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11 : 第十一話




屋上で話題となっているとは知らず、教室に戻った浩輔は待ちくたびれたといった体(てい)の結陽に出迎えられた。
「おっそい、浩輔」
「ごめん。で、用って何?」
「もう終わったよ。浩輔来ねぇんだもん」
まったく、と横目で睨まれ、浩輔は苦笑いを浮かべる。
そうしてなぜか結陽は浩輔の席に座り、それに抗議しようとしたが諦めて前の席を借りて腰を下ろした。
結陽は片手で頬杖をつき、浩輔を若干見上げる形で問いかける。
「なぁ、あの転校生と仲よさそうだけど、知り合い?」
そう言いながら、彼は扉のほうに視線を向けた。
その先を追うようにして見ると、戻ってきた際にクラスの友達に捕まり、現在彼女たちと話しているフィアナの姿があった。
結陽の質問に苦虫を噛み潰した顔をした浩輔は考える素振りをする。
ここで不審な回答はできない。それに結陽にだけは嘘をつきたくないというのもある。
「……まぁ、知り合いかな」
どうも歯切れの悪い返答をするが、結陽は別段気にした様子もなく、ふうんと納得するだけだった。
どうして自分の周りには深く追求してくる人がいないのだろうか。それはそれでありがたい話だが、少しは疑問に思うことはないのだろうかと思う。
まぁ、単純である彼はフィアナ本人に真偽を問うような真似はしないし、それに嘘はついていない。
「結構かわいい子じゃん」
ふいに彼はフィアナを見て言った。
「……は?いやいやいや、やめといたほうがいいと思うよ」
親友の衝撃的な発言にさしもの浩輔もとっさに聞き返しそうになる。
彼女に愛の告白をするや否や、切り刻まれてしまう。そしてたった今その宣言を聞いてきたところなのだ。
彼なら絶対に実行しかねない。
全力で否定する浩輔に結陽は首を傾げる。
「なんで?」
「もうとにかく非常識で、洋輔と手組んだら最悪」
ユアに切り捨てられるから、と言いたいところだが、言えるわけもない。
しかし彼はその光景を想像したのか、ふっと吹き出して憐れむような眼差しを向けてきた。
「お前が言うとなんか説得力あるような。たしかに如月って見た目天然そうだもんな。まぁ、洋輔の餌食にならんように気をつけてやれよ」
そう言って、浩輔の肩をぽんと叩き、その忠告にほうと息を吐き出した。



