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00:プロローグ



彼はいつも口癖のように言っていた。
「運命は生まれる前から決まっている。絶対に変えることはできない。ただ定められた運命を正直に辿っていくだけ」
そう言う彼は本当に悲しそうで。
でもわたしは力にはなれない。わたしの大好きなこの世界を君は壊そうとしているから。
あの人が生きた、この世界を壊さないで。



そうして、わたしは彼を殺してしまったんだ。





プロローグ「始まりと終わり」



常時静寂を保っている建物の中に、ばたばたと慌しく走る足音が一つ響き渡った。
「レイナ……っレイナっ!待てって!!」
数メートル先をゆっくりと歩く少女の後を慌てた風情の少年が追いかける。
その先には桃色のリボンでゆったりと結われ、背中を流れる黒髪を揺らしながら少女は気づかぬ様子で歩みを進める。小柄な身体で、年の頃は十四歳程度だろう。
ようやく追いついた赤髪の少年は呼びかけながら彼女の腕を引っ張った。
「レイナっ」
「わ、リアン。びっくりした…」
突然腕を掴まれ、青と緑の大きな瞳をさらに大きく見開く。
しかしその先にいたのが自分の良く知る仲間であるとわかると、オッドアイは不思議そうな色を写す。
リアンは肩で息をしながらも呼吸を整えると、真剣な瞳を彼女に向ける。
「レイナ、やっぱりお前一人じゃ危ない。一年前のこと忘れてねぇだろ?」
訴えかけるように、彼はなるべく穏やかに語りかける。
リアンの話の意図を正確に読み取ったレイナは悲しそうに目を細める。
わかっている。
自分の浅はかな行動が、一年前の悲劇を呼んでしまったのだ。
彼が心配するのもわかる。しかし。
「でも、わたし行かないと……」
戸惑うように彼女はリアンの綺麗な空色の瞳を見上げる。
フレイズの寿命は平均して二十と言われている。しかし人間の世界に散らばっている「ユヴェール」と呼ばれる石に込められた魔力を糧にすることで、その寿命を延ばすことができるのだ。
ゆえに彼らは十を過ぎるとそれを探しに人間界へと旅立つ。
今回もレイナは未だ集め切れていないユヴェールを求めて、人間界に行こうとしているのだった。
「それはわかってる。だからせめて一週間待ってくれ」
リアンはどうしてもレイナに、一人で人間界には行ってほしくない。
現在彼は謹慎を言い渡されているので、稟界から出る以前にこの街からも出ることは許されていない。当然レイナに同行することもできない。
その理由を彼女は知っている。
「だ、だめだよ。だって、リアンけがしてるし……」
わたしといるとまた、しなくてもいいけがをしてしまう、と言いかけてふと喉の奥に押しやる。
それを言えば彼は哀しそうな瞳で怒ることを知っているから。
小さく言って、レイナは自分の腕を掴む彼の腕に巻かれた白い包帯に視線を落とす。
数日前だった。彼が満身創痍の状態で人間界から戻ってきたのは。
本来フレイズはユヴェールを探しに行く以外、人間の世界に足を運ぶことはない。
リアンも寿命を延ばす魔法石は探し終えた一人なのだが、あえて人間界に赴いているのはレイナの手助けをするためである。しかしそれをレイナには話していない。
「こんな怪我、たいしたことねぇよ。俺は自分で戦える、でもレイナは魔法が使えないんだ。人間界には魔獣もいる。あれから被害はけっこう出てるんだ」
「………」
レイナは最後の二つの言葉に俯く。
人間界には「魔獣」と呼ばれる魔力から造られた獣が生息している。それらは魔力を糧に生き、フレイズやユヴェールの魔力を狙っている。
リアンもそれらと戦闘になり、深手を負って帰還した。いつもなら彼ほどの力を持った者であれば傷を負わされることはないのだが、ここ数日で以上に魔獣が増殖し始め、一体一体が強い力を持っていて、同じユヴェールを探しに人間界に降り立ったフレイズの何人かが被害に遭っているということだった。
彼の場合、謹慎という名目での安静と療養である。
そして自分が戦うことができないことに、レイナは唇を噛む。
「……でも、わたしは一日も早く、本当のことが知りたい。ユヴェールを集めないといけないけど、わたしが人間界に行くのは……」
そこでレイナは言葉を切る。この先が言えない。
これほど心配してくれてるのに、人間界に行く理由が私的すぎる。
リアンは盛大に息を吐き出し、乱暴に前髪を掻き揚げる。彼が何かに妥協する際によくする癖である。
「わかった。その代わり無茶だけはするなよ?絶対人が多いところにいること。出れるようになったら俺も行くから、それまでは安全な場所にいてくれ」
リアンは少女の頬に右手を添えると、真剣な表情で懇願する。
「わたしはリアンが傷つくところ、見たくない。失いたくないよ」
「そんなの、俺だって同じだ」
彼も行く、と言う言葉にレイナが心配そうな面持ちで見上げると、リアンは哀しそうに笑う。
彼女が仲間を大切に思っている気持ちの大きさと、自分が彼女を想っている気持ちの大きさはおそらく同じくらいだ。
どちらも失くしたくない。
「うん、リアンが大切に想ってくれてるの知ってるよ。ありがとう」
レイナは花が咲き誇るような満面の笑みを浮かべる。太陽のような暖かい笑みだった。
その笑顔でリアンの心は少し晴れたのか、薄く微笑を浮かべて頷いた。



