≫ No.5

02 : 第二話



☆☆☆
昼間は賑わっていた街も静けさを取り戻し、電灯だけが虚しく光っている。
街を抜けた山奥へと進んでいたセノトは微かに感じる神気を辿って、注意深く山道を進んでいく。
ほんのわずかな気配で属性までは感じ取れないが、探していた神気である可能性は非常に高い。
奥に進むにつれてだんだんと道の区別がつかないほど険しくなっていくが、彼はそれを難なく進み、茂みを出たところで立ち止まった。
洞窟だ。高さはだいたい二メートルといったところか。
「この中か……」
暗い洞窟の中から神気の気配が漂ってくる。
セノトは迷いもなく、その洞窟に一歩足を踏み入れた。
外は月夜で少なくとも辺りが見える程度には明るかったが、中は光を通さず完全な闇の中だった。
それなりに夜目は利く方だが、さすがに今回は全く見えない。
彼は小さく息を吐き出すと、右手に神気を集め、短く神呪を唱える。
神気によって起こった微かな風に彼の前髪がふわりとなびき、前にかざした手に満月のような光の玉が現れた。
一瞬にして見通しがよくなるが、それでも奥までは光は届かず、どこまで続いているのかはわからない。
しかし、自分の周りさえ照らしていれば問題はない。
足場の悪い道を慎重に進んでいくと、やがて行き止まりに達した。
途中に主だったものはなかったし、中も一本道だった。見落としているはずはないのだが、それらしいものがない。
行き止まりになった壁に光をかざしたセノトは岩が不自然に突き出しているのに気づいた。
何かを祀っていたのか、その岩には小さな窪みができていた。
「……癒しの、神気の跡……?」
それに触れてみたセノトが感じた微かな神気の残滓に軽く目を瞠る。
間違いなくこの場所に神気の欠片があったのだ。しかしそれが無いということは、あいつに先を越されたか。
「……ちっ」
セノトは珍しく舌打ちをもらすと、身を翻す。
まだ近くにいるかもしれない。取り返さなければ。でないと、彼の神気は永遠に戻らない。
洞窟の外に出ると、闇に包まれた夜空に月が異様に輝いていた。
人間の時間の感覚はわからないが、だいたい十二時を過ぎた頃だろうか。
辺りを見渡したセノトは最大限に神経を研ぎ澄まし、できる範囲で奴の神気を探る。
「黒界に戻ったか……」
この近くに自分以外の神気は感じられない。
おそらくは黒界に戻ったか、神気を感じられる範囲の外にいるのだろう。
やはり守護神の力がないと、満足に神気を探すこともままならない。
セノトはほうと息を吐き出し、諦めようかと考えていた刹那、一切感じなかった神気が突如現れ、セノトの肩がぴくりと反応する。
「……!」
忘れるわけがない。彼の親友の神気を破壊し、瀕死の重傷を負わせた奴。
セノトの目的を邪魔する血の神気を持つ男。
「遅かったな、セノト」
彼はゆっくりと後ろを振り返り、滅多にない鋭い視線を背後に立つ人影に向ける。
雲ひとつない空に浮かぶ満月の光で、闇に目が慣れると昼のように視界は開ける。


その漆黒の中でも鮮やかに映る緑玉の髪は腰を遥かに超え、上半分だけを結っている。
瞳は右がブルークォーツ、左がフィアナと同じ紅のオッドアイ。
セノトとほぼ同じくらいの年頃ではあるが、明らかにこちらのほうが華奢で、女性と見間違うほどだ。
人間の衣装と似ている七分袖の服に腰には同じような長袖の服を巻いている。


「やっぱ、人間の力がないと何もできないんだな。あいつの神気もこんな近くにあったのに」
「……綾夜」
嘲笑を浮かべる綾夜にセノトは悔しさのにじんだ表情でくっと唇を噛む。
彼の言うとおり守護神の神気がなければ、満足に力を使うこともできないし、波動を感じる範囲は限られてくる。
これほど近くにあったというのに、気づかなかった自分に腹が立つ。
自分の身体に残された時間はそう長くないというのに。
まだその兆候は見られないが、いつかは身体機能が低下し、壊れると言われた。自分の中の血が自分を殺す。
その前にせめて壊れてしまった癒しの神気を取り戻してやりたい。
前回は守護神がいたから、綾夜から奪われた破片を取り返すことができたが、今はまだあの少年の力は仰げない。
ひとりでは何もできない脆弱な自分が口惜しい。しかし。
「それでも、あいつのために……」
待っている親友のためにも今はやるしかない。
戦闘態勢に入ったセノトを眺めていた綾夜はその様子に口端を三日月のように吊り上げる。
「お前だけじゃ、俺に勝てないだろ」
「やってみないとわからない。”月光、影のもと姿を現せ、すべてのものにその光を浴びせろ 月蘭(げつらん)っ”」
刹那、本来見えない月光の粒子が集まり出し、いくつもの珠へと姿を変えていく。
彼の周りにそれが浮遊し、合図を送ると一斉に綾夜に向かって突進する。
「そんな力じゃ、傷ひとつつけらんねぇよ」
人目でわかる弱い神気に綾夜は残虐な笑みを浮かべ、造作もなくかわすと反撃する様子もなく、再びセノトの目の前にひらりと着地する。
「やっぱりお前らは守護神の力がないと、神気すら安定させれないんだな。いっそのこと殺して奪えばいいのに」
人間から神気を奪うことも彼らにはできる。しかしそれをするということはその人間を殺すということになる。
彼は一際優しい笑みを浮かべると、セノトの翠玉の瞳を見る。
「俺は、お前みたいに人は殺さない」
苦し紛れに吐いた言葉に綾夜はファイネルの少年に笑いかける。
「人は殺さない、か。母親を殺したのはお前だろ?」
「………!」
風に掻き消されるほどの小さな言葉を注意深く拾ったセノトはその言葉の意味を理解した瞬間、彼の瞳が音を立てて凍りついた。
どうしてそれをあいつが知っているんだ。
動揺する彼に綾夜は風に遊ばれる髪を手で押さえながら、くすりと笑う。
「まぁ、俺はお前が人を殺していようが関係ない。強い奴と戦えればそれでいいし」
彼は身を翻すと、一瞬のうちに姿を消した。
そのあと、綾夜の血の神気はもう近くにはなかった。
今追っていったとしても自分には勝てるだけの力はない。返り討ちにされるのは目に見えている。
セノトは悔しそうに顔を歪めると、藍色よりなお深い闇夜の空を振り仰ぐ。
確かに母親を死なせたのは紛れもなく自分だ。しかしそれは彼女の意思であって、おそらく自分でも覆すことはできなかった。
自分のために命を賭けてくれた彼女が残したこの命を、自分も命を賭けて他の命を守る。
それが、自分を生かしてくれた母親への償いだ。



第二話終わり



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