≫ NO.2




昔、世界にはある泉しか存在していなかった。その泉には一人の神が宿っている。
神は何もなかった世界に大地を造り、緑を茂らせ、生き物を生み出した。そうした中で人間が生まれた。
神から生まれた人間はその恩恵を賜り、魔法を使うことが出来た。水や炎を操り、自らを「魔術師」と呼んでいた。


生き物とはその寿命を終えると、生まれた泉へと魂が還る。そうして次へと転生するために長い長い時間、眠りについた後新たな生命として誕生する。
泉の水には死者の記憶が刻み込まれ、永遠に消えることはない。




題名の書かれていない本に視線を滑らせていた男は、ふいに聞こえた複数の足音に気づき、本を閉じて机に置いた。
口許に無精髭を蓄え、端整な顔立ちの男は視線を本から扉に向ける。その目尻の吊り上った薄い青色の瞳は威圧感に満ち、入ってきた人物たちを一瞬にして萎縮させた。
おそらく六十近くだろうが、それを思わせないほど鍛えられた肉体がスーツの上からでもわかった。
「行方は掴めたのか」
部屋に入ってきたのは街に捜索に出た警備兵のうちの五人だった。
あらかじめわかっていた様子で、特に表情は変えず短く尋ねる。
しかし彼らからの返答はなく、浮かない顔をしているのでそれだけで状況がわかった男はほうと息を吐き出した。
「子ども一人連れ戻すのに、いったいどれだけ時間がかかっている」
呆れ混じりに彼らを睨みつけると、その声に警備兵たちはびくりと肩を震わせたのがわかる。
彼女がここを出てからおよそ一日が経った。捜索に向かわせた警備兵からは未だ何の連絡もなく、いい加減彼も苛立ちが募っていった。
普段は厳しいときもあるが、大概では穏やかな気性の持ち主なのだ。相当焦っているのだと、警備兵たちにはわかっている。
「申し訳ありません。ですが、門番の話によりますと街の外に出た形跡はないとのことです」
たとえ今日が収穫祭で人の出入りが多くとも、門での検問は怠ってはいない。この人混みに紛れて事を起こされては一大事である。
男の罵声が今にも叩きつけてきそうで、警備兵は怯えながら近況を説明する。
警備兵の一人の報告に男は口許に手を当て、考える素振りを見せる。
「まだ街の中にいるということか」
門は北と南にしかなく、それ以外の通り道などこの街には存在しない。
クラウディスへの出入りができる場所を思い起こしていた男は、ふいにあることに気づいた。
門を通らずに街の外に出られる通路。一つだけ心当たりがある。
「地下通路」
「……?地下通路、ですか」
主の突然呟かれた声に警備兵たちは虚をつかれた様子で首を傾げながら互いに顔を見合わせ、うちの一人が尋ねる。
「街の西にある水路の奥だ。そこから郊外にある森に出る道がある」
門が通れない今、知っているならばおそらくそこから街の外に出るはずだ。
いや。
そこまで考え、しかし頭を振った。
彼女はそのような通路があるとは知らないはずだが、百パーセントとは言い難い。
それにその通路の存在を知っていたとしても、現在は使われていないため魔物が出る確率が高い。もしも地下通路を使ったあの子がもしも魔物と遭遇してしまったとしても、戦う術はない。
男は目を伏せ、頭を抱えた。
あの子の行動がわからない。この街の外は危険であると考えれば考えるほど心配になり、思考が回らなくなってしまい、気だけが急いてしまう。
とりあえずは連れ戻すことよりも無事を確認したい。
ほうと息を吐き出して気持ちを落ち着けると、男は目の前に並ぶ警備兵たちを順に見渡す。
「お前たちはこれからリリアルに向かえ。おそらくここを抜け出した次に向かうのはそこだ。他の警備兵には引き続きこの街での捜索と通路入り口を警備してくれ。だが、絶対に地下通路には入るな。森にもな」
本当は地下通路にも捜索を向かわせたいところだが、魔物が出る以上対人間でしか戦闘経験のない彼らでは結果は明らかである。そんな危険に晒すことはできない。
仮に協力者が現れ、街の外に出れたとしてもリリアルを経由する可能性は非常に高い。先回りをしていればあるいは接触は可能かもしれない。
なんとしてでも彼女を泉に行かせるわけにはいかない。真実を知られるわけにはいかないのだ。
指示を受けた警備兵たちは主の心遣いに感謝しながらも、一斉に敬礼をした。



