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08 : 第八話




第八話「帰ってきたフィアナ」



桜の木がある広場から先に中枢建物に戻ってきたフィアナは迷うことなく、蓮呪の部屋を目指す。
自分の部屋は二階で、彼の部屋はその上になる。
階段を上がって右に一つ目の部屋の前で立ち止まると、ここで合っているかを確認する。昔はしょっちゅう間違えていたのだが、さすがに何十年もいれば間違えることは少なくっている。
しかしそれでも焦っているときや急いでいるときは間違えることもあり、その度に謝っているのを思い出す。
「蓮呪ぅ」
とんとんと軽く扉を叩いて呼びかけると、微かだが中で気配が動いたのがわかった。
ついで扉が静かに開けられ、中から黒髪の女が出てきた。
「どうかしましたか?」
予想外に顔を出したのは雨涅(あまね)で、フィアナは驚いたように目を瞠り固まっている。
「フィアナ様?」
硬直している少女に訝った地の精霊は首を傾げる。
それに我に返ったフィアナは慌てて何でもない、と否定し、笑みを浮かべる。
「雨涅が蓮呪の部屋にいるの、めずらしいね」
いつも彼女は長の書斎にいるか、人界に赴いていて不在かのどちらかなのだが、他人の部屋のまして蓮呪の部屋にいるのは滅多にないことだ。
珍しがるフィアナに雨涅はくすりと綺麗な微笑を口許に乗せる。
「蓮呪に頼んでいた資料を取りに来たのです。フィアナ様は彼に何か用ですか?」
そう言う地の精霊の腕には本三、四冊にはなる紙が抱え込まれていて、一番上の紙面を覗いてみても気が遠くなりそうなほどびっしりと文字が書き並べられている。
書かれている内容はわからないが、どれも全部見覚えのある蓮呪の字だ。
彼はいつも自分の知らない間にこのようなことをしていたのか。
雨涅はずれてくる紙の束を抱え直し、口許に指を添えている少女を見下ろす。
初めて出会った頃はろくに他人と関わろうとしなかったのに、これほどまでに表情をころころと変えられるようになるとは。
「今日ね、人界に戻ろうと思うの。だから蓮呪にもゆっておこうと思って」
「そうだったのですか。彼なら屋上にいるかと思います」
数日前に来た少年が協力してくれるようになったのは、蓮呪から聞いている。
実際にうれしそうにするフィアナを見ているとこちらもうれしくなる。
彼女は口許に微かに笑みを湛えると、空いているほうの手で階段を示す。
フィアナの話に付き合っていた蓮呪は頼まれていた仕事を後回しにしていた。普段自分のペースを保っている彼でも多少急いだらしく、気分転換に行ってくると言っていた。
彼のことだから今頃はきっと屋上で日に当たりながら昼寝でもしているのだろう。
「そっか。じゃあ、行ってみる。ありがと、雨涅」
彼女が指差すほうを見ていたフィアナは嬉しそうに頷くと、礼を言って階段に向かって走り出す。
その小さな背中を苦笑混じりに見送り、雨涅も主のいる書斎へと向かう。


