≫ No.1




「ランニングシンデレラ」



ここはある国の城下町。
高台には真っ白な城が建ち、それを望む街の一角に他よりも少しだけ大きな屋敷が構えられており、今日も中で住人の一人がぱたぱたと走り回る音が聞こえてきた。


「な、なんで俺がこんなことしてるんだよ……」
小走りに駆けながら文句を言っているのは、所々破れていて申し訳なさ程度に古い布で縫い合わされた、貧相なドレスを着た浩輔であった。
彼は手に抱えきれないほどの洗濯物が積み上げられ、顔は半分見えない状態であったが、目は完全に怒っていた。
姉たちの服を回収しつつ、裏口へと向かっている途中でリビングのほうから彼を呼ぶ声が聞こえてきたのはそんなときだった。
「シンデレラー、おなかすいたー」
今一番呼んで欲しくない声だった。
正直言って、行きたくない。しかし行かなければ後が怖い。
浩輔は洗濯物が満杯に入った籠を一旦その場に置くと、リビングへと引き返す。
入るとそこには赤いドレスを着た洋輔と、紫色のドレスを着たクロカが、テーブルに向かい合って座っていた。
姿を見せた浩輔に気づくと、洋輔はわざとらしくぷうとふくれっ面を見せる。
「浩輔遅い、何やってるのー。お腹すいたー」
「俺だってやることいっぱいあるんだ。だいたい一回呼べばわかる、うるさいな」
「シンデレラは口答えしちゃだめなんだよ。早く何か持ってきてよ」
「はいはい、すぐに用意させていただきます」
早く早くと言いたげにテーブルを叩く洋輔を、珍しく一発殴ってやりたいと思った浩輔である。
しかしそれを何とか抑え、代わりに心の中で盛大に舌打ちをして嫌々了承する。
リビングを出て行こうとしたところに今度はクロカが呼び止めた。
「あ、ついでに紅茶淹れてきてちょうだい。喉乾いたわ」
肩越しに振り返ると、クロカがにっこりと笑っていた。
浩輔はそれも請け負い、リビングを後にする。
台所に向かっている途中、今度は黄色のドレスを着た島崎に出くわした。今自分が着ている衣裳に対して相当不満があるようで心底嫌な表情をしていたが、浩輔の姿を見つけると表情を元に戻す。
「大変そうだな。手伝おうか?」
洋輔のシンデレラを呼ぶ声は屋敷中に響いていたらしく、島崎は苦笑を浮かべて尋ねる。
つい先ほど会ってきた二人にはそんな気はさらさらなかったが、そういう申し出に浩輔はじーんと静かに感動する。
「そう言ってくれるの、島崎くんだけだ……。すっごく助かる。洋輔とクロカにお菓子と紅茶を頼まれてるんだ」
「わかった、そっちは俺がやっておく」
「ありがとう。俺はさっさと洗濯物洗ってくる」
廊下に放り出したままの洗濯物を思い出し、浩輔は洋輔たちの注文を島崎にお願いすると、礼を言ってから彼と別れる。
先ほど洋輔の声が聞こえてきた辺りまで戻ると、当たり前に洗濯物籠がそのまま放置されていた。
「……まぁ、誰かやってくれてるとは思ってなかったけどな」
やはり自分でやらなければならないのだろう。
重い籠を持ち上げると、裏口を目指して廊下を進んでいく。
途中で、突然声をかけられたのは裏に続く扉が見えたところだった。
「シンデレラ、それが終わったら家中の掃除を頼んだぞ」
聞き覚えのある声に洗濯物の塔の横から顔を出すと、いつもの無表情で腕を組み、壁に背を預けているセノトがいた。黒いドレスを着ている。
手には継母用の台本と書かれたノートがあったが、浩輔からは見えないらしく特に気にしていなかった。
「これが終わったらでいい?」
「ああ、頼んだ」
セノトは頷くと、さっさとその場を去っていってしまった。
