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06 : 第六話




第六話「大切なもの」



浩輔は一歩一歩確かめるように、ベッドに横たわって眠っているフィアナに近づく。
一見しただけではただ眠っているようにしか見えないが、実際は徐々に綾夜の血が体内を循環している。
緊張している彼の表情を見ていた蓮呪はひとつ言い忘れたことに気づき、浩輔を呼び止めた。
「浩輔、神言(しんごん)唱える前にいいこと教えてあげる。別に後でもいいんだけどな」
「……?」
「クロカに聞いたかもしれないけど、俺たちが使ってる神呪(しんじゅ)は精霊と契約しているから使えてる。でも守護神の力がないと十分には戦えない」
そこでいったん区切り、蓮呪はフィアナの寝顔に視線を向ける。
穏やかに眠っている顔に、いつも浮かべている笑顔が重なった。
「守護神の神気は宿体が死ぬと、次の宿体に宿るための準備期間に入って眠りにつく。それで次に生まれた宿体に宿る。つまりお前が死ねば、闇の神気は転生してまた次の守護神を造るんだ。でも転生にかかる時間がとても長くてフィアナは前の守護神から四十年待ったんだ」
守れなかった口惜しさをずっと抱えながら、次の守護神が誕生するのを待っていた。
そして浩輔が生まれたのだ。
未だ完全に覚醒していないにしても、ちゃんと彼の中には闇の神気が宿っている。
浩輔は何も知らずに生きていくことを望んでいたが、フィアナは彼を求めていたのだ。
蓮呪の話にじっと耳を傾け、話の続きを待つ。
「でもひとつだけ、転生を待たずに守護神の神気を常に持つことができる方法があるんだけど、どうするかわかるか?」
ふいに尋ねられ、浩輔は考える素振りをするが、答えは出てこない。
彼の表情が一段と真剣さを帯びたことは目に見えてわかっていたので、自分なりに心構えをする。
「神気を守護神から奪うんだ。そうすれば、人間に協力を求めなくても済むし、無意味に傷つくこともない。だから俺はそうした。傷つくのが嫌だったから」
自分勝手なのはわかっているけど、それでももう失いたくなかったから。癒しの神気は戦う以外にも必要だからどうしても守護神の力がいる。
だから蓮呪は守護神の同意の下、神気を取ったのだ。癒しの神気に作用する星の守護神はもう生まれない。
そう言って過去を話す彼の瞳が哀しみの色を映していて、自嘲する。
そして「奪う」という行為が何を示すのかを理解した浩輔の瞳が瞠られた。
「奪うっていうことは……」
喉が凍り付いて次の言葉が出てこない。
確かクロカが言っていた気がする。なんて言っていた?


神気は守護神の心臓だから奪われれば、当然死ぬ。


「守護神の最大の弱点は神気を奪われた時点で死ぬということ。そして神気は宿体に戻らないと、転生することもなく、永遠に自然界を彷徨うことになる」
実際にそのほうがいいのではないかという声もある。
守護神の寿命は短い。それを解決するには守護神を生まないこと。
生まないためには、そのときの守護神から神気を抜き取らなければならない。抜き取るということは殺すことを意味する。それほど優しいものではない。
自分を犠牲に次の守護神を守るか、自分を守ってこれからの守護神にも同じことを繰り返させるか。
そう選択肢を与えれば、ほとんどの守護神は後者を取った。
だから今も守護神の数は減らずに、連鎖は続いているのだ。
「だから、浩輔が協力を拒んでも無理矢理奪おうと思えばできたんだ。その代わり、お前はいなくなるけどな」
でも彼女はしなかった。
その人の命はその人のものだから、自分勝手に奪うことはできない。
そこまで聞いた浩輔はなぜ今になってこんな話をしてくれたのかをようやく理解した。
フィアナには浩輔の力が必要なのだ。頷くことを心の底から望んでいた。でもやっぱり最終的に決めるのは彼だ。
だから彼女はずっと願っていた。
「フィアナは絶対お前を受け入れるよ」
小さい頃から見てきたんだ。フィアナは人の死を十分に理解している。
蓮呪はにっこりと笑って浩輔の背を押す。
されるままに一歩前に出た彼はもう一度フィアナを見て、口許に笑みを浮かべた。
「フィアナ、ごめんな」
掛け布団の上に出された白い手を取り、それを自分の額に当てる。
許さなくてもいい。でも自分はフィアナと行くと決めたから。
「”我は闇。全てを無へと還す力を我の信ずる桜華へと貸し、生命を託す”」
神言とともに浩輔を黒い光が包み、ぱんと弾けた。
ぎゅっと彼女の手を握る自分の手にさらに力を込める。

……俺の力をあげるから。

だから、戻ってきて。
神気は握った手を伝うようにフィアナへ移っていき、やがて黒い光は姿を消した。
刹那、浩輔の手がするりとフィアナから抜け、彼の肢体は後方に傾ぐ。
「浩輔っ」
とっさにレイカは手を伸ばし、彼より一回りは小さい浩輔を受け止める。
異物となる他者の血を浄化するには普通の神言で使われる神気より多いが、それでも気を失うまでは至らない。初めて使った神言でコントロールが利かずに本来の量をより多く消費してしまったようだ。
レイカは彼を横抱きに抱えあげると、蓮呪を見下ろす。
「隣の部屋空いてたよな?」
「ああ、今は誰も使ってない。悪い、レイカ」
彼の意図に気づいた蓮呪は慌てて頷き、部屋の扉を開ける。
廊下には雨涅が控えていて、それにレイカは肩をすくめて見せた。
「もう大丈夫だ。フィア姫も、浩輔も」
「そうですか。では私は長のもとに戻ります」
表情はあまり変わらなかったが、まとう空気が穏やかなものになったのをレイカは気づいていた。
雨涅も肩の荷が下りたようにほうと息を吐き出すと、部屋の中を一度見てから一礼して階段に向かった。
主と同じくらいの少年を抱えたレイカも廊下に出て、ぱたんと扉を閉める。
それを見送った蓮呪は全身の力が抜け、緊張の糸が緩んだことを自覚し、近くにあった椅子に腰をかけた。
もう心配はないだろうが、大変なのはまだまだこれからだ。
「ほんと、お前の守護神は世話のかかる奴が多いな」
にこりと口許に笑みを乗せ、彼女の顔にかかった前髪を払ってやると彼も部屋を出て行った。



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