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13 : 第十三話




第十三話 「恋をする気持ち 後編」



ユアと杏里が学校に到着したのは、ちょうど一限目の授業が終了した休み時間の頃だった。
もちろんクロカは杏里のことよりサボったユアとケンカになり、島崎に止められたのは言うまでもない。
ようやく登校してきた親友にあみは肺が空になるまで安堵の息を吐き出した。
「すごく心配したんだからね」
そう言って杏里の額を軽く指弾した。
本来ならば遅刻するといっても連絡の一つもあったものを、何の知らせもないといらない心配をしてしまう。
でも無事であったならよかった。
「ご、ごめんね、あみ」
そこまで心配させていたとは知らなかった杏里は弾かれた額を右手で抑えながらも、申し訳なさそうに謝る。
そんな彼女の様子にあみは瞬時に何かを感じ取った。杏里の様子が少し違う。
いつものあみなら心配していたのに当の本人は楽しくデートしてたんだ、とからかっていたに違いない。杏里も言われるだろうと思っていたが、予想外に何も言及されず、それだけであみにはわかってしまったのだと悟る。
なら、隠していても仕方はない。
「ねぇ、あみ」
あみはどう言葉をかけて良いのか、掴みあぐねていると杏里が先に呼びかける。
「昼休みにね、私の話聞いてくれる?」
遠慮がちに言われた言葉があみの心に大きくのしかかった。
自分の心も杏里に伝わってしまっているし、彼女の心もまた自分に伝わった。少しでもわかったしまったから、杏里の辛さはわかる。
「えぇ、いいわよ」
杏里が頑張っているのに、ここで自分が逃げては駄目だ。即答で頷くと、はたと何かに気づく。
「霜月はどうする?」
一応クロカも杏里の想い人の存在は知っているのだが、こればかりは多くの人に話すべき事柄ではない。本人の意向を尋ねると杏里は小さく頷く。
「クロカちゃんにも聞いてもらいたい」
「わかったわ」
辛いのは自分よりも彼女のほうだ。
彼女が決めたことであるのなら、自分がとやかく言うことはできない。
臆病で引っ込み思案だった杏里。今まで異性と関わったことのない杏里。初めての経験がどうしてこんなに辛いことになったのだろうか。
でもこれで終わりじゃない。この恋がどんな結果であるにしろ、杏里は確実に成長している。
「ありがと、あみ。じゃあ、次移動だから教室戻るね」
「ええ、昼休みにね」
あみは手を振ってくれる親友を笑って見送ると、姿が見えなくなってからほうと息を吐き出した。
彼女の口から告げられる言葉を想像するだけで、気持ちが暗くなってしまう。
しかし可能性としては許容範囲内なのだ。ただ、経験が極端に少ない杏里にはとてもとても辛いことだ。
どうして人の気持ちはこんなにも難しいものなのだろうか。