☆☆☆

一歩建物の外に出てみると、閑静な住宅街にも関わらず大通りからの騒々しさはここまで伝わってくる。
人混みが嫌いなカイルにとってざわざわとするこの気配は鬱陶しく、もはや雑音にしか聞こえない。
今日は年に二度行われる祭りのうちの一つ、夏至に行われる収穫祭である。アルトはこの祭りに乗じて地下通路に入り込むという作戦を提示した。


数分前。
「カイルの言うとおり、俺としてもあんまり目撃されるのは避けたい。誰が雪奈の顔を知ってるかもわからないからね。でも幸い今日は祭りの日らしいからね」
「………祭り?」
彼の言葉を小さく反復したカイルははたと何かに気づいた。雪奈も同様に気づいたらしく、アルトを見上げる。
「収穫祭か」
「知ってたんだ」
クラウディスのことはあまり知識がないが、ここで行われている祭りは他地方にも有名なようだ。
もうそんな時期か。
そういえば今日は暦上、ちょうど夏至に当たる。クラウディスでは年に二回、夏至と冬至に祭りを執り行っているのだ。
夏至にはこれから収穫となる小麦や米が無事に育つように、冬至には食糧の薄くなる冬を無事に越せるように、それぞれ祭事を行っている。
祭りは三日間に渡って開催され、王城では貴族たちの宴も催されている。貴族たちが集まるとなれば城の警備は万全でなければならないので、街は今まで以上に手薄になるはずだ。
「街人も祭りに夢中だし、雪奈の姿さえ隠せば問題はないはずだよ。ただ……」
「まだ何かあるのか?」
歯切れの悪いアルトの言葉にカイルは怪訝そうに眉根を寄せる。
「ただね、今はもう使われてない上にこの街を囲ってる森に続いてるはずだから、もしかしたら魔物がうろついてるかもしれない」
アルトはいつもの冗談めいた口調ではなく、真剣な瞳でカイルに意見を求める。
その意図を彼は正確に読み取り、息を吐き出して雪奈を見た。
自分たちは仕事柄しょっちゅう魔物と遭遇しているが、彼女はおそらくそんな経験も、それ以前に魔物を直に見たことはないはずだ。そんな場所へ彼女を連れて行けるものなのか。
「戦いながら守れば一番だけどさ、魔物でもランクがあるから絶対って保障はない」
常に非戦闘員の存在を意識して戦っていると、ちょっとしたことでも気を取られてしまい、下手をすれば命取りになりかねない。
必死に考える二人を雪奈は強い瞳で見返した。
「大丈夫です。自分の身は自分で守ります」
そう言って、彼女は鞄の中から鞘に納められた懐剣を出し、二人に見せた。
「確かに戦ったことはありません。そんな経験のないわたしがいきなり戦えるとも思っていません。ですが、自分の身は自分で守れないと泉にはいけないです」
それほど甘い世界だとは、やればできるなど過信してはいない。しかし頼ってばかりではいけない。いつも誰かが助けてくれるとは限らない。
そんなことは泉に行くと決心したときから覚悟をしている。
沈黙して聞いていたアルトは彼女の答えに満足した様子で、くすりと笑った。
「うん、そうだね。雪奈の本気は俺にもわかってるよ。ごめんね、不安になるようなこと言って」
「いざとなったらアルトが盾になってでもお前を助ける」
「え!?ちょっとそれは……てか、そうならないでしょ。カイルがいるんだし、前線で戦ってくれれば俺は後援するし」
「は?お前の武器は刀だろうが、接近戦のお前が後方で何をするつもりだ」
どさくさに紛れて楽な方を選んでいるアルトを呆れ混じりな様子で見ると、盛大にため息を吐き出した。
そのやり取りが先ほどまでの空気と一変して、雪奈は堪えきれずに噴出す。
「本当にお二人がいてくださったら、安心です」
「あんまり過信しないほうがいいけどね。まぁ、泉までは連れて行くっていう契約だし、道中雪奈のことは全力で守るよ」
にこりと微笑んだアルトに雪奈は花が咲くように優しく笑い返した。
彼女の目的には全力で力を貸したくなる。会ってまだ一日と経っていないのに、ずっと一緒にいたようなそんな感覚になる。
それだけ少女の出会いは二人にとってとても大切なものだったようだ。



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