたのは浩輔の母である真弓で、彼女はフィアナが下げている袋に気づく。
「あら、お菓子の材料?」
中身まではわからないが、その袋にプリントされているロゴは真弓もよく知るお菓子の材料を専門に扱っている店のものだ。
「うん、クッキーを作ろうかぁって。明日ばれんたいんなんだって、だからみんなにあげたいの」
そこでようやく真弓は理解する。
そういえば明日はバレンタインなのだ。母親ともなればあまりそういう行事は関係なくなるので、すっかりと忘れていたが、自分も夫に何か上げようかと密かに考える。
「頑張って美味しいクッキーを作ってちょうだいね。わからないことがあったら聞いてくれていいから」
にこりと微笑んだ真弓にフィアナは大きく頷き、急いで部屋に荷物を置いてくると、台所で買った材料を広げる。
クロカがフィアナ一人でも極力簡単に作れるようにと、もともと分量が計られていて混ぜるだけでできるクッキーミックスを選ばせてある。
これならばどれほどフィアナが料理下手だろうと、滅多なことでは失敗しないだろう。
真弓も心配なのか、フィアナの手元を見ている。
「えっと…これをボールに移して卵を入れるんだね」
作り方が記載されている箱の裏を見ながら、ボールに粉を入れる。
そして卵をシンクの角で数度打ち付ける。瞬間、めきっという音と共に卵の殻が粉砕し、中身がどろりと床に落ちた。
フィアナはゆっくりと真弓を見上げる。
彼女は苦笑を浮かべ、落ちてしまった卵を片付けると新しい卵を割ってくれた。
「ご、ごめんなさい」
「いいのよ、何でも失敗は付きものなんだから。フィアナちゃん、このへらでざっくりと混ぜるのよ」
別段怒っている様子はなく、真弓は彼女に手本を見せてへらを渡す。
フィアナはわかった、と頷いてゴム製のへらを受け取り、言われたとおりに粉と卵を掻き混ぜ始める。
なるべく空気を入れるように大きく混ぜ合わせなければ、焼いた際に硬くなってしまう。
真剣な表情でフィアナは腕に力を入れる。
「こんな感じかな」
だいたい混ざると、ふうと息を吐き出す。思ったよりも体力の要る作業だ。
真弓はボールの中に視線を落とすと、へらを持って混ぜ、硬さの具合を見る。
「うん、いい感じよ」
特にだまになっているわけでもなく、均等に混ぜ合わされ、懸念される硬さもちょうどいい。
そのあとボールに入っている生地を、敷いたシートの上に載せるとめん棒で薄く伸ばしていく。
薄く伸ばさないと、焼くときに若干膨張してしまうので、あまり厚いとさくりとした食感は出せない。
「じゃあ、あとはこれで型抜きをして、抜いた生地はこっちの天板に載せてね。型の取るところがなくなったら、また捏ねてさっきみたいに薄く伸ばすのよ」
双子の母親は引き出しからうさぎやくま、ハートや星などの型を出してきて、やり方を説明してからフィアナに渡す。
うさぎなどの動物型のクッキーには、この上に目になるチョコをトッピングすればかわいいかもしれない。
「うさぎの形はフィアナちゃんらしいし、いいと思うわ」
「そおかなぁ、ありがとう」
フィアナは様々な形をした型を受け取ると、さっそく型抜きを始める。
ぐっと力を込めて押し付けると、型と同じ形に切り取られた生地が出来上がった。
「そうそう、そんな感じよ。あと出来上がったらフィアナちゃんが買ってきた飾りをトッピングすればいいわ。中に入れてもおしゃれだと思うわよ。私、洗濯物を片付けに行かないといけないから、あとは大丈夫?」
用事のあった真弓はそう尋ねると、フィアナは大丈夫だと言って頷く。
「お仕事あったのに、教えてくれてありがとう」
ここまできちんとやれたのは浩輔の母親が手伝ってくれたからだ。
フィアナはめいっぱいの感謝を込めて礼を言うと、彼女はそれを受けてにこりと微笑み、台所を出て行った。
そして真弓に言われたことを頭の中で繰り返すと、何かを思い出して冷蔵庫を開けて瓶を取り出す。
その様子を洋輔がこっそりと覗いていたが、真剣なフィアナには気づかなかった。



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