昼休み、いつもより昼食を早く摂り、中庭に移動した三人は日が当たらない木陰に腰を下ろした。
夏のこに季節、昼食を外で食べようとする生徒はいないようで、中庭には人の姿はなかった。
杏里は膝の上で手を握り合わせ、俯いたままだ。
彼女が口火を切るのをあみが待っていると、その前にクロカが先に口を開いた。
「話って何?」
直球過ぎるその一言にあみが非難の瞳を向けてきて、杏里の肩がぴくりと反応した。
クロカとても彼女の様子には何かを感じていたし、それが何なのかはうすうす気づいていたが、ここで沈黙していてはわからない上に始まらない。それにきっかけがあったほうが話しやすいのではないか、というクロカなりの配慮の一言でもあるのだ。
顔を上げた杏里は一度深呼吸をしてから、おずおずと口を開いた。
「……私、もうやめようと思うの。初めて好きっていう気持ちがわかったけど、すごく……すごく辛くて」
もう疲れた。胸がすごく痛くなる。張り裂けそうなほど。
どうして好きになってしまったのだろう、と思うことがある。
一番初めに廊下で助けてもらったとき、それがきっかけで気になり始めた。でもそれ以上には何もなく、ただ遠くで見ているだけでよかった。そのままならこの想いがこれほどまでに膨らまなかったはずなのに。どうして歯止めが利かなくなったのだろうか。
堪えきれずに杏里はまた下を向く。
小学校からの親友は辛い思いを吐露した彼女に真剣な視線を向ける。
「本当にそれでいいの?杏里はそれで後悔しない?あのね、杏里に好きな人がいるように相手にもそういった人がいるの。同じ人間なんだから、それは当たり前のことなのよ」
もとより両想いである確率なんて奇跡に近しいものだ。必ず想いが通じて応えてくれるなんて架空の話の中のことである。
厳しいが誰よりも自分のことを思ってくれている親友の言葉も杏里にはわかっていることだ。しかしどこかでそんな少女漫画の話ような結末を信じていたのかもしれない。
間髪入れずに問い返された杏里はしばしの間、口を噤む。
その様子をクロカは口を挟むこともできず、ただじっと見つめていた。
初めから知っていたのだ。彼女の想いにユアは応えられないことを。たとえ彼に大切な人がいなかったとしても、彼はファイネルで杏里は人間なのだ。どう考えても、種族の壁は越えられない。
置いていかれることをこの上なく嫌うユアはおそらく杏里の気持ちには応えられない。
だったら初めから知っていたのにそれを隠してきた自分が、今ここで慰めの言葉を言う資格はないし、そんなものは彼女には何の助けにもならない。
クロカはただ沈黙しているしかなかった。
「後悔しない?しないなら、私は別にやめてもいいと思う。杏里の問題だし、もしも杏里が頑張るっていうなら私はいつでも助けるわ」
最終的に頑張らないといけないのは本人なのだから、いくら周りが意気込んでいても意味はない。
再度問いかけられた質問に杏里はふるふると首を横に振った。
「………後悔しないわけない」
このまま中途半端にやめてしまえば、おそらくこの先後悔すると思う。
でも今は後悔より胸が痛むのを何とかしたい。何もかもを放り出して、楽になりたい。
振り絞られた声はとても消え入りそうで、あみは肩をすくめた。
「葉月くんが誰を好きであろうと、杏里は自分の気持ちを伝えるべきだと思うわ。だって、まだわからないじゃない。葉月くんの意識は別の子に向いてるかもしれないけど、その子が葉月くんに向いてるとも限らない」
初めから両想いなんてありえない。しかしその中で気持ちを相手に伝える伝えないかで、これからが変わっていくとあみは思っている。
実際クロカもあみの意見には賛成だった。彼女の言葉はユアの今を正確に掴んでいる。
「そうよ、何も気持ちを伝える前から諦めるものじゃないわ。気持ちを伝えた上で諦めるのなら、きっと後悔もしないと思うしそれが最善だと思うわ」
それにユアなら杏里の気持ちをきちんと受け止めてくれる。
あいつのことだからすごく悩んで応えると思う。それが想像できてクロカは内心で笑みを浮かべた。
しかし決めるのは杏里なのだから、彼女の返答を待つ。
「……そう、だね。このまま終わっちゃったら、ずっと後悔しそう」
駄目元でもいいから、自分の気持ちを伝えれば少しは変わるかもしれない。
それでも気持ちを伝えることには決めかねているようである。
事実が怖いのだ。気持ちを伝えたあとが。
ユアの気持ちを知らないよりは知った後の今の方が傷つく度合いだ小さいだろうが、どちらも辛いことに変わりない。あの言葉をもう一度聞くことになったら、自分は平静を装っていられるかわからない。
どうしようか本気で迷っている杏里にあみは手を差し伸べる。
「明日の休みにさ、みんなで遊びに行こ」
「………え?」
意図が掴めなくて聞き返した杏里にあみはにこりと微笑む。
「目的は告白だけど、ちょっとは気分転換程度にさ出かけてみるのもいいと思うわよ。大丈夫よ、私たちも行くし」
機会は何もそのときだけではないので、もしも怖ければ逃げてもいい。
突然の提案に杏里は返答ができない。それを見かねて親友は苦笑を洩らした。
「まぁ、杏里が嫌って言うなら無理にとは言わないけどね。それに案外考えが変わるかもしれないわ」
人の心など全部が曝け出されているわけではないのだ。まだ杏里の知らない彼の一面がある。それは杏里にも言えることだ。
誰も他人の気持ちなど全部理解することは不可能なのだから。
だからもう少し相手のことを知ってから、自分の気持ちをもう一度考えて見ればいいのではないだろうか。あみはそう考えている。
そう考えると、彼女の言うことも一理ある。
「……うん、わかった。私がんばってみるよ」
「よし、えらいぞ」
ようやく少し明るくなった杏里の表情にほっとしたあみは小さい子どもにするように、彼女の頭を撫でた。
「それじゃ、葉月くんには霜月から言っといてね。で、当然あんたも来るんだからね」
「まぁ、しょうがないわよね。乗りかかった舟だもの、最後まで付き合うわ」
ユアに伝えなければならない役目が自分であるのは大いに納得がいかないが、これも杏里のためならやるしかない。
片目を眇めて頷くクロカに杏里は礼を言った。そしてあみにも。
「本当、ありがとう」
ここまでしてくれて、自分のことのように痛みを感じてくれて、その気遣いがとても嬉しい。
おそらく二人がいなければ行動にすることもなかったし、一人で悩んで苦しんでいたに違いない。
きっとこれがきっかけで自分は変われるのだ。良い方へと。
もう一度礼を言った杏里の両頬をクロカは包み込むように手を添えると、綺麗な笑みを浮かべる。
「友達だから当然よ。頑張りなさいね」
心では矛盾しているけれども、本心は杏里に頑張ってほしいのだ。たとえ自分の知る結末と同じ結果になったとしても、彼女には後悔をしない選択をしてほしい。
どれほど願っても叶わない夢でも、後悔がない選択をすることでまた道が開くことを。
そのときちょうど昼休みが終わるベルが校内に響き渡り、三人は校舎へと入っていった。



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