☆☆☆
「葵、戻ったよ……」
錆びれた扉がきいと音を立てながら開き、いつもの頼りない様子で柚が顔を出した。
待機というよりほぼ休息といった様子の葵と綾夜の視線が一斉に彼女に注がれるが、綾夜は柚だということを確認するとすぐに顔を逸らした。
「何か変わったことはあったか?」
「……え、っと……。学校に、通うみたい……」
「……?それはクロカたちが、か?」
彼女の言葉の意味が呑み込めなかった葵は見当をつけて尋ねてみる。
その指摘に言葉足らずだったことに気づいた柚は慌てて頷き、説明を付け加えると最後に小さく謝る。
制服を着ていて授業を受けていたので、おそらくは間違いではないだろう。
柚に謝るな、と苦笑混じりに言って、葵は考える素振りをする。
「メンドーなことしてんだな」
黒界に学校という施設はないが、少しばかりなら知っている。しかし自分には一生関わりのない場所であることも確かだ。
綾夜の顔が心底嫌そうに歪められた。
「さてと」
「どこに行く気だ、綾夜」
立ち上がった綾夜に葵は剣呑に目を細めて問いかける。
「ちょっと出てくる。……そんなに怒らなくても人界には行かねぇから」
こちらをじっと見てくる彼の瞳を見返し、罰の悪そうな顔をして踵を返す。
部屋の扉を開けると同時に青年の声が再び聞こえた。
「あまり問題は起こすなよ。お前の場合治癒能力が乏しいのだからな」
血の神気は宿主の治癒能力をすさまじく低下させる。それが最強と呼ばれる神気の欠点の一つ。
怪我を負えば常人の二、三倍は治りが遅くなる。
葵はそれを危惧しているのだが、当の本人はその忠告を後ろ手に手を振って廊下に出た。
ぱたりと扉が閉まると、彼の身勝手さに葵は疲れた風情で息を吐き出した。
柚も綾夜が出て行ったほうをじっと見つめていた。
「柚、どうした?」
頼りない瞳をしているのはいつものことだが、今は少し違って見えた。どこか寂しそうな儚げな色を宿している。
問いかけると柚ははっと我に返り、彼のサファイアブルーの瞳を見上げてから視線を逸らす。
「…ごめんなさい、何でもないの………」
「……そうか」
頷くが、彼女が懸念していることを葵はわかっている。
綾夜が柚を苦手としていると同時に柚も綾夜が苦手である。お互いに嫌っているわけではないが、どうしても相性が合わないらしく、柚が近くにいると彼は極力遠ざかろうとする。
嫌いで避けているわけではないとわかってはいる。しかしどうしても考えてしまうのだ。
私はここにいてはいけないのだろうか、と。
葵に言えばおそらくそんなことはない、と苦笑を浮かべることだろう。
でもやっぱり避けられるのは心が痛い。
落ち込む柚の肩に手を乗せると、それに気づいた彼女はおずおずと視線を上げた。
「別に嫌っているわけじゃない。あいつは好き嫌いが激しいから嫌いな奴と一緒にいるということはしない。それにあいつは一人がいいようだからな」
綾夜は自分を偽ることが下手だから、気持ちはすぐに表に出る。そんな態度を一度も示していないのだから、柚のことは嫌っていない。ただ、興味がないだけで。
だからそんなに気負う必要はない、と安心させるように優しい笑みを浮かべると、柚も薄く微笑んだ。
出会ったときから綾夜は変わっていない。おそらく独りでいることに慣れきっているのだろう。
彼は戦いの中でしか存在意義を見出せない。存在を保てない。それは幼い頃から叩き込まれた教えのせいなのだろう。
なんとも哀しいことだ。
とはいえ、どれほど気にするな、と言ってもやはり気になるのか、扉を見つめる柚と同じように見て葵は小さく肩をすくめる。
仕方がないと言えばそれまでだが、綾夜はもう少し他人のぬくもりを知るべきである。愛情を知らなさ過ぎるのだ。
葵は扉の向かいに備えられた窓辺に移動すると、そこから小さく映る黒界の中心都市を見る。
黒界は技術に溢れた世界。いらないものは切り捨てる。この廃屋も以前は何かの工場だったのだろうが、時代とともに廃棄されたのだろう。
他より高い位置に建っているので、街の様子がよくわかる。白界とは正反対の世界だ。
「あいつは何を考えているんだ」
ふいに呟かれた言葉はけっして柚に対するものではない。
なぜ人間の群れに自ら入っていく必要がある。縛りがある中でいったいどうしようというのか。
もしかすると、人の子に情が移ったのかもしれない。
となれば早急に手を打つべきか。
「……葵」
窓の外を見ながら不穏な空気を醸し出す青年に柚は遠慮がちに呼びかける。
彼女を振り返り、頭に浮かんだ考えを打ち消すと同じように窓辺に移動してきた自分を見上げる紫苑の瞳を見下ろす。
柚の表情を見て彼の気持ちも幾分落ち着いた。
「もう少し様子を見るか」
まだ断言するのは早い。
彼が何を言っているのかを正確に読み取った彼女は無言のまま葵を見つめる。
葵はずっとあの子の様子を窺っている。彼女が自分の力を上回る強さを手に入れる瞬間を。
彼の望みは唯一つ。七十年前、彼女の大切なひとを奪った罪を償うこと。それには命をもって代償とする。
早くお前の手で罪から解放してくれ。
しかし、もしも憎悪が薄れていくようなことがあれば、そのときは………。
葵は脳裏に一人の少年を思い浮かべ、そして瞬時に掻き消した。



第十一話おわり



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