白界を治めるこの中枢建物は七階まである。
その階段を小走りになりながら駆け上り、屋上に出たフィアナはタイルの上で寝転がっている少年を発見した。
いつもは髪をまとめている白いバンダナは日除け代わりに顔を覆っているが、眠っているということは一目瞭然だ。
「れーんーじゅう」
少女は若干腰を屈めて彼を見下ろし、呼びかけてみるが起きる気配は全くない。
もう一度呼ぶが、それでも彼は寝息を立てたままだ。
「むぅ」
肩をすくめて見せたフィアナは蓮呪の顔の傍らにしゃがむと、勢いよく白い布を剥ぎ取る。
「……!?」
突然瞼越しに明るくなったことに驚いた蓮呪は飛び起き、手で陰を作りながら片目を開けて覗いてくる少女を軽く睨む。
「ちょっといきなりなにすんだよ」
安眠を妨げられた彼は身体を起こすとさすがに不機嫌になりながら口を尖らせ、改めてフィアナを見る。
当の本人は傍らにすとんと腰を下ろすと、何もなかったかのようにきょとんと大きな瞳を向けてきた。
「……。それで、どうかしたのか?」
自分の視線はどうも効果がない。睨んでも全然動じないとは。これがセノトや雨涅なら彼女は間違いなく萎縮するだろう。
蓮呪は仕方なく話を逸らすと、首を傾げる。
「うん。あのね、今日人界に戻ろうと思うの」
先ほど浩輔から聞いたことをそのまま彼に話すと、蓮呪は考える素振りを見せた。
闇の守護神が目覚めてまだ一日と経っていない。その状態で許してくれる確率は低いのだが。
「いいんじゃないか?お前も浩輔も一応回復してるんだし、自分のことは自分でわかるだろ」
案外あっさりと了承してくれ、フィアナは拍子抜けしたような間抜けな顔をした。
彼のことだから許してくれるだろうと少しは期待していたのだが、即答で頷かれるとは。
しかし蓮呪とて考えているつもりでいる。
浩輔は人間だ。いつまでも白界に留まらせるわけにはいかない。
笑ってみせる蓮呪に表情を明るくさせたフィアナはありがとうっ、と彼の首に飛びついた。
「うわっ。だから急に飛びつくなって」
もしもこんなところをユアに見られれば浩輔ではないが、本当に冗談では済まされない。
フィアナは彼から離れると、立ち上がって服についた埃を払う。
「わたし浩輔にゆってくる」
そう言う彼女はとてもうれしそうで、駆け足で建物の中に入っていった。
感情の移り変わりが激しい奴だ。しかし見ていて飽きない。
その様子に蓮呪はふいにくすりと吹き出すと、バンダナを頭に巻いて後に続く。

浩輔が使っていた部屋についた二人はちょうど戻ってきた本人と廊下で出会い、フィアナは嬉しそうに駆け寄った。
「あ、浩輔」
「……?」
部屋に入ろうとしていた少年は知った声にそちらを向くと、二人のファイネルの姿を見つける。
何やら上機嫌なフィアナの様子に首を傾げたのがわかったのか、彼女は許可が得られたことを話す。
「今日ね、帰ってもいいって」
「……そうか、よかった」
にっこりと笑って教えてくれる少女を見下ろした浩輔の表情が無意識のうちに明るくなる。
しかし。
「でも……」
それと同時に不安もある。
呟いた彼の言葉に少女は首を傾けると、浩輔は苦笑を漏らして二人を見た。
「帰るの、怖いかな。絶対怒られる」
脳裏にいろんな人の顔が浮かんでは消えていき、その中には今人界にいる片割れのことや家族も入っている。
もちろん帰れば一番先にユアに睨まれ、洋輔と藤はちょっかいをかけてくるに決まっている。島崎は表立って人を中傷することはないが、心中はわからない。
そして何より家に帰るのが一番怖い。
無断で一週間近く家を空け、きっと母親には泣かれるだろうし、父親にはすごい剣幕で怒られることだろう。怒ったときの父親が一番怖い。
彼の話を口許に指を当てて聞いていた蓮呪は身に覚えのある不安に苦笑を浮かべ、浩輔の肩を軽く叩く。
「まぁ、それはしょうがないだろ。でも心配してるから逆に怒るんだと俺は思うけどな」
自分もいつもセノトを怒らせているので、彼の気持ちはわかる。
初めて怒られたときは何もそこまで怒ることはないだろう、と思ったこともあったが、それは間違いなのだと知った。
もうこんなことはしないでくれ、と願って怒るのだと。
本当に心配して怒るときのセノトの表情がとても悲しそうだったのを、今でも鮮明に覚えている。

なんでいつも一人で無茶をするんだっ。もう俺に心配させるな。

幼い頃から一緒にいた二人はお互いのことを誰よりもよく知っている。
だからこそ、一人で抱え込んでしまう蓮呪を彼は心配しているのだが、いつまで経っても人を優先させる性格は治らないので、以前より責め方がひどくなっているのも事実である。
「大丈夫だって。子供を心配しない親なんていないし、謝れば許してくれる」
覚悟を決めて潔くするのが一番いい。
妙に説得力のある彼の言葉に浩輔は重い息を吐き出してそうだな、と頷く。
「とりあえず帰らないとな」
まずはそれからだ。
彼の覚悟をフィアナと蓮呪は口許に微笑を浮かべて見ると、さっそく街に向かう。



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