≫ NO.2

00:プロローグ



もうすでに歯車は回り始めている。少しずつ、しかし確実に終焉へと。

ここは全く人の気配が感じられない。
戦闘があったように、かつては家であった建物たちは無惨に崩れ、大地のあちこちには大きな穴が開いてひび割れている。原形を留めている建築物は、ほとんどないに等しかった。
この街は死んだ。一年前のあの時に。
街の真ん中に積まれた瓦礫の上に漆黒の影が一つ、腰を下ろし、手に持った風車が風に回るのを面白そうに眺めている。髪も服も全身が黒で統一されているのに対し、男の瞳は紅く、不気味に輝いていた。
男は自分の瞳と同じ色の風車から視線を外さずに口許に笑みを浮かべると、まるで歌うように小さく言葉を紡ぐ。
「運命から逃れることなんて出来ない。みんな生まれる前から決められた自分の道に従って生きるしかない。君もわかってるんだろう?レイナ。そんな罪を償うような無意味なことはやめればいい。あれは必然だったのだから」
今、確かに彼女はこの人間が住まう世界へと現れた。自分が良く知る人の形をした武器。
彼はゆっくりと空を振り仰ぐ。
真っ青な雲ひとつない五月晴れで、暖かな空気が流れている。しかし彼の真紅の瞳の先には、青空など映されてはいない。
ただただ残忍な光を宿しているだけだ。

この世界は嫌い。皆が自分勝手で、人のものを奪っては争う。
そんな世界、退屈で退屈で堪らない。

「いくら頑張っても何も変わらない」
脳裏に幼い少女の姿を思い浮かべて、懐かしむように目を細める。
もうあれから一年になる。以前は邪魔が入り、失敗したが、今度は必ず世界を壊してあげよう。自分達がしてきたことを、後悔させるために。
人がどれだけ頑張っても、死を止めることはできないし、そのときは呆気なく終わる。それは自分も同じ。なら、道連れにしてやる。
男はすっとその場に立ち上がると、ふいに吹き付けてきた風に丈の長い漆黒の服の裾が大きく翻り、顔にかかる前髪を鬱陶しそうに掻き揚げる。
手近にある瓦礫に狙いを定め、手の中でかたかたと音を立てながら回る風車を投げつける。

この世界は間違っている。俺にしたこと、身を持って後悔させてやる。

風車はコンクリートの瓦礫にも関わらず、易々と突き刺さり、その部分から暗い闇が侵食を始めてだんだん大きくなっていく。
男は無感情な瞳でその様子を見守り、暗い笑みを浮かべる。

どのみち世界はもうすぐ潰れる。足掻いても無駄だ。きっと、人間は生まれてきてはいけなかったのだろう……。

やがて闇は適当な大きさまで膨らむと、そこから五体の黒い獣を吐き出す。

どうせ、この世界の命は助からない。自分の命もとうに……。

「だったら、苦しませずに一思いに壊した方がいいだろう?俺とお前は一度は契約をしたんだ。知らない振りはさせない」
男は残虐な笑みを浮かべ、形だけで人形のように動かない獣に右手を差し出す。
その手にほうと黒い光の玉が現れ、獣の数に分裂する。ふわりと宙に浮き、獣の中に吸い込まれていくと突然、命を吹き込まれたように今まで何も映していなかった瞳に、殺意の光が宿る。
彼がぱちんと指を鳴らすと、獣は弾かれたように四散し、一瞬のうちに姿を消した。
「さて……」

レイナが動き出したし、俺も行くか。レイナ、俺から逃げられると思うなよ。

男は優しく微笑むと、街の出口に向かって歩き出す。そして数歩歩いた後、彼の姿は風に紛れて忽然と消えた。



二年前のあのときからすでに世界は動き始めている。
誰も運命から逃れることなどできない。歯車を止めることさえ叶わない。
生きる人全て、ただ生まれる前から定められた道に従って、ただ命を終えるだけだ。



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