≫ No.6

08 : 第八話



そうしてクロカは辺りを見回し、肩をすくめる。
「やっぱりここで神呪を使うべきじゃなかったかもね」
空を見上げてもまだ黄昏時には少し時間がある。
それでも魔神が現れたのは、人気が少ない上に三人分の神呪を連発したからそれを察知してきたのだろう。まだ昼だと油断していた。
「なんで?」
彼女の言葉に疑問を抱いた藤は近くにいたセノトに問いかける。
「魔神が生きるためには神気が必要だ。神呪を使ったことによって神気の気配を察知されたんだ」
その上、守護神たちは神気の放出をコントロールできない。それも上乗せされたのだろう。
「…………。ふうん」
一瞬藤の動きが止まったが、すぐに頷いて明後日のほうを見る。
「……わからなかったんだね」
「そうみたいだな」
二人の会話を聞いていた洋輔は隣の島崎に話しかける。
それに同意を示して、彼は親友に盛大なため息を吐き出した。
しかしセノトは気にした様子はないので、とりあえずはいいとしよう。
「魔神が出てきたし、そろそろ街に戻りましょうか」
ここで自分勝手に続けて守護神たちを危険に晒すわけにはいかない。
そう切り出したクロカはそれでいいかを他のファイネルにも視線で問いかける。
「そうだな。フィアも戻ってきたし」
とりあえず戻ったほうが賢明だろう。
ユアに続いてセノトも無言でうなずき、フィアナも同意を示した。
「お、帰るのか」
「ええ、魔神が出てきたしね。それに今から戻れば夕方には着きそうだし」
「そっか」
帰る話をしている四人のほうへ近寄った藤はクロカを見る。
その声に気づいた彼女は氷の守護神を見返して頷いてみせる。
「じゃあ、帰りましょ」
来たときと同様にクロカが仕切ると、その場にいた全員は賛成の意思を示した。
しかし一名を除いては。
「あれ、浩輔?」
歩き出した仲間の後ろを小股でついていっていたフィアナはふと浩輔がいないことに気づき、後ろを振り返る。
それに他の人たちも気づくと足を止めた。
「浩輔、どうしたの?帰らないの?」
訝ったフィアナは首を傾げて彼を見上げると、浩輔の視線の先は現実を見ていない様子で、彼女の声は耳に入っていないのか反応はなかった。
さらに少し開いた唇の隙間から魂が出て行きそうな勢いだった。
「え、ど、どうしたのっ?浩輔!?」
さすがのフィアナも焦り出し、必死に呼びかけるが何をやっても反応はなく、相変わらずぼーっと遠くを見ている。
「フィアナちゃん、落ち着いて。浩輔ちょっと落ち込んでるからたぶんこのままじゃ当分戻ってこないよ」
「……どうしたら戻ってくる?」
不安になっているフィアナの隣に移動した洋輔は黒い笑みを浮かべ、そんな彼に少女は必死に尋ねる。
どうしたらいつもの浩輔に戻ってくれるのだろうか。
それに洋輔はさらに笑みを深くした。
「フィアナちゃんがね、………………」
「へ、きす?」
他には聞こえないように耳打ちされた言葉がフィアナの聞き慣れない単語で、首を傾げて反復する。
「……!お前……洋輔っ、フィアに何吹き込んでやがんだ!!」
フィアナが呟いた一言に大きく目を見開いたユアは洋輔の胸倉をつかんで揺さぶる。
しかし彼は動じたふうもなく、さらに余計なことを吹き込む。
「そうすれば絶対浩輔元に戻ると思うよ」
「フィアっ、こいつの言うことなんか信じるなっ」
完全に実行しようとしているフィアナをユアは必死に止めようとするが、洋輔の言葉を信じてしまっている彼女を阻止することはできない。
ユアは洋輔を突き飛ばす勢いで離れると、フィアナが行動するより先に浩輔と彼女の間に入った。
「こんなの蹴るだけで十分だっ」
そう言うや否や、彼はあろうことか浩輔を足蹴りにした。
現実逃避をしていた浩輔は何の抵抗もなしに前のめりに倒れこむと、目の前にあった木に額を思い切りぶつけた。
「っ………!」
「よ、容赦ねぇ……」
盛大に幹と正面衝突した浩輔はそのままずるずると座り込み、両手で額を押さえる。