人間界に行く方法は一つ。街の外れに建つ神殿が、人間界と稟界を繋ぐ唯一の道である。そこには守り人がいて、守り人に人間界へと送ってもらうのだ。
リアンと別れたレイナは街の大通りを抜け、浅い森を進んでいた。森を抜けた先は崖になっており、下は海が広がっている。その手前に目的の神殿が構えられている。
二年前に初めて人間界に行き、初めて人間と関わった。リアンには大丈夫だと言ったが、本当は不安で不安で仕方がない。
森を進むにつれ、徐々に木々の隙間から白い壁が見えてくる。ようやく神殿に着いた。
建物自体は小さく、中が吹き抜けで六本の柱により支えられている。周りは小規模な庭園で、背の低い植木が等間隔で立ち並んでいた。
建物から続く長い石畳の通路は数メートル先のアーチまで続き、その両端に設けられた細い溝に澄んだ水が静かに流れる。
地面は短く切り揃えられた芝生で覆われ、季節の小さな花がちらほらと咲いては優しく吹く風に揺られている。
レイナは一歩一歩確かめるように足を前に出し、神殿の守り人に近づく。
「人間界に行きたいの。……あの街に」
「………。わかりました」
守り人にしか聞こえない声でレイナは人間界でも特定された場所を告げると、女の守り人は短く頷く。
彼女は守り人に促されるままに神殿内に足を踏み入れる。床の中央には色褪せ、黒くなった魔法陣が描かれていたが、少女が近づくと彼女の魔力に反応して淡い光を放ち始め、中を仄かに照らし出す。
稟界から人間界への道はこの魔法陣であるが、人間界から稟界へは人間界全体が魔法陣であるため、どこからでも戻ることができる。
そして守り人が望みの行き先へと調整してくれる。
「行ってくるね」
誰に言うでもなく、神殿の外を振り返って呟いたレイナは小さく微笑み、守り人にお願いします、と準備が出来たことを知らせる。

少しだけ、怖い。でも真菜と約束したから。わたしは真菜の分も精一杯生きるよ。

守り人はぱんと拍手を打つ。その刹那、床に描かれた紋章は一際強い光を放ってレイナの身体を包み込むと、光が弱まった頃には彼女の姿はもうどこにもなかった。
守り人しかいなくなってしまった神殿内に潮を含んだ風が吹き抜け、辺りは何事もなかったように外の木々が風に煽られてざあと音を出す。



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