この一言のためにわざわざここで浩輔を待っていたのだろうか。本当に謎な人だ、と心底思った浩輔であった。
浩輔は彼の後ろ姿を見送り、そしてそれと入れ替わりにこちらに向かってくる人影にぎょっとして目を見開く。
「こ、浩輔ー……」
水色のドレスを着たフィアナは縁一杯までに水が溜められたバケツを両手に持って、よたよたと覚束ない足取りで近づいてくる。
さすがの浩輔も驚いた。
「う、うわっ馬鹿!フィアナっ、それを今すぐ床に下ろせ!」
「わっ」
浩輔は必死に怒号に近い声を出すが、それは空しく言うや否や、フィアナはばしゃんと派手な音を立ててバケツもろともひっくり返ってしまった。
もちろん中の水は重力に逆らうこともなく、絨毯に広がって染み込んでいった。
「………………」
「ごごごめんなさいっ浩輔!」
呆然と絨毯を見つめている浩輔の雰囲気が怖くて、フィアナは必死に謝る。
彼女のことだから単に手伝ってくれようとしただけなのだろう。それでも普通バケツ一杯に水を入れるだろうか。いや入れないはずだ。しかもいらない仕事が増えた。
そう思うと怒りがこみ上げてくるが、過ぎてしまったことは仕方ないので、何とか怒りを静めてフィアナに大丈夫だから、と力なく返事をする。
するとそこに都合よく現れたのは、黄緑色のドレスを着たユアであった。
おろおろとしているフィアナに気づいて、彼は鬼の形相のごとく怖い顔で浩輔に詰め寄ってきた。
「浩輔!てめ…っフィアがせっかく手伝ってやるって言ってんじゃねぇかっ!」
「見ればわかるだろ、十中八九誤解だ!ていうか、お前も姉かよっ?どれだけいるんだ!」
ユアの甚だしい言いがかりに抑えた怒りが蘇り、相手がユアであることも忘れて逆に吠える。
非常に苛々しているようだった。
しかしそんなことは関係ないと言った体で、ユアはつんと顔を背ける。
「はぁ?俺にとってはフィアを泣かせた奴が悪い。とりあえずお前これ片付けろよ」
「……はい」
うっかり舌打ちをしそうになった浩輔であったが、寸前で気づき慌てて頷く。
ここでそんなふざけた真似をすれば切り刻まれるのは絶対だ。
フィアナを引き連れて戻っていくユアを見送り、とりあえず洗濯物を片付けようと裏口から外に出ると、右に置かれた洗濯機に何人いるのかわからない姉たちから回収してきた服やらシーツやらを放り込んでいく。
洗濯機のスイッチをぴぴっと操作し、最後に開始ボタンを押す。動き出したのを確認してから、浩輔は家の中に入った。
「……で、どうしようか、これ」
お菓子と紅茶は島崎がやってくれているはずなので、今彼が抱える仕事はセノトに任された家の掃除と、今目の前に広がっている絨毯の上の水溜りだ。
広範囲に渡って変色している絨毯を見下ろし、肩を落とす。
さっさと終わらせよう、と浩輔は雑巾で拭き始めた。
するとそこに一番嫌な人物の声が降ってきて、浩輔は嫌そうな顔でその人物を見上げる。
「うわー大変そうだね。まさしくシンデレラ。やっぱり雑用は浩輔に似合ってるよ」
「黙れ馬鹿。何の用だよ」
にこりと笑みを浮かべて、シンデレラの行動を面白そうに眺めている洋輔を浩輔は訝しげに問いかける。
あの笑顔は絶対に何か企んでいるが、どちらにしても巻き込まれることは必至、ここで問いかけても同じだ。
「もうそんな冷たいこと言わないでよ。これ、シンデレラにあげる」
「………?」
言いながら差し出してきたのは、手紙のような白い紙だった。
浩輔は首を傾げてそれを受け取ると、洋輔は言葉を続ける。
「お城からの招待状だよ。浩輔代わりに行ってきてよ」
