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05 : 第五話




第五話 「決めた覚悟」



浩輔はただ呆然として立ちすくんでいた。
思考が停止して考えることを拒み、何が起こっているのか理解できない。
目の前で少女が立ち塞がり、その足元には赤い水溜りができていて徐々に大きくなっていく。
綾夜は乱暴にフィアナから腕を引き抜くと、一歩下がって腕についた血を振り払う。
痛みに微かに呻いた少女は支えを失い、力なく倒れこんだ。
「…っこほ……」
咳をするたびに朱色の飛沫が吐き出され、鉄のにおいがせりあがってくる。
かろうじて息のある彼女を綾夜は無感動な瞳で見下ろすと、とどめを刺そうと逆手に持った短剣をフィアナの首に向けて振り下ろした。
息を呑んだ浩輔は次に予想される光景に目を瞑った刹那、突如何かが弾かれる音を聞いてはっと目を開く。
突如召喚された水に彼の刃は弾かれ、弧を描いて地面に突き刺さった。
「綾夜ぁっ!!」
ユアは身を退ける綾夜に立て続けに神気の塊を叩きつけながら、フィアナから遠ざける。
予想外の参戦者の攻撃に綾夜は舌打ちをもらしながら、水の波動を紙一重でかわし、体勢を立て直す。
「……ユ、ア…」
ぎりぎりのところで意識を繋ぎ止めているフィアナは感じた水の神気に、必死に首をもたげるが、視界がかすれて彼の姿を正確に捉えることができない。
ユアは今綾夜と交戦中だ。ここで意識を手放せば、浩輔を守ってくれるものはいなくなってしまう。
フィアナはうまくできない呼吸を懸命に繰り返し、気持ちを落ち着けると消え入りそうな声で神呪を紡ぐ。
「”さ、くらに舞かれ、我に堕ちる……全てのもの、を…桜の……華より、夢へと誘え。力の全てを、我の精霊へと、託す……。瞬、桜……李紗っ(しゅんおうりしゃ)”」
残りわずかな最後の神気の全てを神呪に宿し、フィアナは覚悟を決めて叫ぶ。
「”我の精霊よ、我が願いのもと具現化し、この言葉を代行しろっ。桜珠召喚っ!”」
ふいに温かい風がゆっくりと吹き、彼女の小さな身体を淡い桜色が包み込む。
「……レイカ、あの子のこと頼むね……」
フィアナの内から光の珠が離れると、だんだんと人の形を造っていく。
もう意識が途切れそうだ。
彼女はその様子を視界の隅で認め、安心したようにほうと息を吐き出すと、ゆっくりと瞳を閉じた。
「フィア姫っ!」
姿を現した桜の精霊は主の血にまみれた身体を抱き起こす。
黄朱(おうしゅ)の髪は襟足より短めで、横髪の一房は山吹色をしている。
くすんだ緑色の瞳は焦燥に彩られ、端整な顔立ちが口惜しさに歪められる。
袖のないフードつきのパーカーは真っ白で、胸元にある細いリボンが微かに揺れていて腕には透き通ったうすい桜と同じ色の長い絹布が巻きつけられていた。
光から出てきた青年は彼女の口許に手をやり、険しい表情をする。
微かに呼吸は感じられるが、それもいつまで持つかわからない。
「……レイカ?」
綾夜に集中していたユアも一際強くなった桜の神気に軽く目を瞠るが、精霊の姿を認めるとほっと息を吐き出す。彼に任せておけば心配はないだろう。
あとはこいつをどうにかするだけだ。
ユアは敵を睨みつけると、もう一度神経を集中させる。
「ちっ、精霊を呼びやがったのか……っ」
状況をどう見ても、形勢は圧倒的にこちらが不利だ。
顕現した精霊を見た綾夜は忌々しそうに舌打ちを洩らすと、視線をユアに戻す。
「”四散し、血の雨を降らし針のように突き刺され 血雨”」
未だ流れている血のついた腕から雫が浮き上がり、それは一斉にユアに向かった降り注ぐ。
それを鋭く見定めた彼は素早くかわしながら、片手に水を召喚していっきに間合いを詰める。
「”水龍にこの力を与え、ここに召喚する。津波のように呑み込み、死へと誘え。天藍水W(てんらんすいき)”」
具現化した大量の水は神呪とともに龍へと形作っていき、雨を相殺しながら突進していく。
「…なに……っ」
感じる神気が今までとは桁違いで、綾夜は驚愕する。
守護神の力を借りたか……。しかしここまで力を増すとは。
彼は迫り来るあぎとを開いた龍を見据えると、防御の体勢に入った。
「……ぐっ」
激しい衝撃が彼を襲う。
綾夜を呑み込んだ龍はそのまま姿を消し、彼の細身の身体は衝撃になす術もなく後方に吹き飛ばされる。
その先には高い岩肌があるが、体勢を立て直すこともできない。
次に来るであろう衝撃に覚悟を決め、とっさに目を瞑るが、予想とは違う感覚が自分の背に軽く当たった。
「………!あいつは……」
突然現れた人影にユアはこの上なく目を瞠る。
自分は彼を知っている。いや、覚えていないわけがない。
「……葵」
綾夜は自分を受け止めてくれた背後の青年を見て、苦し紛れの笑みを浮かべる。
「まったく、お前はいったい何をしてるんだ」
目を覆うほどの長いきらめく銀髪の男は呆れた風情で息を吐き出し、軽く彼を睨みつける。
神気を纏ってゆっくりと着地した葵は綾夜から離れ、藍色の瞳をフィアナに向けると続いてレイカとユアに視線を滑らせ、状況を確かめる。
ふいに青い髪の少年が視界に入った。人間であることは一目瞭然だ。
それに覚醒しきっていないが、確かに闇の神気の波動を感じる。

あの人間が今回の闇の守護神か。……変わらないな。

なぜいつも闇の神気を持つ人間だけが、協力を拒むのか。
しかしそれは自分の意図するところではないので、興味のない葵は視線を仲間に戻し、それに気づいた綾夜は肩をびくりと震わせる。
大方こちらが不利のようだ。
それにまだ綾夜を失うわけにはいかない。
「綾夜、戻るぞ。この状況で戦ってもあの時の二の舞になるだけだ」
あれほどの傷だ。助からない確率のほうが高い。
綾夜の目的は達したはずだ。
納得いかなさそうな表情をしていた綾夜だが、葵は有無を言わさずに彼の腕を無理矢理引っ張ると、小さく神呪を唱える。
二人の周りを小さな稲妻が走り、ユアたちには目もくれずに瞬く間に姿を消した。
「なんで、葵が……」
どうして、よりにもよって綾夜と組んでいるのだ。
しかし今はそれを悠長に考えている暇はない。
急いでフィアナのもとに駆け寄ると、その傍らに片膝をつく。
「おいっ、フィア!しっかりしろ!!」
レイカに抱かれている彼女の紙のように白い手を握り、必死に呼びかけるが、依然として浅い呼吸を繰り返しているだけだ。
幸いなことに致命傷の軌道はずれているにしても出血が多い。
「とにかくあいつを呼ばないと」
この状況を打破してくれるのは、白界にいる癒しの神気を持つ彼しかいない。



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