さすがに藤も哀れだと思い、無意識に呟いた。
自分とあんなことがあり、その上ユアにはひどい仕打ちを受ける。不憫だ。
一方突然何が起こったのか現状がつかめず、浩輔は赤くなった額に片手を添えながらゆっくりと振り返る。その彼の瞳が微かに涙で濡れていて、傍観していた人たちはさらに哀れみの目を向けたのは言うまでもない。
「なんで蹴るんだよ……っ」
「だってお前が戻ってこなかったら、フィアが大変なことになるからじゃねぇか」
蹴った本人に近寄って訴える浩輔にユアはしれっとして返し、顔ごと視線を逸らせる。
現実逃避してるお前が悪い。
「気持ちはわかるけどね。弘人くんは浩輔みたいな男の子が好きだからむしろ喜んでたけど」
「…………」
苦笑を浮かべる洋輔は最後にさりげなく問題発言を残しやがった。
その言葉の意味を正確に理解したクロカと島崎は目に見えて一歩引いた。
「ちょ……待って、何でそうなるんだよっ。つか、違うってっ。洋輔、お前誤解を招くようなこと言うなよ!!」
さすがの藤も仰天した。
しかし白い目で見られているのに変わりはない。
「お前、そういう趣味だったんだな。今まで知らなかった」
「たしかに元気だものね」
浩輔は落ち込んでいるのにどうしてか藤は元気だ。やはり洋輔が言っているのは本当なのだろうか。
「いや、だから違うって!俺は普通に女の子が好きだからっ」
彼みたいに落ち込むほどではなかったのはそれが仕方のないことだとわかっていたからだ。けっしてそういう趣味を持っているわけではない。
必死に訴える藤に洋輔はけろっとした様子で返してきた。
「ふうん、まぁ、いっか。どっちでも」
「お前、誤解招くだけ招いて流すのかよ」
もうついていけない。一気に体力がなくなった気がするのは気のせいだろうか。
藤はがっくりと肩を落とした。
「浩輔、大丈夫?」
フィアナは浩輔の顔を覗き込むと、気づいた彼は視線を投じてくる。
心配した面持ちの少女に作り笑いを浮かべて、とりあえず大丈夫だと答えた。
「よかった」
本当にどうしたらいいのかわからなかったが、大丈夫ならよかった。
ほっと安堵の息とともに胸を撫で下ろした彼女に浩輔はくすりと笑う。
「浩輔戻ったから帰ろっか」
「そうだな」
そして八人は街に向けて高台の広場をあとにした。
誰もいなくなった広場にさあっと風が吹くと、ある木の枝にひとつの影が舞い降りた。
その木の下には何かにえぐられたような跡があり、微かに月の神気が感じられる。
ふいに強く吹いた風に緑玉の長い髪が煽られ、綾夜は鬱陶しそうに髪を掻き揚げる。
「けっこう強くなったな、あいつ」
薄れていく桜の神気を感じながら先日のことを思い出す。
あれほど弱かった桜華(おうか)が見違えるほど力を発揮していた。しかし理由はわからないが、別段知りたいとも思わない。
そうしてふと何かを思いついたように顔を上げた。
フィアナを利用できないだろうか。
そう考えた綾夜はついと空を見上げる。いい考えだ。
だんだんと太陽が西に沈み始めた空に大きな黒鳥が飛んでいる。それに気づいた彼は残虐な笑みを浮かべた。
あれは鴉でも他の鳥でもない。本来この世にはいない生き物。
彼は腰のホルダーに差していた短剣で自らの指を浅めに切り裂く。ビーズほどの血の玉が染み出ると、それに神気を込めた。
細く尖った赤い針をダーツのように投げると、彼の命中率が相当なものなのか、飛び回っている魔神の腹部に簡単に突き刺さる。
体内で溶けた綾夜の血に侵食されたそれは、しゅうと煙となって跡形もなく消滅した。
「まだ利用価値はあるな」
あいつの行動は腹立たしいが、自分の欲望を満たすには十分だ。
綾夜はくすりと笑って呟くと、一瞬にして姿を消した。
そのあとを一際優しい風が吹き抜け、木々がざあと音を立てて揺らいだ。



第八話終わり



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