「は?ちょっと待て、普通お前らが行くんだろ?」
「いやー、どっちみち浩輔も行くことになるんだし、この際もう本人だけ行ってもらったほうが手っ取り早いでしょ?あ、ちゃんと魔法使いは呼んであるから心配いらないよ」
笑みを崩さず、片割れは後ろを示すとそこにはすでに魔法使いの衣裳に身を包んだ藤が、準備万全といった様子で構えている。
「よぉ、シンデレラ」
「……魔法使い早いな、おい。ていうか、あんたかよ。大丈夫なのか?」
どれほど出番を待ち望んでいたか、彼の表情を見ると安易に想像がつき、さらに不安を覚える。
「ほんとは女の子がよかったけど、しょうがない。よっしゃ可愛くコーディネイトしてやるからな」
「いやいや、別にそんな嫌々しなくてもいいって」
どうせ行くつもりは毛頭ないから、そっとしておいてくれ。
やる気ないのにそんな無理にやってもらわなくてもいい。
しかし逆に藤は気合いを入れると、浩輔に近づく。
「いっくぜー、えい!」
何とも間抜けな掛け声とともに、指揮棒のような魔法の杖を振るう。
もわっと煙が立ち上り、それが晴れると中から出てきたのはセーラー服を着た浩輔であった。
「あ、あれ……?」
首を傾げる藤を見て、浩輔は引き攣った笑みを浮かべる。
「ちょっとー弘人くん、遊ばないでよ」
「ごめんごめん、次こそは。とりゃっ」
同じように煙が出現すると、次に姿を現したときには彼の衣裳はメイド服に変わっていた。
「……おい」
「えー?なんで?おっかしいなぁ」
そう言いつつ何度もやり直すが、どれもドレスとは程遠い衣裳ばかりであった。
壁にかけられている時計はすでに十一時を示している。
さすがに藤も浩輔すらも疲れていた。
「もういい加減にしてくれ」
疲れているので怒る気にもなれないし、制止させる声も力ない。
「いやいや、次こそは絶対にいけるから」
それでも藤は諦めようとしなかった。
どこからその自信が出てくるのかは不思議だが、藤は胸を張る。
次に煙が晴れると、今度こそふわふわレースのついた淡いピンク色のドレスに変わっていた。
「よっしゃ大成功!これでいいだろ」
半ば肩で息をしながら自分の上出来さとファッション性に大満足の様子だ。一人で盛り上がっている。
浩輔は疲れた表情で深く息を吐き出した。
やっと解放される、そう思ったのも束の間、次に発せられた藤の言葉に浩輔は自分の耳を疑う。
「わりぃ、浩輔。今のでもう魔法使えねぇわ。悪いけど歩いていってくれない?あ、ちなみに十二時になると魔法解ける上に、王子に会わないとこの話終わらないらしいからよろしく」
「………。はあぁ!?」
他人事のように片目を伏せて手を上げてみせる藤に、堪忍袋の緒が切れかける浩輔である。
「もう十一時すぎてるじゃないか!ここからどうしろっていうんだよっ!」
「お、落ち着いて落ち着いて。会うだけでいいんだからさ、ね?」
こんなに怖い顔をしている浩輔を初めて見た藤はさすがに危険を感じたらしく、必死に宥める。すると浩輔は今まで心の中だけだった舌打ちを露骨にすると、踵を返して玄関に向かってつかつかと歩いていってしまった。
「俺は行きたくないって言ってるだろう」
誰も人の話など聞かずに。
ぶつぶつと文句を並べるが、拒否権は浩輔にはない。
結局行かないわけにはいかないシンデレラは、なんとしてでも十二時前に王子と会い、さっさとこんなふざけた話を終わらせるべく、城までの道のりをドレスの裾を翻しながら全力失踪していった。



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